神社奇譚 2-1 周り講
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私はひょんなことから神社の役員になった。
休みの日に住宅街の一角にある小さな神社の宮司の手伝いをしている。
神社の宮司の仕事というと「お祓い」・・。
実際その割合は多いのだがその「お祓い」に用いるものというと
之、そのほとんどを自前で用意しなければならない。
「祓え具」とはどのようなものがあるだろうか?
最も一般的なところでは大相撲の力士が使うような「塩」もそうだろう。
神社に行けばまずは「水」で手や口を清めるだろう。
特殊な祭典の中には「火」を用いることもあるだろうし
一部地方では御守りには未だ「御神土」を入れてくれるところもあるだろう。
稲作によって普及した神道の代名詞「米」を用いることもあるだろう。
そういったものを当然の如く自ら調達せねばならない。
これが後期高齢者の宮司には段々辛くなってきた、ということもあり
私は宮司が云うがままに、調達するようなことを買って出た。
ところがなかなか調達が難しくなってきたものもある。
如何なる儀式の最後には願い主をはじめ参列者が参加する
「玉串を奉りて拝礼」という儀式があって。
その玉串というのは、一般的には常緑樹の榊に
神社に吊ってある紙垂(シデ)を麻で結びつけたものである。
これは地域差がかなりあって
榊の北限が以外に南側にあったりすることで、椙であったり
紙であったりもする。
他の神社ではプラスチックのイミテーションを使うことも
あるらしいのだが、宮司は之を良しとせず常に新しい榊を求める。
ところがなかなか榊と云うのはこのご時勢手に入りづらくなってきた。
一回切ってしまえば枝振りがよくなるのに日数もかかる。
金で始末をつけようとするなら、なんとも法外な値段を取られるという
弱り目に祟り目のものでもある。
ということで、神社の境内になるだけ榊を植えようとするのだが
常緑樹とは、言い返せば常に落葉があるもので。
その掃除にも面倒なものでもある。
ということもあって
御祓いがあれば、祭祀があれば、榊の木と格闘することとなる。
その日も育った榊の枝を相手に斬るべきか残すべきか
算段をつけている最中だった。
近所のフリーの建築現場監督の春彦さんと
“したむら“と云われる崖を下ったところの部落にある集落の家の
信行さんが二人でやってきた。
「ぉぅ、宮司、いるかね?」
二人とも氏子会の元役員で、現役員の私たちにとっては
実は結構面倒な存在であって。
とにかく「えらそう」な振る舞いには辟易することもあったのだが。
今日はいないよ、連絡つけましょうか?
「おぅ頼むぜ。」
で、どんなお話なんですかぃ?
「お前ら若い奴に云っても・・わからねえと思うんだがな。
講ってわかるかぃ?」
講?
「いやぁ解らなくて当然だよな、俺たちがちゃんと伝えてこなかったからさ。
罰が当たってるんだ、きっとよ。」
信行さんが70歳手前。
春彦さんが60歳手前。
相手にしている私が40代としても
若い奴と云われてもそんな歳であるのだが。
とんとそんなものを聞いた験しがない。
講?
「ぉぅ、講よ。」
「講」と云う言葉に思い当たる節が無いわけではなかった。
出雲とか稲荷講とか云わば集団で御参りする組織みたいなイメージだな。
よく寺社に貼ってある千社札を貼りたがる人たち。
そういうイメージが脳裏をかすめた。
作品名:神社奇譚 2-1 周り講 作家名:平岩隆