海竜王 霆雷5
「蓮貴妃、問題などありません。もし、勘違いで受け入れたとしても、それでは、黄龍は子を生しませんし、受け入れられないと思います。」
母親として華梨は、そう言う。自分が、どれほどの求婚を受けて、それなりに勘違いもして、それでも、最後の最後で受け入れられなかった経験がある。たった一瞬で陥った恋情が、それを教えた。たぶん、言葉巧みに誘われても、最後に叩きのめすことになる。気に入らない、と、思っていた気持ちが、恋情ではない、と、自分に教えていたのだと理解するのは、恋情に堕ちてからだ。
「美愛も、バカじゃないからさ、蓮貴妃。そこまで心配するのは、どうかと思うよ? 」
付け足すように、深雪も微笑む。その激しさを叩きつけられた相手としても、黄龍の恋情が、どれほどのものか理解している。当事者にしか判らないことだろう。だから、蓮貴妃も劉も慌てて、諫言にやってきた。
そこへ、相国まで笑いながら現れた。どうやら似たような苦言であるらしい。ついでに、丞相も並んでいる。だが、こちらは、それほど切迫した様子ではなかった。人払いしてあるのを目にして、砕けた物言いで、相国が口火を切る。
「見つかったらしいな? 深雪。」
相国のほうは、事情をわかっていて、祝いの言葉を届けてくれただけだった。丞相も同様に、視線で寿いでいるのがわかる。
「孤雲さん、頤さん、どうやら、美愛も人間を選ぶらしい。」
「ということは、また二百年ほどかかるということだな? 」
人間の年齢と竜の年齢は異なる。だいたい二百年で竜は成人する。見た目には、成人姿であろうとも、竜として、そして、水晶宮の次期主人としての知識は、取得するだけでも大変なものだ。それらを鑑みた場合、人間の青年を教育するには、最低でも数十年はかかるし、現主人夫婦は、まだ若いから、代替りするまでの時間も、随分と余裕がある。それに、竜は二百年して成人しないと、竜族の領域以外で人型にはなれないから、お披露目も即位もできない。
「もう、おまえたちで教育してくれ。私は、深雪の時で草臥れた。」
相国は、やれやれと深雪の傍に腰を下ろす。『水晶宮の小竜』の太子府へ召還されて、どれほど、やんちゃで暴れん坊かを思い知らされた相国は、もう一度、あの騒動に遭遇したくないらしい。となりにいる深雪の肩を抱き寄せて、自分に凭れかからせる。大人しく、深雪も、相国の肩に頭を乗せて力を抜く。
「俺は、深雪で懲りた。次は、丞相に一任したい。」
太子府以前に、護衛についた劉としても、もう充分だと、そのとなりに座り込む。なんせ、ついでとばかりに、次期の美愛の子守りにも借り出されていたのだから、勘弁してほしいという気分らしい。
「私も深雪で育児の苦労は充分させていただきました。もう一度、これと同じように教育せよと言われたら、痩せ細ります。」
もちろん、蓮貴妃も同意見だ。劉と同様に、小さな深雪に手を焼かされた。美愛の初等教育も手を焼いたから、もうやりたくないという。散々に全員から、育児や世話の苦労を詰られて、当人は大受けしている。すっと手を差し出して、妻の手に重ねる。
「俺は、それほど苦労させたかな? 華梨。」
あんまりな意見に、深雪は苦笑して、妻に意見を求めた。妻のほうも、ほほほほと笑っているばかりだ。小さい頃の夫は、虚弱体質であったから、その心配もたくさんさせられた。それだけではない。自分が願ったことを叶えてくれるために、生命を危険に晒せてもくれた。ひとつひとつが大切な思い出で、思い出すと微笑んでしまう。
「苦労させただろう。だいたい、どうして『水晶宮の小竜』なんて、ふたつ名が冠せられていたと思うんだ? 深雪。おまえのやんちゃぶりが、目を瞠るものだったからだぞ。」
妻の代わりに丞相が返事するが、留めとばかりの言葉だ。
「でも、頤さん。その名前が継がれるかもしれないよ。二代続いて、やんちゃ小僧っていうのもいいんじゃないかな。俺みたいな心配はないだろうし。」
しみじみと現主人は、そう言って、空を見上げる。どうしても、体力的には問題があって、その点で心配をかけていたからだ。今でも、やはり体力的には持久力がない。無理な力の使い方をすれば寝込むこともある。息子たちに、それが受け継がれないように願っていたが、一応、標準には列を並べているものの、やはり、他の歴代竜王よりは体力的には弱いのだ。たぶん、美愛は、それを克服する相手を選ぶだろう。だから、健康で威勢のいい青年であるだろうと、現主人は予想している。
「だが、それを圧してなお、おまえは、『水晶宮の銀白竜』というふたつ名を頂いている。それは歴代の、どの主人にもなかったことだ。私は、おまえに仕えることができて行幸だとは思っているよ、深雪。」
「言いなりにならない厄介な主人だから、私も、張り合い甲斐はあるさ。おまえじゃなかったら、飽きて職務を放棄していただろうよ、深雪。」
丞相も相国も、微笑んで頷く。普通ではない主人だったが、それだけに、ただの官僚仕事にはできなかったのも事実だ。公式でなければ、兄弟のように話し合うのも、歴代の主人にはなかったことだろう。それを許せる度量と、自由裁量を与えている自分たちの主人は誇れる主人だと、内心で認めている。だが、それを口に出して言うことはない。相国は、意地悪な笑みで、別にことを言う。
「だいたいな、七日に二日は休めなどという決め事をしたのは、おまえが始めてだ。」
「そりゃそうだろう。家族サービスの時間もなく働くなんて、おかしいに決まってる。沢さんもさ、いい加減に結婚すりゃどうかと、俺は思うんだけどさ。いい加減に探せよ、沢さん。」
「うるさいな、こういうのは、出逢いというものが重要なんだ。俺は、別に、もういいよ。」
水晶宮の幕僚たちで、唯一、妻を娶っていないのが、衛将軍の劉だ。現主人が幼少の頃から、現在に至るまで、ずっと傍にいて、ほとんど休みを取ったこともない。当人は、仕事と趣味が一緒だ、と、嘯くのだが、現主人は、それが気になる。自分を、六百年近く、護ってくれているから、そろそろ、その職務とは別のものを持つべきだと思っているから、度々に、そう勧めている。
「一姉に、誰か紹介してもらえよ、沢さん。」
「おまえが、食事をちゃんと平らげてくれるならな。」
「それとこれとは別だろ。俺は小食だから、あれでいいんだよ。だいたい、毎回、殴って食べさせるっていうのも、どうかと思うぞ。」
「子どもの頃から量が増えないってことに、俺は疑問を感じるがな? 体罰は、長からも先代の主人殿からも推奨されているんだ。おまえが、とやかく言うことじゃねぇ。殴られたくなかったら、食え。」
「それさ、現主人から命じても破棄されないもんなのか? 」
「されないだろう。おまえ、最高次位だからな。」
「ちっっ、面倒だな。」
「ほほほほ・・・・背の君、甘いものでも召し上がってくださいませ。蓮貴妃、お茶の用意をしてくださいな。私くしは、女官に何か持ってこさせます。」
「そうですね。深雪、とりあえず、なんでもよいから食べなさい。」