邪剣伝説
まさか真正面からは無い筈だ。得物の差はもはや絶望的。正面から打ち合えば、百回あれば百回ともモミジ側が負ける。だからこそ、煙幕などと言う小細工を仕掛けたのだ。
空気が動いた。小さな風の流れであれど粉塵を吹き散らし、司教の視界が晴れた。
「正面突破ァァァッッ」
モミジは――――真正面から剣を振り下ろした。
一番小さな可能性であったが、司教は慌てなかった。振るわれる片刃の剣に対して、冷静に聖剣で受け止める。やはり、モミジの剣は聖剣と衝突した瞬間に半分が砕け散る。
ところが――――。
「まだまだァァアアアッッッ!」
短くなった筈の剣を更に振るう。無駄な事を、と内心につぶやきながらも、司教は再び防御の構え。と、そこで目を見開いた。半分に砕いた筈の剣が、既に元の形に戻っているではないか。あれほど瞬時に剣を再生できるのか。
重ねて振るわれるモミジの剣に対して、司教は防御を選択するしかない。得物の有利は変わらないが、それは得物に限った話だ。担い手たる司教は生身で在り、剣で切りつけられれば傷を負う。
そこからは、ずっとモミジの攻撃が続いていく。剣が砕けるのもかまわず、砕ける端から剣を再生し、攻勢に出る。ディガルはその対応に追われ、反撃もままならぬまま防御に専念する。
モミジが爆発に寄る煙幕を仕掛けたのは、不意打ちをする為ではない。不意打ちを相手の頭の中に根付かせ、次の一手を先手にする為。ディガルにコンマ数秒であろうとも『選択から行動』までの時間を遅らせる為だった。
「クッ…………いくら攻撃しても無駄だと分からぬのかッ!」
「その無駄な攻撃に手間取ってんのはどこのどいつだいッ」
攻撃は止まらない。留まるところを知らない。一振りの毎に剣速を増すモミジの斬撃を、ディガルはことごとく必死に聖剣で無力化していく。ここで、モミジの剣を受け止められないことが仇となった。何ら抵抗も無く砕けると言う事は、モミジの振るう剣を強引に受け止められない。無理やりにでもモミジの動きを中断させる事も出来ないのだ。相手の利点を逆に利用した、モミジの優勢。これで得物の差は限りなく少なくなった。
後に残るのは、両者の力量に掛っている。
「ほらほらどうしたいッ。御大層な剣の割には、使い手がなっちゃいないなぁッ」
「小僧がほざくかッ。調子に乗るなッ」
狡猾の差はモミジに軍配が上がった。一回り以上に若い青年の挑発と、有利な筈がいつの間にか不利の状況に追いやられた苛立ちが重なり、厳格たる司教も怒りを発してしまう。怒りは人に力を与えるが、制御を誤れば人を貶める諸刃の剣。柄を握る手に怒りが溢れ、切先が僅かにぶれる。相手が並の使い手ならば、それほどに影響の出ない範囲の隙。
そのか細い隙を、違わず狙い撃つ。モミジは、ありったけの魔力を剣に注ぎ込んだ。
濃霧な黒い霧が剣に吸い込まれ、鋼色をしていた刃が漆黒に塗り潰される。
――――ガキンッッッ!
憤怒の感情を乗せた聖剣の一刀はしかし、漆黒の剣に寄って受け止められていた。
「なッ…………馬鹿なッ!?」
「おおおおおおおおおおッッッッッッ!!」
司教の驚愕を打ち消す、モミジの気迫。受け止めた聖剣を力任せに薙ぎ払うと、司教の躰はがら空きになる。すかさず、モミジは漆黒の斬撃を叩きこんだ。
左肩から右脇へと袈裟に斬撃が穿たれる。鮮血が飛び散り、辺り一面に血の雨が降り注いだ。
「な…………にが……がはッ」
二歩三歩と後退し、司教は吐血に身を汚しながら膝から崩れ落ちた。頭の中には負傷に寄る激痛の他に、疑問が渦巻いていた。
「この剣(こいつ)がどうして消滅しなかったのか、知りたいかい?」
軽く肩で息をしながら、司教の心の言葉に答える様にモミジは言った。
「単純な物量の問題だ」
淡々と説明するモミジ。
「無力化能力で魔力が消滅するなら、それ以上の速度で魔力を充填してやればいい」
「そ、そんな程の魔力を……魔素をどこから…………」
無効化能力の力はけた違いだ。場に有るだけで周囲の魔素を打ち消し、どころか触れた魔素を根こそぎ消滅させていく。それを上回る量の魔力を生み出すには、膨大な量の魔素とそれを魔力に変換できる優れた魔晶細胞が必要となる。
(…………それなら……ば?)
この段階。勝敗が決した時点。
ようやく根本的な疑問に行き着いた。
聖剣の能力は、司教が聖剣を手にした瞬間からこの空間を支配していた。あの瞬間こそまだ魔素は残っていただろうが、時間が経過した今では絞りかす程度しか残っていない。
つまり、少なくともこの広間の魔素は消滅していた筈だ。
「貴様は……どうやって魔導器を発動させていたのだ……」
「っと、鋭いね。よく気が付いたな」
魔力は魔素を圧縮して生成される。であるならば、魔素そのものが無ければ魔力は生まれない筈だ。予め魔素を体内に保存しておく手もあるが、量は期待できない。魔晶細胞の身体活性は、魔晶細胞を取り込んだ際に強制的に行われてしまい、且つ後遺症の少ないドーピングと同じだ。大量の魔力を保持し続けるには躰に負担が大きすぎる。そして、七剣八刀ともなると消費魔力はけた違いだ。こうした観点から、空気中の魔素をどこかしらから補充しなければならない。
一つの疑問が連鎖的に別の疑問を浮かび上がらせる。
魔素が無い状況でどうやって魔力を生み出したのか。
魔素が無い状況でどうやって魔導器を発動させたのか。
けれども、疑問の答えに行きつく前に、制限時間が過ぎていた。
ピシリと、石に亀裂が入る様な音が、司教の右手から響いた。見れば、聖剣の柄を握っていた手が、石膏の様に白く変色しているではないか。
「こ、これはッ」
痛みを伴わない肉体の変化が、司教の躰を蝕み始めた。
「何を驚いてんだよ。白化現象に決まってんだろ。どうやら賭けはテメェの負けみたいだな。賭け金の回収はできそうにないがな」
それまでと同じく、勝ち誇りもしないモミジは、冷徹に白化していく司教を見下ろした。
「だ、だがッ。理論的にはまだ制限時間には余裕があったはず…………」
「阿呆が。聖剣(そいつ)は人間の脆弱な器で扱いきれるほどに簡単な代物じゃねぇンだよ。人様の思惑の遥か彼方を行くぜ。それが複製品であってもな」
既に白化は司教の肩口にまで到達していた。白化した部分が崩壊していないのは、骨の髄まで届く魔素の枯渇を、司教の精神力が必死に繋ぎとめているからだ。この性根の固さはさすがにモミジも驚嘆する。
「…………ったく、そんだけの根性がありゃぁ、聖剣なんぞに頼らずにどれだけの人間が救えたと思ってんだい」
「貴様に私の何が分かる」
「分かるわけねぇだろうが。今日初対面でロクな会話もせずにガチで殺し合ったんだ。ま、あんたの根っこが本気で腐ってるんじゃなかったのは、何となく理解できたがな」
彼は彼なりに世界を救済しようとしていた。その思い、その願いが、剣を交錯させた時に伝わってきた。
ただ彼は、途中で歪みを帯びてしまったのだ。
「つくづく因果だな。そう言う純粋な奴ほど聖剣の魅力に取り込まれる」
憎しみを抱き、外道と蔑んだ相手だと言うのに、モミジは哀愁を浮かべていた。
青年の浮かべた表情を果たしてどう受け取ったのか。