邪剣伝説
男が言うのと少し遅れて、行者台と客室を繋ぐ小窓からコツコツと叩く音。男が小窓を開け、行者に問う。
「どうした?」
「どうやら、『封印騎士団』の方々です。何でも検問を敷いている様でして」
「こんなわき道にか?」
「ええ…………どういたしましょうか」
「分かった。とりあえず私が出よう」
小窓を閉じると、男は室内に向き直る。
「少し失礼します。なに、直ぐに終わりますよ」
一礼すると、客室の扉を開き、表に出る。
外には、台から降りた行者と、その隣には白と青の色合いの制服を纏った者が数人。
「お待たせしました」
「いえ、こちらこそお時間を取らせてすいません」
礼儀正しく返す制服姿の青年。
「で、どのような御用件で?」
「最近、封印騎士団に反逆を企てる狼藉者がおりまして。付近の街の情報を集めた所、どうやらその物がこの道を通る可能性が出てきたのです。その為、こうして検問を敷いている訳でして」
「反逆? 何やら物騒ですね」
詳しく聞くと。
「ええ。私も詳しい話は聞いてないんですが、何でもある支部の宝物庫を襲撃し、騎士団が保有していた希少な魔導器を強奪したらしい、とか。その支部は半分ほど壊滅し、怪我人も大量に出たとかで」
「それは恐ろしいですね。なるほど、犯罪者であるならば、表通りではなく、わき道を選ぶだろうと踏んだのですね」
「その通りです。聞けばこの道は、たまに一般の方も通るらしくて。お手数をおかけいたします」
「いえいえ、あなた方が職務を全うしてくれる事が我々にとってはありがたい事なのです」
「そう言ってくれると助かります。では、失礼ながら馬車の内部を改めさせてもらっても宜しいでしょうか?」
「はい、構いません。まぁ、大丈夫だとは思いますが」
「ちなみに、中にいらっしゃるのは?」
「私の妻と娘です。それと、先程災厄種に襲われた時に助けていただいた旅の方が一人」
「災厄種ですか……よくご無事で」
「本当に、あの方が助けてくれなかったら危なかった」
「それでしたら、我々からも一つお礼を言いたいところです。我々の仕事は災厄種の討伐ですから、それを代行してくださった方に感謝したい」
「あなた方からそう言われると、彼も喜ぶでしょう」
男は青年を背後に、扉を開けた。
「――――おや?」
男は目を瞬かせた。
客室の中には、妻と娘がいるだけ。命の恩人である彼の姿は何処にも無かった。
「なぁ、あの人は何処に行ったんだ?」
妻に問いかけると、彼女もハッとした表情になる。
「まぁ、いつの間に……。さっきまでは確かにいらっしゃったはずなのに」
狐につままれたような顔付になる二人だったが、それまでアヤトリに夢中になっていた娘が顔を上げた。
「お兄さんなら、お父さんが出てった直ぐ後に出てったよ」
「なんと…………気が付かなかったのか?」
頷く妻。
「お兄さんね、『売った恩は地獄の果てまで追い掛けて返してもらうので忘れるなよ』って言ってどッか行っちゃった」
至極物騒なセリフが、可愛らしい声と共に奏でられた。
後になって気付いたのだが、馬車に乗っていた誰もが、青年の姿を覚えていなかったのだ。助けられた事、話した事、少女がアヤトリを教えてもらった事全てを鮮明に覚えているのに、彼の容姿や声色に限って、ぼんやりとしか思い出せなかったのだ。
その馬車から離れて百余メートル。脇道の更に脇に茂る木々の一本。太い樹木の枝に腰を掛けている者の姿があった。誰でもない、コクエモミジである。
「こんな変化球な場所にまで封印騎士団(やっこさんがた)が出張ってくるとはなぁ。ちょいと油断したぜ」
モミジは商人の男が首をかしげながらもやがて客室に戻り、馬車が動き出すまでをじっと眺めていた。騎士団の者も少し不審に思いながらも、問題無いと馬車を通す。
「ホッ、よかった――――」
胸をなでおろすモミジ。認識阻害は使っていたが、万が一もあったからだ。
さてとと腰を掛けていた枝から飛び、樹木の上を目指す。軽快な足取りで枝を蹴って行き、足を掛けられる枝の最上に飛び移ると、茂る葉からひょっこりと頭を出し、遠方を見据えた。
視線の先の先、視界が薄らになるぐらいの距離の果てに、建造物の群を見つける。次の目的地だ。規模はそれなりにあり、都市とも呼べる広さだ。
「あーあ、まだ結構あるなぁ。出来りゃもうちょい相乗りさせてもらいたかったところだが…………まぁ、贅沢は言うめぇ」
木の頂上から飛び降りる。全長十メートル程のある木の上から身を投げるのは、一般人ならば自殺行為――とまではいかずとも、骨折は必至の高さだ。だが、モミジはタンっと軽快な足取りで見事に着地。もちろん、怪我などある筈も無かった。
「表街道を歩けば人目に付くし、検問に一々反応しなけりゃならんし、移動手段も限られる…………。せめて早い足でも調達出来りゃ異動時間を短縮できるんだろうが……今の文明レベルで個人所有できる便利な足がなんざないか」
遠方にある都市を目指し、徒歩を開始したモミジ。呟きをよくよく聞けば、かなり危なげな認定を受けている様な者のセリフだ。
それもその筈。
コクエモミジは、世間体から言えば大悪党である。
何せ、世界で有数の領土を誇り、世界的に布教している〈女神教(セーナ)〉の大本山である〈リーンスィール〉から指名手配を受けている大罪人である。
罪状は女神教の所属組織である〈封印騎士団(ルーンナイツ)〉が保有していた神具〈始原の理器(エルダーアーク)〉を盗み、更にはそれが保管されていた支部を壊滅の一歩手前に追いやり、なお且つ封印騎士団の騎士多数に代償なりとも怪我を負わせた、窃盗罪と器物破損罪と傷害罪。ついでに女神教に反旗を翻した反逆罪もプラスされる。
《フィアース》。複数からなる街道の交錯点であり都市間の中継地点としてだけではなく、他の街から流れてくる珍しい品を買い付けに来る貿易商なども訪れ、交易の街としても賑わいを見せている街だ。
「――中々に美味いね、これ」
異邦人で賑わう大通りを見渡すモミジは、手元も果物をしゃくりと齧った。
道行く人を目当てに開かれた出店の数はかなり多い。異国の食べ物や、色鮮やかな石を使った細工、変わった趣向の物珍しい衣装が店に並び、街に立ち寄ったのであろう旅人が店頭に並べられた品々を物色している。あの中には、純粋に品を楽しんでいる者もいれば、商売として品定めをしている者もいる。
モミジの手にある果物もそういった出店で買った品だ。十分な水分を含んだ果汁の甘さが、喉から躰へと染み込むようだ。
さて、モミジは犯罪者であり、指名手配犯なのであるが、素顔は隠さず堂々と晒していた。これだけ人がいれば、一々人相の確認などしていられないだろうし、ここは旅の者が集まる宿場の街だ。様々な都市からやってきた衣装様々な人間が入り乱れる。逆に素顔を隠してこそこそしていた方が目立つ。枝を隠すなら森の中。人を隠すなら人混みの中、である。