邪剣伝説
――――だが、『納得』は御免被る。
飛び出しかかった言葉を、どうにか飲み込む。
これ以上彼女を刺激するのは得策ではない。現段階ならまだしも、今後の計画に支障をきたす恐れがある。青年は、込み上げたドロドロとした感情を胸の奥に押し込む。
『彼女』の『殺意』が薄れるのを待ちながら、青年は建設的な思考を持つ努力をする。
(――――『彼女』の覚醒頻度が増えたのは、おそらく『彼』との共鳴だろうね。やはり『黒』と『白』は引かれ合うのか…………)
『彼』の事を想像するたびに、胸の奥が嫌な音を立てる。
…………ここで感情に走ってしまえば愚考を犯すのは目に見えている。極力心を平坦にし、機械的に今後の予定を再確認する。感情を『無』にするのには慣れていた。
(彼女が見た夢、おそらく他の端末から流れ込んだ情報だろう。とするならアズハスは聖剣の回収に失敗したのか。まぁ、『彼』が相手であるのならば、咎める事は出来ないか)
マイナス要素は存在していない。油断はならないが、『彼』に対する慢心はないはずだ。けれど、青年の心は未だに晴れない。
理由には見当が付いていた。
青年の心の中には矛盾があった。
時が来るのを待ち望んでいた心と、時が来るのを恐れていた心。
前者は願望で、後者は独占欲。
己の望みを叶える為に必要な要素は、己から『彼女』を奪う可能性を孕んでいる。否、『彼女』は己から奪われる事を望んでいる。『彼女』にとって、己は障害以外の何者ではない。
小さく、拳を握りしめる先に感情を込めた。
(――――手放してなるものか…………)
この時ばかりは、憎しみも嫉妬もなかった。
胸中に固まるのは決意。事を成し遂げる為の信念。
古に成し遂げられなかった悲願を、今こそ実現する。
地盤沈下が起こった区画の付近で発見されたレアル達は、意識を喪失したまま医療施設へと運び込まれた。とは言うが、支部は既にモミジの手によって壊滅させられており、収容されたのは街の大病院。レアル達の他に、モミジの手によって負傷した騎士達も大量に運び込まれており、病内はちょっとした混迷の中に有った。
「…………コクエモミジはどうしたんだ?」
病院の白いベッドで目が覚めたレアルは、先に目を覚ましていたリィンに訪ねた。気を失っている間に起こった簡単な経緯は既に聞き及んでいる。アズハスは席を外している。本部の方から連絡が届いてるらしい
「モミジ君の足取りは掴めてません。ただ彼の口ぶりから推測するに、この街における彼の目的は果たされたと見て間違いないと思います。おそらくこの街にはもういないよ」
「クソっ…………」
リィンの見解に、ベッドから上半身だけ起こしているレアルは膝に掛っている布団を強く握りしめ、悔しげに言葉を吐いた。
「また……逃がしたと言うのか」
「こうは言いたくは無いけど、相手が悪かったんですよ。悔しいけど、モミジ君は私達よりも一枚も二枚も上手です。真っ向から挑んだとしても勝ち目は薄い」
「結局、我々は奴の手の平の上で踊っていたにすぎないのか」
人の全力を、余裕で上回って行くあの青年に、憎しみを超えた憎悪すら抱きそうだった。
「それは言い方が悪いですよ」
苦く笑いながらもリィンは柔く否定した。
「モミジ君は人をからかうのは好きですけど、人を貶めて楽しむほどに捩じれた人じゃない。それはレアルさんが誰よりも知ってるでしょ?」
「だが、奴は私達を裏切った。奴はもう私達の知るコクエモミジでは無いッ」
まるで自分に言い聞かせるようだ。裏切られた事実を否定したい一心に声を荒げる風にも聞こえた。そんな彼女の声を、やはりリィンは首を横に振る。
「いいえ、違いますよ。モミジ君は何処まで行ってもモミジ君です。ただ、最初から私達とモミジ君とでは見ている場所が違った。それだけですよ」
戦う場になれば、モミジ相手にまったく容赦をせずに全力で魔導器を放ったリィンから出る言葉は、敵であるモミジを信じ切ったモノだった。
「…………どうしてお前はそこまで言い切れるんだ」
口にせずにはいられない。
「どうしてそこまで奴を信じる事が出来る」
「だって、私はモミジ君が大好きですから」
「――――はァ?」
スットキョンな声が口から出た。
「当たり前じゃないですか。モミジ君は小さな頃から私のヒーローなんです。私の将来の夢は、モミジ君のお嫁さんになる事ですから」
「な…………お前は」
明らかな矛盾だ。敵対している者に、偽りの無い恋慕を抱くなど。
「ですけど、私はまだ彼の行く道にはいけません。行く資格はまだないんです」
モミジは言っていた。
――――俺を助けるって事はつまり、人を傷つける手助けをするってのと同じ意味だぞ。
「ただ助けたいだけなのに、その為に全てを投げだせるほどに、私はまだ強くは無いんです。それに、今のまま彼の元に行っても私は足手まといにしかならない」
言葉の外に秘められた優しさを、リィンは見抜いていた。
覚悟も無く進めば、いずれは傷付き倒れる道をモミジは歩いている。そんな道に大切な幼馴染を道連れにしたくない。絶対に後悔するだろう道に連れて行きたくなかった。
「だったら、今できる事を全力でやって、強くなるしかないじゃないですか。後悔しても耐えられる位に」
「リィン…………お前は自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「もちろんわかってますよぉ。今の私には覚悟がないだけなんです。だったら、それが出来上がるまでに手っ取り早く強くなれる場所に身を置いていた方がいいでしょ?」
ゾクリと、モミジの本気を前にした時とは別の意味で、レアルの背筋が震えた。
リィンは頭の回転が速く、状況の分析能力に置いてはちょっとしたものだ。将来的には部隊を引きる程の能力を持っている。ただそれは、彼女の能力的な面だけに注目した話だ。
リィン・ガナードの根っこ。行動原理としての根幹に居るのは『コクエモミジ』なのだ。
彼への想いは酷く純粋で、それ故に危うい。優しい笑顔の下にあるのは、果たしてどのような思いなのか。レアルはこの時それを垣間見た気がした。
「あっ、この話はアズハスさんには内緒にしていてくださいね? 出ないと私、多分捕まっちゃいますから」
「こんな話……他の誰にできると言うのだ」
色々な意味で胸の奥が重くなり始めた時、病室の扉が二回ノックされた。
「失礼するよ」
聖騎士姿のアズハスが、断わりを入れながら入室してきた。彼の制服を見てレアル達はハッとした。起きたばかりのレアルはともかく、リィンもまだ病人服の半袖だ。上官相手にこの格好のままではまずいだろう。
慌てて部屋の隅に掛けられてある制服に手を伸ばそうとする二人だが、アズハスは手の平で制止した。
「構わないよ。二人とも病み上がりだしね」
「ありがとうございます」
「いいって。どうせしばらくしたら忙しくなるんだし、少しぐらい気を抜いてもいいさ」
忙しくなる――つまり、本部から次の命令が届いたのだ。
「はい、これが命令書ね」
小脇に抱えていた紙袋を手渡されると、レアルはすぐに封を切り中身を取り出した。リィンも目を通そうとレアルの傍によって命令書を覗きこんだ。
二人の眼が同時に大きく開かれた。