邪剣伝説
それを、背後へと振り向きざまに投擲した。
放たれた短刀は共に人気も建物も無い空間を直進し、何もない筈の空中であらぬ方向へと弾かれた。
「でてこい、いるのは分かってる」
目の錯覚でないのを確信するモミジは、そこにいるべき姿の見えない人物に言い放った。視線は鋭く
「それとも、もっとでっかいのぶつけてやろうか?」
右手を真横に突き出す。長袖の裾から手首にハマる宝具――七剣八刀が覗いた。腕輪は主の魔力を取り込み、始動開始寸前に光を明滅させていた。
「――――驚きましたね。まさか仕掛ける前から気が付かれるとは」
虚空から――短刀が空中で弾かれた地点から、男の声が響く。続けて、空間が蜃気楼の様に揺らき、形を持った立体的な輪郭の線を作る。やがて現れるのは、モミジが予想した通りの封印騎士団の中でも限った物が纏う事を許される、白の制服を纏った青年だった。胸の高さまで持ち上げられた左手には指輪が嵌められている。おそらくあれが聖騎士の姿を消していた魔導器だろう。
「どうして僕がここにいるって気が付いたんですか?」
「悪いが企業秘密だ。強いて言えば長い年月を掛けて培った勘だ」
「勘で済まされてしまうと、少々自信を失ってしまいますね」
「そうでもないぜ。たかだか二十年弱の人生でそこまで気配けせりゃ上々だ」
「――――?」
「こっちの話だ、気にすんな」
口の中で「余計な事言っちまったな」と呟くモミジ。
「で、封印騎士団の聖騎士(エリート)様がなんの様でしょうか?」
「理由が分からない程に愚かではないでしょう」
「ま、それもそうか。下級から上級まで(そのたもろもろ)じゃ手出しできなくとも咎めは無いだろうが、さすがに聖騎士まで行くと無視はできねぇよな」
出来ない事を出来ないと言うのは道理だが、出来る事を出来ないと言うのは道理では無い。力を持ってしまうと、時に選択肢を狭める。
聖騎士がモミジを追ってきたのも、選択肢が狭まった結果だ。あの状況で、封印騎士団が追う最上級の犯罪者を相手に、本音はどうあれ建前として、聖騎士がむざむざと見過ごせるはずもない。従い人であるレアルやリィン達を連れてこなかったのは、余裕も無かったし足手まといだったから。
「んじゃ、質問を変えようか」
「僕に答える義務はありませんが?」
涼しい態度の聖騎士に対し、モミジは淡々と。
「――――聖剣のありかは何処だ?」
ポツリと。
「―――――――――………………」
青年は表情を変えず、下手な挙動をせず――それでも見逃さなかった。
「なるほどなるほど。てこたぁ俺の推測もますます確信が出てきたぜ」
――――騎士の瞳の奥がかすかに揺らめく瞬間を。
この世界で数ある名剣、魔剣があろうとも、『聖剣』と呼ばれる剣(つるぎ)はただの一つ。
古に邪神を撃ち滅ぼした女神が、己の分け身を武具とし剣として携えていた『白の聖剣』に他ならない。伝承によれば邪神との最後の戦いで砕け散り、失われたとされている。
「――――あなた、何者なのですか?」
青年の眉間に、微かに皺が寄った。最初の態度が僅かに崩れ、困惑の色を隠せていない。
「何者って、教団の宝物庫からお他から盗んだ悪党ですが?」
「とぼけないでいただきたい。聖剣(それ)の存在を知っているのは、教団の内部でもごく限られた者だけです。かつては騎士のひとりであったあなたでしょうが、たかだか中級ごときが知り得て良い情報では無い」
青年の、勘の良い物でも見落としてしまいそうな小さな動揺を、モミジは見逃さなかった。ただのあてずっぽうでは無く、冷静に事実を推測した確信。たかだか十七の若造に身につけられる洞察力では無い。
「だろうなぁ。教団にいた頃に調べたが、聖剣の現存に関する書物は一つも見つかんなかったからなぁ。意図して隠してんのか、隠す事が習慣になったのかは不明だが」
青年の表情に崩れ出た事に気分をよくし、モミジはクツクツと笑う。
「教えてくれてさんきゅ。これで後一つ確認できれば、行動に移せそうだ」
カマを掛けらたと青年が気付いたのは、この時だった。
「あなたッ」
「おいおい、そんなに怒るなよ。二枚目が二枚目半になるぜい」
街に着いてから早々に有力な情報が揃ってはいたが、どれもが決定的では無かった。
「お前さんがたがこの都市に来た理由は想像が付く。大方、件の変死事件が本部の方にまで届いたんだろ。聖剣の近くにあるなら当然、それの発生は予想される問題内の一つだ」
ただしあくまで『ありうる可能性』の段階。事件の変死体が、モミジの予想通りだったとしても、それが直接目的に繋がる訳ではない。目的が存在する可能性が上がると言うだけの話だ。大きく動くにもリスクには少々釣り合いが取れない。
そこにもう一つ、有力な情報が手に入る。青年の今の動揺だ。
「逆を言えば、『それ』が発生したって事はつまり、『担い手の選別』が行われている可能性が出てきた訳だ」
無論、断定の域にまでは後一つ届かない。青年の小さな動揺が、モミジが『それ』を知り得ていた事なのか、『それ』がこの街に存在するか、とは判断できない。
ただし、断定までは届かずとも、七割近くの確信はある。
最後のひと押しをする為のリスクを背負う価値はある。
「…………どうやら、あなたを野放しにはできないようですね」
「おやおや、最初からの野放しにするつもりなんざないだろうさ」
建前である事はモミジも承知していた。
聖騎士が件の事件の犯人を『モミジ』にしようとしたのには理由がある。大事の前の小事と言う言葉がある様に、モミジの捕縛や追跡よりも優先すべき事があるからだ。
おそらく現場指揮者に嘯いて見せた言葉は単なるハッタリで、内容の真否はどうでもいい。万が一モミジが実際にこの都市に訪れたとして、その場合に最前線で動かなくてもよい状況を作る為だ。動くのは現実にモミジが発見されたときのみ。その時以外は何の制約も無く自由に動けるように。
「あなたは女神様の築き上げた平和と秩序を乱しかねない」
現時点で優先順位が変わる。コクエモミジは女神教団に戦いを挑む、ただの犯罪者では無い。
女神教団の根幹を揺るがしかねない大反逆者だ。
――――この場で始末しなければ、取り返しのつかない事態を招く!
「アズハス・サインの名に賭けて、あなたを断罪するッ!」
バッと、外套が翻った。露わになった右腕には銀色の籠手が嵌められ、それが腰の柄に手が伸びる。
「断罪ね……裁けるもんなら裁いてみなァッ」
聖騎士――アズハス・サインは腰の両刃剣を抜刀すると、まっすぐにモミジに向けて奔る。なんの小細工も見受けられない、直線的な踏み込み。だがその速度はレアルの風を纏った疾風迅雷の動きに勝るとも劣らない。
対してモミジは両手を水平に、横へとそれぞれ伸ばし。
「七剣八刀――起動開始(オープンロック)――具現(ライズ)開始(オン)ッ」
鷲爪の様に開かれた両手の人差し指から小指までの、全ての間に剣の柄が現れる。計六本の柄を八本の指の間に握り締めると、柄の先から鋼の刀身が伸びた。通常の剣に比べて、柄の割合よりも刀身のそれが大きい、投擲に適した形状の剣だ。
「そいやぁあッ」