邪剣伝説
「到底間に合うまい。それよりも、目前の大事に集中をすべきだ」
一騎当千の反逆者よりも、懸念すべき事。
足音を響かせながら、司教は振り向いた。
「本部から来た聖騎士と言ったが――――」
「やはり、《神の剣(けん)》に関してかと…………」
「だろうな。聖騎士程の者がこのような辺境に訪れるには、それ以外にあるまい」
「おそらく、『不適合者』の残骸が発見された事が発端かと」
「『不適合』などと言う不名誉な呼び方をするでない」
ゆったりと、そして叱る様に言った。
「彼らは栄えある『殉教者』なのだ。母なる女神の為に身を捧げ、神聖なる大義の為に天に召したのだ。努々忘れるな」
「…………申し訳ありません」
跪く男は、更に深く頭を垂れた。司教の一句一句が重圧となり、男の上から圧し掛かっているかの様だ。
「……とは言うが、私とてこれ以上の殉教者は望まん。大事の前の小事であれ、多ければよい道理では無い。一刻も早く『神の種』の研究を完成させるのだ」
「ですが宜しいので? あの聖騎士は、この件に釘を刺しに本山から使わされたのでは」
司教の言葉に従うばかりだった男が、初めて異なる意見を述べた。
「反逆者の件もあります。おそらく、何かしらの理由を付けて司教様に謁見を申し出るに違いありません。他にも『あの区域』の隠蔽など…………」
「構わん」
一言で切り捨てた司教は、口を歪めた。
もし男が顔を上げていれば、そこに邪悪な笑みを見つけただろう。
「これは母なる女神が我々に与えてくれた好機だ。一刻も早く『神の剣』を完成させ、女神の威光をこの地に降臨させるのだ」
負傷したアズハスを連れて、レアル達は一度支部に帰還した。鎖骨を骨折させられたアズハスの治療には、強力な治療用魔導器が必要だ。レアル達の手持ちにあるのは、打撲や切り傷を治す程度で、骨を癒着させる程に強力な物は所持していなかった。
「…………随分と騒がしいな」
アズハスを医務室に連れて行ったあと、レアル達は現段階での報告書を提出する為に事務室に訪れたのだが。
今朝方に来た時には気が付かなかったが、支部の中はかなりの喧騒な雰囲気が漂っていた。もう夜分遅くになり始めた頃だと言うのに、怒声じみた声と人の行き交いが絶えまなく、忙しない空気に包まれていた。モミジの件で――と言うには、耳に聞こえる言葉の端々からは、それ関係の発言は聞こえてこない。
「何かあったんでしょうか」
「何かがあったんだろうな」
一見しても、どうやらこの忙しさは普通では無い。内部勤務の騎士達の表情は、どれもが焦燥が滲み出ている。嬉しい忙しさでは無さそうだ。
「この部署を統括している騎士に、報告書を提出するついでに話を聞こう。もしかしたら、我々にも協力できる事があるかも知れん」
「ですね」
この部署を任されていた上級騎士は、窓際の執務室で山積みになった書類を睨めっこをしていた。レアル達の姿を確認すると、手に持っていた書類を一旦机の上に戻した。
「ああ、御苦労さま。聖騎士殿は?」
「先程医務室にお連れしました。骨が一本折れただけで、特に深い傷はありません。魔導器の治療があれば一晩で治るでしょう」
「そうか。それはなによりだ」
「ここに書かれているのが私達の考えた、出来うる限りのコクエモミジへの対処法です」
レアルは数枚綴りの書類を渡すと、上級騎士に尋ねた。
「ところで、どうにも支部全体が騒がしいのですが、何かあったのですか?」
「え、ええ。まぁ。件の変死体の他にも…………」
歯切れの悪い上級騎士に、リィンが更に付け加えた。
「もしかしたら協力できる事があるかもしれませんし、お聞かせ願えませんか?」
「そんな、本部から出向している方に頼みごとなど」
「我々は確かに本部からの出向ですが、それ以前に『騎士』です」
レアルとリィンの現在の任務は、聖騎士アズハスの補助だ。アズハスがどのような任務を請け負っているのか、詳しくは知らされていない。ただ、アズハスはこの支部のトップである司教から『ある物』を受け取る任を任されているのだけは聞かされている。
しかし、現状ではその任務は先延ばしになるだろう。何故ならば、それよりも優先されるべき案件――反逆者コクエモミジがこの街に出現してしまったのだ。当分はこちらの追撃が最優先となる。
かといって、騎士の本分をおろそかにするつもりも、二人にはなかった。
騎士が存在する根幹意義は『無辜の市民』の守護だ。そこに助けの手を差し伸べる者がいるならば、騎士は迷わずその手を握り返す。レアルもリィンもそれを心得ていた。
「直接何かが出来るかも分かりません。ですが、先入観のない我々だからこそ分かる事実もあるかもしれません。話だけでも聞かせてもらえませんか?」
レアルとリィンの嘆願を聞き、上級騎士はしばらく考え込んでから口を開いた。
「…………実は、ここ数カ月の間に、市民の間に失踪者が続出しているのです」
「失踪者…………ですか」
「ええ。届け出が出ているだけでも百名近く。もしかしたらそれ以上の数が、この数カ月の間に行方を眩ませているのです」
「ひゃ、百名以上の行方不明者?」
リィンは事の重大さに驚いた。それが事実なら、大事件である。
「その後様子ですと、失礼ながらあまり手掛かりが無いようですね」
「お恥ずかしいながら。行方不明者の身元を洗ってみても、共通点どころか、どの時点で失踪したのかすら特定できていない。あまり言いたくは無いのですが、彼らの生死も判別できない状況です」
よくよく見れば、上級騎士の眼元には疲労濃い隈が刻んである。おそらく、この数ヶ月間、まともな睡眠をとっていないのだろう。それほどまでに切羽詰まった状況なのだ。
「更にその上、噂に聞く反逆者まで現れる始末。正直、我々の処理能力の限界を超えています」
「そうですか…………もし可能でしたら、失踪者のリストをこちらにも回していただけませんでしょうか。先程も言いましたが、直接捜査に参加できなくとも、新しい観点が生まれるかもしれません」
「…………分かりました。後でコピーを渡しましょう。実の所、藁にも縋りたい状況ですので」
そこから、この後に緊急の会議(無論、反逆者への対策内容で)の打ち合わせをしたところで、レアル達は事務室を後にした。
「さて、現段階で我々が出来る事は無いな。アズハス殿が治療を終えるまで待つか」
気を抜けない状況に変わりないが、一区切りにレアルは小さく肩の力を抜いた。
「あの〜、レアルさん」
「何だリィン」
見れば、同僚の少女が気難しげな表情をしていた。
「じ、実は私。さっきからずっと気になってる事があるんですよ」
「何か気が付いたのか?」
「気が付いたと言うかなんというか。行方不明事件とは関係ないんですが――――」
そこから続けられたリィンの発言に、レアルは驚くしかなかった。
「…………間違いないのか?」
「これまでの行動と幼馴染の勘から予測した仮定です。判断はレアルさんに預けます」
愚問だな、とレアルは即答した。
夜も更け誰もが寝静まり始めたそんな頃。
「――――廊下がある建物は、種別問わず夜は不気味だ」