miscellany
菱形の窓、西の空
「どうして泣いてるの?」
「え?」
不意に、彼は尋ねた。俺ははっとして声の主を振り返る。いつから彼はそこにいたのだろうか。
「何かあったの?」
ゆっくりと伸びて来た白い手の指先が、優しく俺の頬を拭う。この時初めて、俺は自分が涙を流していたのだと知る。
「あ……れ……?」
俺なんで泣いてんだろ……。
自覚した途端悲しくなって、涙の量が益々増えた。そんな俺の様子に、彼は慌てる。
「ちょっ……ヒシくん? 大丈夫?」
俯く俺の顔を覗き込んでは、子供にするように俺の頭を撫で続ける彼の心配そうな表情に、愛しさが込み上げる。
好きだったんだなって思う。今でも諦められないんだな、俺は。
少しでも傍にいたくて、“友達”というポストに甘んじていたけれど、やっぱり俺はどうしてもこいつが好きなんだ。
「ヒシくん……?」
「何でもないよ、ニシ」
強がって、笑ってみる。涙はまだ出ていたかもしれないが、甘えてなどいられないのだ。
彼は昨日、告白されたらしい。相手は学校一の美少女だと言われている子だった。
所詮叶うはずもない恋だ。彼が幸せになれるなら、もうそれでいいじゃないか。
俺は制服の袖で、乱暴に涙を拭った。西陽が朱く、放課後の教室を照らす。他所では見ない菱形の窓縁が、ステンドグラスのような効果を齎す変わった窓だ。
「……で、ごめん。お前何か話したい事があったんだよな」
話があると彼が言うから、彼が委員会を終えるのを待っていた。それなのに独りきりになった途端、ニシのことを思い出して泣くとか……。何か凄く恥ずかしくなってきた。
俺は陸上部の練習を見る振りをして、彼から視線を逸らした。
「何だよ話って」
「うん……」
彼の声が揺れたのが解る。何かを躊躇っているらしい。
「ニシ?」
「ヒシくん、俺ね……」
「うん」
「昨日、女の子に告白されたんだ」
知ってる、とは口にしなかった。彼の口から直接それを聞いた事で受けたショックの大きさに狼狽えて、すぐには声が出なかった。
彼は続ける。
「凄く一生懸命で、好きって気持ちも凄く伝わってきて、だから俺」
――迷ったんだ。
彼は絞り出すように言った。凄く迷ったのだと。俺はまだ、彼の顔が見れない。
「ヒシくん。……俺ね、ヒシくんが好きだよ」
その一言は、聞き間違えかと耳を疑った。同時に彼の顔を仰ぐ。
「な、に……?」
「ごめん、気持ち悪いよね。でも本当に好きなんだ」
何処か縋るような瞳は、けれど真剣だった。心が、揺らぐ。
「何それ、冗談?」
「違うっ!」
ああ、神様。彼を諦める決心をしたばかりなのに、何故今更になってこんな事態を引き起こすのですか?
俺は彼に背を向けた。止まった筈の涙が、また溢れ出してくる。
「好きなんだ。でも男同士だし、俺どうしたらいいのか解らなくて……」
彼の言うその不安は、俺にも覚えのあるものだ。こんな不毛な恋を、自分はいつまで続けているのかと嘆いた。
「ヒシくん、ごめん。怒った?」
何故お前が謝る。何故俺が怒らなきゃならない。
「何だよ、もう……」
思わず口をついて出た呟きが、震えていた。
「ヒシくん?」
それを訝しんだのだろう。彼が俺の前に回り込んできた。咄嗟に顔を伏せる。けれど、時既に遅し。
「――どうして、泣いてるの?」
もう、駄目だと思った。彼の気持ちを聞いてしまった今、隠し通すことなど出来なかった。その必要すらない気がした。
「ニシ……」
「ん?」
不安そうな、心配そうな、情けない顔。
ニシ、俺のためにそんな顔をするお前が、俺は堪らなく――
「好きだよ」
「え……」
彼は驚きに目を瞬いて、けれど次の瞬間には口許を綻ばす。西陽の様な温かな笑みが、今俺だけに向けられている。
指の長い彼の掌が、再び俺の頭を撫で始めた。
「好きだよ、ヒシくん」
「解ったよ、もう」
俺は止まらない涙を必死に拭いながら、彼の優しい声を聞く。ぶっきらぼうに応えてみても、嬉しさの方が勝った。
「俺もお前が好きだよ、ニシ」
西陽が朱く、放課後の教室を照らす。温かなその菱形の中で、俺と彼の影が一つに重なった。
END
作品名:miscellany 作家名:やまと蒼紫