この手にぬくもりを
喜久子が隠しておきたいことほど見破られるため、複雑な気持ちになる。しかし、これが、彼が周りに慕われる理由なのかもしれない。いつも見てくれていて、気がついてくれるのは、部下や兵士にとって嬉しいことだろう。
「横になったほうがいいんじゃないか」
「大丈夫です。ちょっと長湯してしまっただけで」
「珍しいね」
何気なく言う板垣に、喜久子は苦笑する。風呂好きやそれにかける時間の長さは、何故か夫の方に軍配が上がるのだ。
「ここのお湯、入ると美人になる……とか言うんでしょう? 少し頑張ってみようかしら、なんて」
フラフラする頭と、先ほどの空想、そして温泉宿という非日常的な環境が、喜久子の自制心を緩めたとしか思えなかった。
しばらく沈黙が流れ、喜久子は余計なことを言ったと後悔した。こんな調子に乗った台詞は、自分でも好きではない。まして、板垣に対応できる語彙があるとも思えなかった。
「いえ、あの、違うんです。いろいろ考え事をしていたら長くなってしまっただけで」
慌てて沈黙を破る喜久子を、板垣は怪訝そうに見る。
「そうか、美人になりたいもんか」
今初めて気付いたかのような夫の口ぶりに、喜久子は肩を落とした。前言撤回。やっぱりどこかが抜けていて鈍感なのだこの人は。
「一応、私だって思います。あなたのように人から褒められたことなんてありませんし」
「僕が褒められたって?」
眉目秀麗、容姿端麗、連隊の花形少尉で憧れの的……であったことがあるらしい。喜久子の感性では、板垣がそこまでの水準であるとはとうてい思えなかったので、半信半疑で聞いた話である。もし、縁談がまとまる前に聞いていたら、更にごねて、この結婚は成立しなかったかもしれない。喜久子はその程度の劣等感を、今でも持っていた。
そんな妻の気持ちを知ってか知らずか、板垣はさらりと一言、
「喜久子はそれで充分だけどなあ」
と呟いたのだった。
部屋の中に戻る板垣を呆然と眺めながら、喜久子は額にあてた手ぬぐいを握りしめた。