邪剣伝説
魔導器使いなら不可能な距離では無い。彼らに、人間的な限界は意味を持たない。
魔導器使いが体内に保有する《魔晶細胞》は魔素を取り込み魔力を精製する特質を持つが、その他にもう一つ。魔素を取り込むと周辺の細胞を活性化――つまりは身体能力を向上させる特質がある。脚力とて、常人の数倍を行く。
何よりも、『レアル・アルヴァス』であるならば、容易いだろう。
「コクエモミジィッ」
レアルの視界に、この場から逃げ出そうとする反逆者の背中が映った。
「待てッ」
刀を鋭く振るうと、刀の軌道から放たれた何かがバチンとモミジの足元を穿った。
「うぉおあぶなッ」
思わず足を止めるモミジ。続けて、しまったと顔を顰める。
「会いたかったぞ、コクエモミジ」
ナイフ越しでは無い、実際に口から発せられた静かな声。
両者の視線は真っ向からぶつかり合い、緊張感と呼ぶには鋭すぎる空気が張り詰めた。
「…………三ヶ月ぶりだな、レアル教官」
胸中の感情はさておき、モミジはまるで久しく会った友人に挨拶するように言った。久しいと言う事だけは両者の間で共通していたが、はたして友人と少々するには些か無理のある状況ではあったが。
「戯言を。貴様と私の関係は、その三ヶ月前で変わったはずだ」
教官と教え子から、互いを敵とする関係に。
「そうだったな。じゃ、なんて呼べばいいんだ?」
「どうとでも呼べ」
「じゃ、レアルと呼ばせてもらうぜ」
親しみを持って言ったのだが、レアルの表情は険しい。当たり前だ。
若干だけ落ち込むモミジだが、気を取り直して確認した。
「――――何時から気付いてたんだ? 気配の消し方には細心の注意を払ったつもりなんだがな」
一番最初に気が付くのならば、聖騎士であるアズハスと睨んでいたのだが。
「この場に入ってから、異様な空気を肌に感じていた。三か月前、貴様が化けの皮を自ら剥がした時に発したのと同種のな。もしやと思っていが」
一種の勘だろうか。あるいは――――。
「あのナイフを眼にした瞬間、貴様の存在を確信していたよ。あのナイフは貴様が『創った物』であろう事もな。三月(みつき)も顔を合わせていないのに、不思議な事にな」
悠長に語るが、そんな彼女に微塵の隙が無い事をモミジは知っている。彼の動きを指先のミリ単位の動作すら見逃さない気迫が、ありありと感じ取れる。
「さて私からも聞くが、この都市で起こっている事件とやらは、貴様の仕業か?」
「冗談。俺ァつい半日前にここに到着したばかりだぜ」
「事件関係ないというのか。ならば、何故ここにいる」
「ノーコメント。企業秘密って奴だ」
「そうか…………」
短く言うと、徐に彼女は刀の柄に手を添えた。右足を前に出し、腰を落した半身の構え。
抜刀の構えだ。
「何だい。他に聞く事はないのかい? 久々に顔を合わせたってのに。もっと話そうぜ?」
彼女が柄に手を触れた瞬間に発せられたのは、偽りの無い殺気。
捕縛する、無力化すると言う意識を完全に取り除いた『相手を殺すつもり』である気配が滲み出す。突き刺さりそうな空気を感じながら、モミジは世間話を続ける口調だ。
「――――個人的な意見を言ってしまえば、貴様の発言は信用に足るものだ」
「おいおい。俺ァ封印騎士団に反逆した大罪人だぜ? 咎人の言う事をすんなり信じちまっていいのかい?」
「私の知るコクエモミジは、戯言や言葉遊びを好む事はあれど、虚言や偽りを何よりも嫌う。その貴様が言うのだから、おそらく真実だろう。だが――――」
カチリと、鯉口を切る短い金属の擦れる音。
「貴様は嘘を言わなければ真実も言わん。ならば、これ以上問い質しても意味はない。何より、反逆者を捕える事に理由は必要無かろう」
「道理だな…………あ、一つ質問」
教師に問いかける生徒の様に手を上げる。
「お前さんがた、なんでフィアースなんて所に来たんだ?」
「知らん」
短くバッサリと切られる。
「し、知らんて」
「我々は有事の時に際する聖騎士の護衛だ。それ以上でもそれ以下でもない。それより、そろそろ戯言を終わらせてもらうか?」
「や、わりかし真剣に聞いたつもりなんだが――――なッ!」
困った様に頭をかくモミジは、その後の動きを『本能』に強制させられた。
甲高い金属音に合わせて火花が散り舞う。
「…………相も変わらず滅茶苦茶な踏み込みだな」
「そういう貴様こそ、この速度に反応するか」
会話は至近距離で行われていた。まさに刹那とも呼べる間に、十足程度は会った距離が零となっていた。驚くべきはその踏み込みの速度を成し得たレアルか、その踏み込みから繰り出された彼女の『居合抜き』を、逆手に構えた『剣』で防いだモミジか。
一秒足らずの鍔迫り合いの中、レアルは既に次の一手を打つ。予め体内に蓄積させていた魔力を、得物に注ぎ込む。
レアルと刃を噛み合わせる最中、モミジは背後で風が動くのを察知。空いている方の手中の『剣』を、振り返らずに迫りくる『刃』へと叩き付けた。手に固い物を粉砕する感触が伝わり、直後に霧散する。髪の毛の先端数ミリが分かれて散ったのは余波に煽られたからだ。
「らしくないな。小細工なんてあんたの性には合わないと思ってたけど」
「自分でもそう思うさ。だがな、貴様を相手にするには、色々と細工が必要だ」
声が聞こえたのは遠くから。モミジの注意が背後へ向いた瞬間に刀を引き、間合いを多く開いたのだ。あのまま鍔迫り合いを続けていたら危険だと判断したのだ。ただ、普通に剣を弾き返すには、レアルとモミジの間には技量の差がありすぎた。両者の言う様に、らしくも無い小細工に頼らなければ、レアルは刀を押す事も引く事も出来なかった。
「聞くまでも無いが、やる気満々だな」
「当たり前だ。この三ヶ月、貴様を倒す事だけを考えて過ごしてきたからな」
シチュエーションさえ違えば、男冥利に尽きるセリフ――にはならなかった。あからさまに倒すと明言している。
「若いんだから、もうちょっと他の事も考えようぜ?」
「誰のせいだと…………思っているッ!」
怒りをあらわにしながら、レアルは魔導器を起動し、全身に旋風を纏った。持ち手の速度を劇的に上げる使い方だ。疾風の踏み込みを持つ者が使えば、その速さはまさに迅雷と化す。
「――――――ッ」
地を蹴り、直後にはモミジの背後で刃を振り抜く彼女が姿を表す。電光石火のスピードで、レアルはモミジに一刀を見舞っていた。
だが、柄を握る手に残るのは、生身ではなく金属を叩いた痺れ。モミジが握った両刃の長剣が刃を阻む。
「色々と悪かった、とは思ってるが」
手応えと気の無いセリフが、今の一撃が完璧に防がれた事を証明していた。斬撃を受け止めるタイミングと力加減。剣の何処で受けるべきかを配慮した見事な防御。
「こっちにものっぴきならない事情ってのがある」
「クッ…………」
振り向く先にあるモミジの顔には、焦燥感を微塵に感じられない。余裕すら感じられるそんな態度が、レアルの神経を一層に逆撫でする。
表情に険しさを増す一方のレアルに対し、モミジは困ったように息を吐いた。