しっぽ物語 5.眠りの森の美女
赤い革張りのドアの前で叱責すれば、やっとのことで男はその態度に身体の動きを釣り合わせ、スタッフ・ルームへ駆け込んでいく。どうしてこんなにも。Cは舌打ちを漏らした。ここに居る奴らは、自分で考えて行動するということが出来ないのだろうか。カジノという、一番の縮図を見ているくせに。自分の足で動くことを止めた途端、人生は尻の毛までむしってしまおうと手を伸ばしてくる。
流石に夏真っ盛りの先月よりも人の波は減っていたが、主婦らしき中高年の群れは相変わらず動き回っていたし、本物のハスラー――人生そのものが賭け事だと心得る馬鹿な種族――は大人しくダイスの行方を追っている。
腰で手を組み、もう雑音としてすら感知しなくなった喧騒の小さな渦たちを一つ一つ検分していく。テーブルを指先で叩き、モールス信号を送るような連中はこんな時間には現れない。ド素人、ブラックジャック6番テーブル、高いのか安いのか微妙なスーツの後姿。グラタンでクレームがついたとき、頭に叩き込んでおいた顔を認識したCは、どこで散財するか無駄な思慮を重ねる人ごみの間を、泳ぐようにしてテーブルへ近付いていった。もちろん、誰かの肩にぶつかったりするような無様な真似は一度としてしない。
きつい香水を纏うギャンブラーの肩越しに見た飾りの藤棚の貧相さ、これも近いうちに改装しなくては。あまり趣味が良いとは言えない。自分がオーナーなら、一番に撤去させるのに。背の高い女の後ろに身を紛れ込ませ、更に観察を続ける。
泣き笑いの表情を浮かべる男は、半ば愚痴るようにしてディーラーへ言葉を投げつけていた。テーブルにいるのは彼一人で、オーディエンスすら見えない。その席だけがスポットライトに照らされているように思えるのはC一人だけであることが救いだった。客はまだ、自分の金を増やすのに一生懸命で、眉を顰める暇はないようだ。
新手のイカサマかと念のため眼を凝らしても、やはりその顔に見覚えはない。カジノそのものに慣れていないようにすら思える。きっちり留められたスーツのボタンに納得し、通りがかりのウエイトレスに無言で注意を促した。ブラウスのボタンを閉めなおす時の慌てぶりに満足し、Cは大きな音を鳴らしたスロットに一瞬だけ視線を走らせた。白髪の老婆、問題ない。スロットマシンは細工をされやすいから、もう少し監視員を増やす必要がある。
「だから、俺の女が」
作品名:しっぽ物語 5.眠りの森の美女 作家名:セールス・マン