海竜王 霆雷4
盗られて困るものはない。騙されているとしても、構わない。自分を消してくれる相手なら、この家が後に跡形なく消滅してもいいだろう。この家の持ち主は、もういない。持ち主が文句を言うこともないだろうし、たぶん、承知の上だったはずだ。
「では、これからよろしく、彰哉。・・・とりあえず、この家から出る場合の洋装が必要ですね。」
「あーそうか。うーん、とりあえず、ネット通販で、いくつか取り寄せるから、それを着てくれ。」
「私にも、好みというものがございますよ? 」
「あんたが気に入ったヤツを注文すればいい。」
そして、彰哉は、そもそもネット通販自体を理解していない美愛に、その説明をすることから始めなければならないことに気付いた。異世界からやってきた竜は、人間界の些細なこともわからない。ぽつんと存在する自分に、なんだかよくわからないところから、よくわからない訪問者があった。それと対峙していくのは、生きているのをおもしろくしてくれるのかもしれない。
「今夜は遅いから、明日、考えよう。」
「そうですね。どこで休めばよろしいのですか? 」
「え? あ、そうか。えーっと、客間なんてないしなあ。親父の部屋のベッドがあるけど、それでいいか? 」
それほど広い家ではないので、客間などというものは存在していない。自分の部屋と、義理の父親の部屋、それに書斎、居間ぐらいのものだ。しかし、死んだ人間の部屋というのは、どうだろう。
「あなたの父親は? 」
「一年くらい前に死んだ。・・・とりあえず、俺の部屋に寝るか? それで、俺、居間のソファで寝る。明日、親父の部屋を掃除して、俺がそっちに移るよ。」
「別に一緒でも構いませんよ。」
「いや、ちょっと狭い。ふたりは寝られない。・・・っていうかさ、ふたりでっってっっ。美愛、そういうの人間はやらないぞっっ。」
「あら、そうですか。」
「だって、俺、一応、男だからなっっ。夜中に襲ったりしたら、どーすんだよ。」
「ほほほほ・・・・叩きのめしますから安心してください。」
「ああ? 」
「私に敵う方は、おりません。あなたが襲うというなら、私は抵抗します。当たり前です。」
ああ、そうですか、と、彰哉のほうは脱力した。普通は、そうではなくて、そこで恥ずかしいとか思わないのだろうか。出会って、二日と経っていないのに、一緒に寝るなんて信じられない。
「横で、あんたが寝てたら、俺が寝れない。とりあえず、疲れたから、今日は、俺の部屋で寝てくれ。明日、いろいろと、そういうことは考えよう。」
「わかりました。では、案内してください。・・ああ、その前に、湯浴みをさせてください。」
「ゆあみ? 」
「水浴びのことです。」
「ああ、はいはい。」
やっぱり、なんだかよくわからないが、日常と非日常の入り混じった時間に、彰哉は疲れた。ものすごく精神的に疲れたと思った。とりあえず、今日は、何も考えないで眠りたいと切実に願ったほどだ。
バタバタと、風呂に入り、別々の部屋に落ち着いた。すぐに、居間のソファで横になった彰哉は、寝息をたてたが、美愛のほうは、こっそりと起き出した。二日ばかりとは言え、理由も告げずに行方を眩ましてしまったので、そろそろ、捜されている頃だ。先程の砂浜へと瞬間移動して、海に向かい声をかけた。この広い海に、数多くの眷属が住んでいる。伝言くらいは簡単なものだ。こちらに滞在するから心配無用と、西海竜王に伝えよ、と、声をかけたら、少し離れた場所で魚が跳ねた。これで、伝言は伝わるだろう。すっかりと、天空に浮かび上がった月を見上げて、ふうと溜息をついた。二日間の自分の精神状態は普通ではないと、自己分析した。さっきだって、知り合ったばかりの彰哉と同衾したいと口にした。普通は考えられないことだ。さっき、自分で言ったように、不埒な真似をされても、自分は抵抗して、完膚なきまでに叩きのめすことは可能だ。いや、それより、傍で眠っても良いと許せたのが、自分でも不思議だ。
これが、一目惚れというものか? と、自問してみるが、答えは、否だ。そんなものとは、到底、思えないのだ。気分的には、親族の子供といるような気分ですらある。だから、伴寝してもよいと思ったのだと分析する。
・・・もちろん、話してみたい・・・だが、それ以上に戦ってみたい・・・・一度でいい。本気で、どこまで、彰哉がついて来られるのか試してみたい・・・・
自分の力量は、弁えているつもりだ。精神的な圧力がなければ、おそらく、父ですら能力のみでの戦いなら辛勝できるだろう。なにせ、自分は、竜族最強の黄龍であり、さらに、父の特別な能力も引き継いでいるからだ。つまり、神仙界においても、ほとんど、自分を上回るものは少ないはずだ。ただし、戦術的な部分で、自分は実戦的な経験がない。だから、その部分で、父や、他のものに劣る部分がある。彰哉は、そんな小細工はしないだろう。真っ向勝負できるはずだ。
・・・だから、やってみたい・・・・・
それで、何かがわかるのかもしれない。静かな波音の中で、それを考えていたら、パシャリと水が跳ねた。
「美愛、滞在とは、どういうことだ? 」
海の上を、ゆっくりと三叔父が歩いてくる。三叔父は白竜なので基調とする色は、白だ。それに、銀糸を織り込ませた包を身に着けていた。それが、月と、それを反射する波で、銀糸がキラキラと光っている。
「言葉通りです。しばらく、ここに滞在して、やってみたいことができました。ですから、三叔父上、私くしのことは、しばらく放っておいてくださいませ。」
「そういうわけにもいくまいよ。次代の水晶宮の主人殿が警護の一人もつけぬでは、心配だ。」
「ですが、人間界を見学するには、三叔父上が同伴では目立ちすぎます。すでに、滞在先も確保しました故、心配されることはございません。」
一通りの説明をしたら、三叔父は、微妙に困惑した表情になった。気になった人間がいるから、それを観察したいというのが、婿候補かどうか、美愛にもわからないというところが問題だ。自分の妹である現水晶宮の主人は、一目で恋に堕ちて、夢の中とはいえ、攫って海竜王の宮に、今の夫を閉じ込めたのだ。それほどの激しさがあったのに、その娘は、「候補かもしれない。」などと悠長なことを言うからだ。
「それは、違うのではないか? 」
「・・・よくわかりませんが、違うとは断定できかねます。」
「しかし、そういうことなら、うちの宮から通えば、よいではないか? 」
「面倒ですし、それでは、欠けた時間ができます。私は、考えを改めるつもりは毛頭ございませんので、三叔父上も、そのつもりでいらしてください。」
言うだけ言うと、美愛は、叔卿の前から、速やかに消えた。父親譲りの瞬間移動などやらかされては、いかな白竜王といえど、追い駆けることは不可能だ。
「まあ、よいわ。あれが貞操の危機など起こるはずもない。とりあえず、水晶宮に報告だけはしておくとしよう。」