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高校生・恋愛・短編・オリジナル

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たまに彼女から出る具体的な話題は、本や料理の話だった。
料理のことを話すときは年相応に無邪気な表情をしてくれるのが、震えるくらい嬉しかった。本のことは難しかったが、彼女に知られないように後で読み、彼女の言いたかったことを一部でもいいから理解しようとした。
おれと違い他人への配慮ができる彼女は、人が多い場所だと特に気を使ってしまうらしいから、できる限り一人でいるときに話しかけた。
もちろん小学生だからたまにからかうやつもいたけど、それは本当にそいつらがおれのことを羨ましがってのことだと分かっていた。
今でもそう思う。

中学に入って彼女と話す機会が減った。
クラスも違ってしまったうえ、あまり学校に来なくなったからだ。
周りに気を使ってしまう彼女のことだから、気疲れしてしまったのだろうと思う。
2年の2学期の終業式、おれは所属していた部活の教師から中瀬の家へプリントを届けに行くと聞いた。
おれはその教師の『もの分かりのいい先生』を演じているところが大嫌いだったが、そのもの分かりのよさにつけこみ、プリントを代わりに届けにいくことにした。
彼女のマンションの部屋に上がるときはさすがに緊張して靴を脱げなくなった。
平常心を保つために、母親にばれないように深呼吸をしてから廊下を進んだ。彼女は相変わらず落ち着いたもので、それがいくらか緊張を溶かした。
話すのは母親ばかりで、彼女は相変わらずあまり笑わなかったけど、母の料理教室で手伝いをしているときの話をすると、やせ形の彼女も血色を良くし、それは嬉しそうに言葉を紡いだ。
そんな彼女と一緒にいるときは自分の頬が奇妙につりあがらないようにするのに苦労した。
それからしばらくして、彼女からおれが以前通っていた塾に通いたいとの電話をもらった。
しばらく彼女はそこに通うようになった。


卒業後、高校はばらばらになると思ったが、同じ高校へ進むことになった。
高校生になると彼女彼氏作る奴がやたらと増えた。
おれはそういうのに疎いので実感は湧かなかったが、割と他人を見ている倉沢が教えてくれた。
彼女との関係を深く考えたことはなかった。
人格的にも優れている彼女に恋人ができるのは時間の問題だろうと思っていた。
どうせなら自分が知ってるやつならいいと思った。
明るい奴や優しい奴や面倒見のいい奴とか。
そっちの方が一つで二人分祝えるからだ。
だが実際にそういうやつらを目の前にしてみるとそんな謙虚な気持ちはあとかたもなく吹き飛び、いても立ってもいられなくなった。
しかし、高校に入ってバイトも始めたのでなかなか時間も取れない。
手をこまねいている間に夏休みになった。
帰り道、たまたま中瀬を見つけた。
中瀬は夏休み中、例の塾で手伝いをするらしかった。おれは送るという名目でよく一緒に帰ることになった。
おれが抱いている気持ちを、中瀬も抱いていれば。
それを夏中に確かめるとようと、そしてだめだったらきっぱり諦めようとも決めた。
だが、夏休みに入ってからの中瀬の様子を見て、おれは考えを改めた。
中瀬は塾でよく笑うようになったのだ。



「おれの前じゃ滅多に笑わなったし、口数も少なかった。自分から話しかけてくれることは一度もなかった。おれの話を聞いてばっかりだった。相槌さえも微かだった。でも、塾位の連中や子供相手でも変わらない笑った顔を見てると分からなくなった。おれはずっと作り笑いだと思っていたけど、実際は違うんじゃないかと思うようになった」
そのことを考えたのはバイト中のことだった。
大学生の同僚が気付いて声を書けるまで、調理台に手をついたまま、凍らせたように動かなかったらしい。
「もしかすっと愛想が悪ぃのはおれに対してだけか?と思ってな。じゃあ仕方ないってことであんまり親しくしないようにしてたんだよ。まあ、諦めたってわけだ」
だから距離を置いた。
面倒見のいい倉沢や人のいい簗瀬に気付かれないように、さりげなく。
「あーあ、もういいか?寒いしさっさと帰ろうぜ」
そこまで一気に話すと、真っ暗な夜にぴったりの静寂がその場を埋めた。
寒い以上に、これ以上会話を続けるのが辛かった。
中瀬の口から出る言葉が何であれ、聞きたくなかった。
こんな暴露話をした以上、もう終わりにしたかった。
「ごめんなさい」
中瀬は、重そうに口を開いた。相変わらず、抑揚がない。
「でも、最後に」
おそらく寒さのためであろう、華奢な体が震えていた。
「最後にひとつだけ訊きたいことがある」
「…何」
最後。
あーあ、やっぱりそうなのか橋川のやつ適当なこといいやがって。
まったく関係ない相手を内心毒づきながら言葉を待つ。
「もう」
「あ?」
「もう、今までのように話はできない?」
そんな生殺しのようなことしないでくれよ。
そう頼もうと思った。
が、中瀬の目を見てまったく関係なく悲鳴が出そうになった。
今にも泣き出しそうなくらい目に涙を溜めてこっちを見ていたのだ。
「今更言い出すなんてずるいけど、分かってるけど、訊きたい。もう」
もう、今までみたいに話せないの?
静まり返った夜の下。
そうでなければ消えていまいそうな、かろうじて聞き取れる小さな声で言った。
その後は、再び闇と同化するような沈黙が訪れた。
相変わらずの静寂。
だが、さっきと静寂の質が変わっていた。
目の前でまた俯いてしまった中瀬がおれの返答を待っているのだった。
「今気付いた」
自分で自分に言い聞かせるように。
冷静になって、喋れなくなる前におれは口を動かした。
「未練がましいことに、未だにおれはお前が好きらしい」
今喋るのを止めるときっと無理だな。
そう考え、続けた。
「さっきは諦めたって言ったけど、本当のとこ言うと、諦めてる途中なんだよ。お前のさっきの質問に答えると、今までみてえに接するのは多分、むりだ。かといってこのまま変に距離を置くのも中瀬にも悪いし、おれらしくない。だから、諦めるためにも、ひとつ区切りのためにも、訊きたいことがある。なあ中瀬、お前が良ければなんだけど」
支離滅裂なことを言ってるのは分かってる。
できる限り、反動でダメージが残らないように。
心をこめないようにして、分かりやすく伝えた。
「おれと付き合わねえ?」

風はない。
音もない。
星もない。
返事もない。
時が止まったと言われても、おれは信じただろう。
それくらいの静寂のあと、中瀬は音もなく僅かに。
頷いた。
「それは、いいってこと?」
また頷く。
「…そうかい」
一拍。
二拍。
三拍。
「あー…じゃあどうぞよろしく」
拍子が抜けるような間の後、ようやくおれは言った。
さっきの効用がうそのようで、血が沸き立つとか、背筋を駆け抜けるようなものはなかった。
ただようやく終わったなあ、とだけ思った。
だが、洟をすする音をしてまた動揺することになる。
中瀬が声を出さずに泣いていた。
「お、おい。大丈夫か」
慌てて距離を詰める。
なんかまずいこと言った?断りたかったか?命令口調になってたか?
頭の中でそんなネガティブな疑問が駆け抜けた。
だが、
「違う…そうじゃなくて…ありがとう…ごめんね…ごめん…でもありがとう」
とか言いながら両手で涙を拭うばかりで泣きやむ様子はない。