この手にぬくもりを
疑念
昭和四年五月五日。
「その場所」であるという小さな標の前に、喜久子は立っていた。
一生、来られるとは思っていなかった場所だった。だからこそ求めていた場所でもある。
それが叶ってしまうことに、喜久子は恐怖を覚えた。どうして恐ろしいのかは分からない。ただ、漠然とした不安が、警鐘を鳴らしていた。
冷たい風が吹き、雲行きも怪しかった。遠くで雷の音が聞こえる。
風の冷たさは気にならなかった。三月七日はどうだったのだろうと、冷えた体に思いは深まる。
恨んでいたはずだった。忌まわしい場所だと思っていた。
「お父様、喜久子は今ここに立っています」
心の中でそう呼びかけて目を閉じると、涙がこみ上げてきた。
何も見えない。何も変わらない。
喜久子がここへ来たところで、父は何も答えてはくれない。
それでも喜久子は、その標の前を動けなかった。声をあげて泣きたくなるのを、ぐっと耐えた。しかし涙は止まらない。
「降ってくる前に、行こう」
夫がそう言って肩を抱いてくれるまで、喜久子は父の前で泣き続けた。
泥濘にはまり捨ててきた馬車まで、畑の畝を延々と歩く。両脇に広がる畑も、雨を含んで黒ずんでいた。
それでも、空も大地も、広い。
不安になる広さだった。見上げると切なくなる。吸い込まれるような、そのままひっくり返ってしまうような。
喜久子は黙って、板垣の奉天会戦時の思い出話を聞いていた。
この日彼は、珍しくよく喋った。気遣われているのが分かって、喜久子は胸が痛かった。
馬車にたどり着くと、待ちかねたように雷鳴が轟き、雨が降り出した。走り出した馬車は、一刻もしないうちに車輪が埋まり、止まってしまう。
動いては止まりを繰り返し、奉天市内に戻った時は、日が暮れていた。
泥だらけになって家に帰れば、引越の荷物が積み上がっていて、ゆっくり休むどころではない。
両親の帰宅に喜んでまとわりつく子供達を一人一人抱き上げながら、板垣が言った。
「温泉にでも行こうか」
「……温泉?」
相変わらず唐突なので、喜久子は思わず聞き返す。
「湯崗子。奉天に来る時に通っただろう」
喜久子は黙って頷いた。満州の中でも有名な温泉地なのだという。
「あなたもいらっしゃるんですか」
「……喜久子だけの方がいいかい?」
板垣が笑って言う。
「違います、そうではなくて」
慌ててそう叫んだ後、喜久子は我に返って赤面した。
分かっていると言わんばかりの笑顔。嬉しい反面、何もかも見透かされているようで恥ずかしくなる。未だに恥じらいなどを持っている自分も、どうかと思う。
最近の喜久子の悩みは、その辺りにあった。
事あるごとに、きっと呆れられているに違いない、早く大人にならねばと思い続けて、何年経ったろうか。
どれだけ年を重ねても、何も変わっていない気がする。ただ流されて、必死で、意識は十年前のままだ。
十年前の予定では、自分はすっかり「大人」になっているはずだった。結婚をして、子供を産んで、育てている。それだけで、その経験だけで、大人になれるのだと信じていた。少なくとも、十代の喜久子には、そう見えていた。
現実は、そう甘くはない。自分が一人前の大人だとは、どうしても思えなかった。
きっと、もっと色々なことを経験し、苦しみを経て、人は成長していくのだ。自分にはそれがないから、いつまでも子供っぽいのだ。
しかし、その自分を幼いままにしている安定した環境が、とても心地良いことも事実だった。
離れていようが、滅多に会えなかろうが、最後には必ず喜久子を守ってくれる。それは、とても大きな支えだった。
奉天から約二時間、汽車に揺られ湯崗子に降り立つ。
ちょうどアカシヤの花が盛りの時期で、小径の脇に並ぶ背の高い木々が白く膨らんだ枝を揺らしていた。
宿に入ると、板垣はさっそく本を読み始めた。
「気にしないでのんびりしていいよ」
と言われて、喜久子は向かいの寝椅子にもたれる。
すると、引越の疲れもあってか、心地よい眠気に誘われた。罪悪感の無い昼寝は、何年ぶりだろう。まどろみながら、こんなことを考える辺りは、どうも年寄り臭くなっているな、と喜久子は思った。
「ここの温泉、入ると美人になるそうですわ」
浴場に行った際に一緒になった日本人女性が、そう言うのを聞いた。
(美人に、ねえ……)
目の前の湯を手ですくいながら、喜久子は半信半疑でそれを思い出していた。これだけで美人になれるなら、苦労はしない。複雑な気持ちだった。
まさか、美人になる湯だから、と連れてこられた訳はないだろう。純粋に休養に連れてきてくれたのだろう、その夫の心遣いは嬉しい。
しかし、コンプレックスを見透かされているようで良い気分がしなかった。さすがに最近は、夫がどうやら自分を好いてくれているようだと思っている。が、容姿では合格点を貰っていないという自覚があった。
(どうせ美人じゃありませんよ)
と、美人に効くというお湯を、二、三度、顔にかけてみたが、すぐに馬鹿らしくなってやめた。
自分を好いてくれるのは嬉しい。慕っている人が同じように好意を返してくれるのは、当たり前のようでいて奇跡に近い。その愛情を疑うわけではないけれど。
言葉にしてくれたことがない。
今さら、言って欲しいという訳ではないが、時々気付いて寂しくなる。よく考えれば「好きだ」とか「愛している」などという台詞が、板垣の口から出るなど想像もつかない。
もしかして、そういった台詞は本や映画の中でしか実践されていないのだろうか。
十代の頃は、恋愛自体をそう捉えていたことを思い出す。皆がしているように思えるのに、自分には全くその機会がなかった。いつかは自分も、と憧れつつも、愛だの恋だのというのは、滅多に体験できるものではない気がしていた。
だからこそ夢見ていたわけだが。
きっと、あの頃憧れていたようなロマンスなど、一生体験することはないだろう。
喜久子はごく普通の人間だ。著名の作家でもなければ、人に語られるような恋愛事や、人生のドラマもない。
こうやって温泉につかって、効用で少しは見られた顔になるかしら、とちっぽけな事で悩んでいる、小さな存在。
夢見ていた頃とは違う。
でも、今はそれで良かった。
考え事をしていたせいですっかり長風呂になってしまい、喜久子は部屋に戻ると、縁側に座って火照った体を風にあてていた。頭がぼんやりして、気分が悪い。完全に湯あたりだった。
月明かりに冴え渡った空の半分を、大陸らしい、頂の丸い山々が覆っている。それを眺めながら、喜久子は気分が回復するのを待った。庭先にもアカシヤが咲き乱れていて、空気が動くたびにその香りが鼻をくすぐった。
「大丈夫か?」
板垣がそう言って、上を向いていた喜久子の額に手ぬぐいを乗せた。冷えていて、気持ちが良い。
「あ、ありがとうございます」
どうして湯あたりしているのに気が付いたのだろうと、戸惑いながら礼を言う。板垣は、茫洋として鈍そうなのに、妙なところでよく気がつく。それで、実は何でもお見通しなのではないかと怖くなることもあった。