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ぬるめのBL作家さんに100のお題

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ぱたぱた






部屋の真ん中にぺたんと座って、テレビも電気も点けずに開けっ放しの窓の外を見ていた。2月の夜の風は冷たい。エアコンも押し黙ったまま部屋を見下ろしている。ドアを開けたら室内の氷点下の気温以上に、たまった鬱屈した空気が足元に流れ出した。

「・・・佑」

ぱたり。
ぱたり。
フローリングの床に雫の落ちる音がやたら鮮明に聞こえた気がした。
何も言わず、何の音も立てず。
風が窓を揺らす音の以外は何も存在しない。呼吸音でさえも聞こえない。耳が拾わない。

「佑」

もう一度名前を呼んだ。
それでもその肩はぴくりとも動かない。

「風邪引くで」

電気のスイッチに手を伸ばしたら、背中に目でもあるかのように、行動を見透かしたかのように空っぽの目が首だけを動かしてこっちを見た。涙の痕も残らない、目からまっすぐ床に落ちていく涙。
傘についた雨粒が滴るように、当然とでも言わんばかりの自然さでそれは次から次へと落ちていく。

「さっきまで兄ちゃんと話してたんやけど、晴さんが帰ってきたらいなくなってもうた」

空っぽの目のまわりに諦めたような表情を貼り付けて、まばたきをするように笑った。
誰もいないベランダに愛おしそうな目を向けて、「もう少し遅くたってよかったんに」と無感情の恨み言を吐く。

「ずっとそこに座ってたんか」
「兄ちゃんがそこ座りって言うから」

佑には別に霊的な能力があるわけではない。と思う。今よりも少し頭の中が落ち着いているときに佑自身が否定していたからだ。それならばさっきまで見ていたらしい『兄ちゃん』とは誰なのか?
確かに佑には兄がいる。否、いた。
話によればかなり優秀な兄だったらしく、兄のことを聞くと本当に楽しそうに話す。
楽しかった思い出だけを。
佑の人生の半分以上、この世界のどこにもいない兄の思い出、存在を頭の中に引きずったまま生きている。
もちろん、いつもこういう状態のわけはない。
少しだけ頭の中が混乱するとこうなる。最近ずっと落ち着いていたはずなのに、何かいやなことがあったんだろう。それを聞く術は恋人、の俺にもよく分からない。

「お別れ、してん」
「・・・お別れ?」
「兄ちゃんが、佑のせいやない、って言うんよ」

ここから先は俺が直接聞いた話じゃないが、かなり惨い喪い方をしたらしい。
学校の帰りに通り魔に襲われて、佑のことをかばって兄が死んでしまった、とか。数年前に話題になった事件の唯一の犠牲者が佑の兄だったらしい。
目の前で大好きだった兄が死んだ。まだ小学校に入って間もない幼い精神が平気でいられるはずもなく、自慢の長男が佑いわく何の取り柄もない次男をかばって死んだ、口にはしなくとも両親の失意が追いつめた結果、兄と「話せる」ようになった。そのあとでひとりで泣いて、全部ひとりで抱えこんで。それでも俺にはどうすることもできなかった。
佑の背中が訊かれることを拒絶しているということ以上に、俺は佑に拒絶されることが怖かった。

「俺がやりたくてやったことやから、それで佑がどうこう思うことやないねんで、って。
ちゃんと前向いて生きてき、って。俺んこと無駄にせんといてな、って怒られてもうた」

きっと佑は俺が過去のことを多少なりとも知っていることを知っている。俺は言わないけど。

「分かってるよ、って言うたらじゃあもう俺はええな、って。やだって言うたら兄ちゃんは笑って、そんときが来たらまたな、って」

このとき、本当に佑には「兄ちゃん」が見えていたのかもしれないな、と思った。
もちろん頭の中が勝手に作り出した別人格かもしれない。それは俺はどっちにも会ったことがないから分からない。

「そんときって、いつやろなぁ」

ベランダの向こうを見つめる目は妙に熱を帯びている。

「あかんで」
「・・・なにが?」
「怒られたんやろ、兄ちゃんに」
「うん」

隣に腰を下ろした。
ベランダの向こうから目線を外した佑が俺の指をつかんだ。感覚がなくなるような冷たい指。

「俺じゃあかんの」
「・・・あかんよ」

少しずつ温度が移っていく指先に力がこもって白くなる。

「晴さんじゃ、兄ちゃんの代わりにはならんよ」
「・・・ほーか」
「晴さんやって、俺の兄ちゃんの代わりは嫌やろ」
「・・・・嫌やない」
「そんなん嘘や」
「・・嘘やな」
「せやろ」

そりゃ嫌だ。
俺はさっきも言ったが「兄ちゃん」に会ったことがない。実在している彼も、実在していない彼にも。だから俺にとっては「他の男」でしかない。他の男の代わりになるのは現恋人として正直嫌だ。
それでも、俺は俺が代わりになってそれで落ち着くならいい、とも思ってる。

「いつか佑が兄ちゃんのとこに行くまで、俺が一緒にいてもええか?」
「・・・それって、プロポーズみたいなもんなん?」
「・・・・・まぁ、そやな。何だったら兄ちゃんとこ行きたないって言わしたるで」

まぁがんばり、佑はそう言った。
そうして窓を閉めて、電気をつけて、ふふ、と意味のない笑いを漏らす。
まだ冷たい指が首筋に触れて、それから唇に触れた。

「責任取ってちゃんと見といてな?」