邪剣伝説
答えたのは、相棒であり親友であるリィン・ガナード。モミジと同じく下級騎士であり、やはり同じくこの執務室で待つように命じられていた。
両者ともに、この場所に呼び出された理由は知っている。今朝がた、通達と共に辞令が、それぞれに住まう寮に届いたからだ。
――――コクエ・モミジ。リィン・ガナード。双方を中級騎士への昇格を任命する。
「モミジ君は昇格するの嫌なの?」
「俺達、訓練校を卒業してからまだたったの一年の新人だぜ? 何度も言う様に早すぎだって言いたいんだよ。ペースってものがあるだろ、ペースってのが」
「これが私達のペースだと考えれば良いじゃないのかな」
「こんなペースで偉くなってちゃ、将来は大司教様だぜ? 俺はもうちょっとのんびりだらりと偉くなりたいよ」
――――好都合と言えばそうなんだけどな。
心の内を正直に告白すると、この昇格はモミジにとっては好機だった。
彼が騎士団に入った目的は、最初から最後まで第七支部に保管されている《七剣八刀》だ。数ある魔導器の中で最強の部類に入る始原の理器(エルダーアーク)の一つ。
今はまだ、急ぐ必要はない。肝心なのは、遠からぬ未来(さき)に訪れるだろう『決起』の時に、いかに確実に《七剣八刀》を手に入れられる事。地位が少しでも向上すれば、目的の物に近寄る口実が出来る。保管庫の警備や、《七剣八刀》を封印しているであろう魔導器の性能を把握するには、何かと都合がよい。それだけに留まらず、高い地位にいればそれだけ気密レベルの高い情報を入手できる可能性だってある。
ただし、懸念すべき問題はあった。
早すぎる出世。高すぎる功績。優秀すぎる実力。これらすべては、確実に注目の的になり得る要素だ。少なくとも、この第七支部に所属する騎士らからは、関心を集めているだろう。注目を集めるとはつまり、自分を見る目を集めると言う事だ。言い換えれば、何かしらの行動を起こせば誰かしらに見咎められる可能性が増すのだ。もし万が一《七剣八刀》の周囲に探りを入れてる事が誰かに発覚すれば、以降の行動が取りにくくなる。
(気分は他国に侵入した軍事スパイだな)
肝心なのはバランスだ。人の関心を集めない程度に功績を残し、不自然にならない程度に地位を上げていく。これ以降は特に、力の入れ方に注意が必要だ。
「モミジ君、難しい顔してどうしたの?」
思考の深さが顔に出ていたのか、幼馴染が首をかしげている。
「……や、何でもねぇ。ちょいと今日の晩飯の事を考えてただけだ」
「そっか」
思いついたように、リィンが提案した。
「じゃぁ、今晩は一緒に何か食べに行かない? 私達の昇格を祝ってさ。ほら、最近忙しくて仕事以外じゃ一緒にいられなかったでしょ」
「そいつぁ妙案だな。今日が無理でも、近いうちにどっかに飯を食いに行くか」
「やたっ」
嬉しそうに、リィンはその可愛らしい顔立ちに可愛らしい笑顔を浮かべた。
「そんなに喜ばんでも。飯ぐらいは何時でも付き合ってやるっての」
「だって、楽しみなんだもん」
心の底から相手を信頼しきっているまっすぐな瞳を受け。
モミジは自分の卑しさに吐き気を催すほどの嫌悪を抱いた。
リィンは幼馴染だ。自身以外の身寄りの無い天涯孤独の二人は、同時期に同じ孤児院に入り、数えればかれこれ十年以上も一緒に過ごしている。
――――親しくなったのは、リィンがいじめから助けたのが切欠だ。
二人が入った孤児院が女神教が支援しており、その場所の決まりとしてある一定の年齢に達すると院生の全てにある義務が課せられる。魔導器の適正検査だ。
魔導器とはいわば、魔法使いの杖。魔力と呼ばれる特殊なエネルギー波長を取り込む事によって、物理現象を無視した超常現象を引き起こす力を持っている。封印騎士団はこの魔導器を持って、人類の天敵である《災厄種》を討伐するのが大きな使命だ。
ただ、天然の魔力とは、それ単体では現実世界に殆ど存在しない。空気中に介在する非物質的存在――魔素と呼ばれる粒子を圧縮し、凝固させて初めて魔力として存在する。時折、魔素を吸収して魔力を精製する特殊な鉱石が土壌から発掘されるが、これは希少価値が高い。《魔晶石(クリスティア)》と呼ばれる石なのだが、これは一般的に供給するには生産効率が悪すぎる。使用するには都市間移動用列車の機関部や、それに類する大型機械のみだ。
《魔晶石(クリスティア)》よりも普遍的に魔力を精製する事が出来るのは。『魔法使いの杖』と呼ばれる言葉の通り、魔法を使う為の適性を持った人間である。彼らは《魔晶石》と同じ性質を持つ『魔晶細胞(ルーン)』を体内に持ち、魔素を呼吸器官や表皮から取り込む事によって、魔力を精製できる。
孤児院における魔導器適正の義務はこの『魔晶細胞』があるかどうかの検査を行う事だ。別に、魔晶細胞があるから、将来は強制的に騎士団に入らなければいけない、と言うわけではない。あくまで『進路の一つを増やす』と言う目的の元でこの検査は行われている。
そして、リィンが規定年齢になり、他の院生と同じように適性検査を受けたのだが、成績は他の子を遥かに凌ぐ優秀な結果だった。
適性とはつまり、他よりも少ない魔素で高い魔力を得られる者の事を指すのだが、同じ魔素の吸収量でも、リィンは他の三倍からそれ以上の魔力を精製する事が出来たのだ。優秀を通り越し、ある意味では異常な数値だ。
そこからは想像に難くないだろう。飛び抜けた才能は時に、不幸を招き寄せる。子供の世界では特に、始末の悪い事に孤児院と言う狭い空間とも相まって、リィンが孤立するのは時間の問題だった。
奇しくもそんな彼女に救いの手を差し伸べたのが、当時新しく孤児院に入ったばかりのモミジだ。モミジはリィンとは逆に、並みの半分以下の適正――つまり、同量の魔素でも通常の半分以下の魔力しか生み出せない才能だった。にも関わらず、モミジは異才とも呼べる力を持ったリィンを、容赦なく迫る虐げから守ったのだ。
それから十年。二人は同時期に孤児院を出て封印騎士団に入り、ともに任務に就く様になった。
(――――最悪だな、俺は)
十年前の事を後悔した事はない。
それまでは仲の良かった筈の孤児院の子供たちは、まるで化け物であるかのようにリィンに接していた。モミジが初めてリィンに出会った時、彼女は肉体的にも精神的にも既に追い詰められいた。あのままでいれば、遠からず内に限界が訪れ、間違いなく心が崩壊していただろう。
だからこそ、今まさに彼女が自分の隣で笑っていられる事が幸いだ。救ったなどと偉そうなことを言うつもりはない。それでも、彼女が笑っていられる未来(いま)を作る手助けが出来た事だけは誇れる。
(その笑顔を裏切るのは、他でもない俺自身であろうに)
いずれ、自分は『裏切り者』として騎士団を脱する。自分が己自身に命じた役割を成す為に。その時、リィンは何を思うのだろう。怒りか、悲しみか、憎しみか。
なるべくなら、自分(モミジ)を憎んでほしい。
一片の同情も無く、慈悲も無く、憎悪してほしい。そして、叶うならば彼女(リィン)を支えてくれる者が存在してくれる事を願う。自分を憎むほかに、リィンが他の誰かを愛する事が出来る未来があってほしい。