邪剣伝説
ディガルは高らかに叫んだ。
「私の犠牲は無駄では無い! 聖剣は私の魔力を得へ完成した。ならば、この聖剣を破壊する手立ては無い!」
魔導器では破壊する手立ては無く、物理的な破壊も不可能。これは複製とは言え、聖剣は女神が振るっていた神具。魔導器程の破壊力が無ければ傷も付かない。
「私の志を受け継ぎ、誰かが世界に救済をもたらすッ!」
「いんや。その目論見はここで俺がぶっ壊す」
ズンッと、モミジの内側から威圧感が増した。圧倒的な気配に、司教の心が圧迫される。この上まだこれ程の威圧を放てるのか。底知れぬモミジの力に。
この場で果てるとも、タダで死ぬには未だ早い。
「やはり貴様は教団にとっての――世界にとっての害悪だ。我が身は朽ちるとも、せめて貴様だけはこの場で葬るッ」
もはや躰の半身を白い結晶と化した司教が、立ち上がった。もはや崩れる寸前の肉体に鞭を打ち付け、渾身の力で立ち上がる。
「死期を早めるだけだぞ」
「どうせ我が身も殉教の身となる。ならば、遅いか早いかなど問題無いわッ。聖剣よ、女神よッ。汝の僕にどうかお力をお貸しください! 世界に盾付くがいある者に裁きの鉄槌を下す為に、私に力をッ!」
司教の叫びに答える様に、聖剣が純白の輝きを放つ。輝きが増すにつれて、司教を蝕む白化は速度を上げていく。
「どうか、どうかッ! 我らが仇敵を滅する為のお力をッ!」
白の浸食に構わず、ディガルは心の底から純粋に、聖剣に願いを託す。
――――目の前の敵を屠る力をッ!
純粋な願いとは単純だ。単純が故に強固で頑強だ。一つの志の為に全てを削ぎ落し、我が身すらも削り、一つの願いに全身全霊を掛ける。
「どうかッ、どうか我が願いを――――」
最後の言葉は途中で途切れた。白化が顔にまで到達したのだ。口が白化で固まりそれでも最後の最後まで、ギラギラと狂信に輝く双眸は、憎悪をこめてモミジを睨みつけていた。
数百にも及ぶ犠牲者を生み出した、教団司教ディガルは全身を白化させ、この世から消滅した。後に残ったのは、純白に染まった白の彫像だけだった。
敵は完全に自滅し、白化し命を断得たのに、モミジは一分も気を緩めなかった。あたかも、これからが本番だと言わんばかりに。
「馬鹿野郎が。最後の最後で人間まで止めやがって」
司教の姿をした彫像を睨みつけるモミジの眼には、愚者を見る眼差しと、死者を弔う憐憫があった。出会う形さえ違えれば、もっと早く出合えれば、彼は愚かな選択をせずに済んだのかもしれない。
どうしようもない後悔は、けれどもモミジは決して目を反らさずに胸に刻んだ。
そして、キッと白の彫像を見据えた。
「…………出てこいよ。そろそろ終幕(フィナーレ)と行こうぜ」
誰も聞く筈も無い語りかけに答えたのは、白の彫像に生まれた亀裂だ。司教の丁度眉間から生まれた罅割れは徐々に範囲を広げて行き、時を置かず全身に行き渡った。
卵の殻を内側から破る雛の様に、崩壊する司教の彫像から、『それ』は現れた。
『それ』を形容するなら、辛うじて人型だ。司教の体格を似せた長身と四肢で在り、けれどもそれは全て白い光で構成されていた。ただ人と明らかに違う点と言えば、背中から突き出した二枚一組の突起だ。
まるで、鳥のそれを思わせる、純白の翼。
究極の清涼が、究極に醜悪であるのを思い知らされる。光の人型から――その翼から発せられる神々しい気配は一切の汚れを許さず、淀みを許さず、歪みを許さない。
それ故に、命の脈動すらも等しく消滅する。
「『二翼』か…………この位なら早々に終わらせりゃ外に影響は出ないか」
影響とは、輝く人型の足元から広がる白い空間――白化現象が起こっていた。もはや、直せず触れずとも無機質に含まれている魔素すらも根こそぎ消滅させ、真の意味で白化現象を引き起こしているのだ。生身の人間がこの場に居れば、数秒と待たずに意識を喪失させ、やがては存在すらも白化し消滅する。
「『天使』を相手にするもはマジで久し振りだが――俺自身の調子を足すかめるには丁度いい相手か…………」
もはや出し惜しみはすまい。
正真正銘、現段階で持ちうる全人全霊を持って『敵』を滅ぼす。
「もう聞こえてないだろうし意味も無いだろうが――」
この世から存在を消滅させたディガルに対して。
「最後の最後に見せてやるよ」
モミジが携えていた長剣の鍔が、形状を変化させた。刃の根元がスライドすると、その部分に円形の穴が作られる。加えて、何かをはめ込むような小さなくぼみ。
「――――七剣八刀のもう一つの使い方って奴を」
モミジは右の腕から『七剣八刀』を外した。そしてそれを、剣の鍔に作った円形のくぼみに嵌めこむ。
白化の現象はもはやモミジの足元にまで届いている。このままでは遠からず、この空間全域を白化が犯し、あまつさえ外界にまで及ぶだろう。
「七剣八刀――過剰解放形態(バーストモード)」
始原の理器の腕輪が、光を放った。それまでのただの光では無い。矛盾した存在だが、漆黒の輝き。光を呑みこむ深淵の光が七剣八刀から溢れた。
一方で、モミジの意識は、深く深く沈んでいた。
やがて、己の内の底辺に到達した。
――――そこの広がるのは、海。
どこまでもどこまでも深く暗く淀み切った漆黒の海原。
モミジはその深淵の海にたどり着くと、指先を沈ませた。
途端に襲うのは、圧倒的な『情報量』。
心身ともに途方も無い程の付加が襲いかかり、一寸たりとも気を緩めればたちまち擂り潰されしまう。それでもモミジは漆黒の海から一滴だけ手に納めた。
――――ここは始原の海。
全ての色を混ぜ合わせればそれが黒へと変じる様に、ここには森羅万象(ありとあらゆるもの)が収束した可能性の海。穢れ切っているが故に、全ての可能性を内包した原初の源。この世のどこからもつながっており、けれども決してたどり着く事の出来ない境界の向こう側。
空気中に漂う魔素とは、言うなれば水蒸気だ。始原の海から漏れ出した魔力が気化しただけである。その始原の海に、モミジはアクセスしていた。
彼が求めるのは天使を――『白』を滅する為の『黒』
ありとあらゆる穢れを許さない『秩序』を崩壊させる忌わしき『混沌』の力。
終極の秩序が『破滅』であるのならば。
始極の混沌は『生誕』である。
モミジはその『森羅万象の根源』を現実に引きずり出す。
彼が無効化能力の状況下で魔導器を扱えたのは、彼が魔導器使いでは無かったからだ。
魔導器使いとは、空気中の魔素を体内に取り込み、体内中で魔素を生み出す。
モミジは、己の内側に有る『始原の海』から直接『魔力』をくみ上げる。
――――魔導士(コンダクター)。
その身に魔を宿し、魔を行使する者。七剣八刀を含む始原の理器(エルダー・アーク)を担う事を許される、人の形をし人とは非なる存在。
深くに沈んでいた意識を取り戻す。
躰には純粋な魔力が満ちている。全ての可能性を内包した混沌が溢れている
その『混沌』を、余さずに剣へと注ぎ込む。
モミジの全身から、漆黒の輝きが発せられた。黒塗りのコートはいつしかマントの様に変貌し、風も無く揺らめいていた。
そして、背中から延びるは翼。