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長兄の重荷

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『長兄の重荷』

『元気に暮らしていますか。体に気をつけてください』と書かれた古い手紙。それは、十九の春、大学に通うために家を離れ一人暮らしを始めた自分を案じて、母が書いてくれた最初で最後の手紙である。
ずっと前に本棚の奥に仕舞って置いたものであるが、いつの頃からか、そのことさえ忘れていたのが、数日前、本棚を整理している時、偶然にも見つけた。読んでいるうちに、二十五年前に連れ戻された。

二十五年前、母は父を追うかのように亡くなった。社会人になって二年目の秋のことである。そこで自分の人生が大きく変わった。
幼い頃、いつも母と一緒にいた。畑へ行くときも、町に行くときも、病院に行くときも、どこへ行くにも、母の手に引かれて行った。幼い時はとてもかわいがってくれた。大人になっても慈しんでくれた。その母が死んだとき、まるで心の中を大きく切り取られたような悲しみを負わされた。塞ぎようもないほど大きく、その悲しみを背負ったままなら、とても生きていけないと悩んだ。思い出を引きずりながら生きるか。それとも過去と決別して新たな気持ちで生きるか。二つに一つしかないと思った。生きるために過去を忘れることと選んだ。思い出につながるものは目に触れないようにした。手紙は古い本に挟み、本棚の奥に仕舞った。昔の写真も同じように本棚の奥に仕舞った。そうやって過去を封印した。故郷にもなるべく戻らないことにした。過去を忘れるためである。
故郷に戻らなかった理由は母への思いを封印したいという思いだけではなかった。実をいうと、小さい頃から嫌いだった長兄が実家を継いだからである。
長兄の行動で、一番嫌いだったのは、何かにつけて母を困らせたことだ。何が気に食わないのかは分からなかったが、とにかく母が言うことに対して、ことごとく反発した。他にも嫌いなところはあった。実にだらしないこと。仕事から帰って、服を脱げば脱ぎっぱなしで、その後始末を母親にさせた。食事の仕方も嫌いだった。魚を食べれば、骨をテーブルの上に置いた。食べるときの箸の持ち方も不恰好で嫌いだった。風呂から上がると裸で歩きまわるのも嫌いだった。テレビをつけっぱなしにして寝るのも、寝ているとき歯ぎしりするのも嫌いだった。猫背でくわえタバコで歩く姿も嫌いだった。嫌いなところをあげればきりがない。逆に、好きなところが何一つなかった。だが、二十五年の歳月が過ぎて、あらためて思うと、嫌いだという感情に変わりはなかったが、その嫌いだという感情がどうでもいいくらいに小さくなっていた。

古い手紙を読み終えたとき、封印してものが解けた。閉じ込められていた過去たちが一斉に解き放され、心の中で舞い上がった。まるで、たくさんの鳩が一斉に解き放され空を目指して舞い上がるように。過去が舞い上がるさまを抗しがたい懐かしさで眺めた。いろんな感情を伴ったはずの思い出が懐かしいという言葉で一括りすることができた。二十五年という時間の流れは、過去のあらゆる感情を一様に干からびさせ、どれもが懐かしいというセピア色に染めあげていたのである。
同じように仕舞っておいた古い写真集も取り出してみた。その中に、母と長兄の二人が並んで映っている写真があった。二人とも嬉しそうな顔をしている。その写真をじっと眺めているうちに、一つの思い出が蘇った。

――大学入学の年、三月の半ばのことである。朝から春の淡雪がぱらぱらと降っていた。淡雪は積もることもなく、地に落ちると直ぐに溶けた。庭にある梅の古木が白い小さな花をつけていて、仄かに甘い香りを凛とした空気の中に漂わせていた。昼近になって、家じゅうの戸を開け、母と一緒に家中の掃除を始めた。しばらくして、何を思ったか、母親は突然、掃除する手を休め、次兄のタカオが高校に入学したときのことを話した。「オサム(長兄)から『タカオは高校に行かせてもらえたのに、なぜ自分を行かせてくれなかったのか?』と聞かれたとき、切なくて何も答えられなかった」と呟くように言った。
そのとき、母の背中に自分が知らない重荷があることに気づいた。
長兄に言われたときのことを思い出したのか、何とも切なそうな顔をしていた。たった一言でも慰められたなら、母親を元気づけることができると分かっていたが、その一言を見つけられず、ただ降る淡雪を眺めるだけだった――

当時、重荷を背負っている母がかわいそうだと思っていた。だが、写真を見ているうちに、別の考えが浮かんだ。
家はとてつもなく貧しかった。それに義務教育の子供が二人(自分と弟)もいる。そういった厳しい現実の中で、母は長兄に高校進学を諦めさせて働かした。そのことで、母は負い目を感じたのは間違いないが、一方、長兄の立場で考えると、十五歳のとき、家を支えるという重荷を背負わされた。まだ子供であった長兄には、酷な話であったことは間違いない。ときに、その重荷に耐えきれず、愚痴を言ったり反発したりしたのであろう。次兄が高校進学すること決めたとき、「なぜ、自分のときは行かせてくれなかったか」と愚痴めいたことを言ったのも無理からぬことであった。長兄の一言が母の胸を貫いたのは間違いないが、だが、母はそのことを言いたかったのではない。「長兄がずっと家というは重荷を背負ったおかげで、お前は大学へ行けるのだ」と言いたかったのだ。二十五年の歳月を過ぎて、やっと、そのことに気付いた。そう思うと、あの時の母の切なそうな顔も理解できた。大人になった長兄が母を困らせたり反発したりしたのも理解できた。全ては十五歳の長兄が重荷を背負ったときから始まっていた。自分は、表面的なところだけを見て長兄を嫌っていた。――そう考えると、「長兄が嫌いだ」という感情がさらに小さくなった。同時に勘違いして申し訳ないという気持ちもこみあげてきた。帰省して長兄と向き合おうと思った。向き合えば、何かが分かる。何かが言えると思った。
夕方、思い切って実家に電話をした。電話に出た長兄嫁に帰省することを伝えると、さほど驚く様子もなく、逆に、「いつ来るの?」と聞き返してきた。
「一か月後の八月の五日に帰る」
「分かった。待っている」と長兄嫁は言い終わると、電話を切った。
長兄嫁とは、互いに親しいとも思っているわけではないし、だからといって互いに敵意があるわけでもない。ただの他人が長兄という存在を介して繋がっているだけの淡い関係である。淡い関係であるからこそ、淡々と話せた。

実家は新潟の広大な水田地帯に囲まれたわずか百戸足らずの集落にある。集落を通るバスも電車もない。いわば陸の孤島のようなところである。
朝、仙台の家を出て東北新幹線を乗り、大宮駅で上越新幹線に乗り換え、燕三条駅で降る。ローカル線の弥彦線に乗り吉田駅で降りる。そこで実家までタクシーで行く。実家に着いたときには、もう夕方になっていた。
古い家の前に立ったとき、懐かしさを感じながら、妙に胸が高ぶった。同時になぜ十年近くも実家に戻らなかったのかとあらためて考えてみた。やはり母を思い出したくなかったことと嫌いな長兄が家を継いだということしか思い浮かばなかった。
作品名:長兄の重荷 作家名:楡井英夫