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父の肖像

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驚いて母の顔を見た。母は悲しんでいなかった。いつもと変らぬ微笑をたたえていた。ガンが容易な病気ではないことを知っていたので、なおも聞いた。
「治るの?」と聞くと、
 母は、「病気が病気だから」と言葉を濁した後、「でも、良くなると思う。きっと」と微笑んだ。
ほっとした。「良くなる」と言ったからである。信じて疑わなかった。母は嘘をつけない人だったから。内心、入院している父よりも、看病をしている母の方が心配でならなかった。とても心配性で気の小さい人だったから。そんな母が、病院に入ってからも微笑みを絶やさずにいた。それは父に対する精一杯の思いやりだったということに、亡くなった後で気付いた。

 お盆が近づいた頃だろう。
「今日、家に帰るから、あんたが代わりに病院に泊まって。お父さんがスイカ食べたいと言っているから、畑から持ってくるよ」
「分かった」と答えた。
「お父さんが、『背中が痛い』と言ったら、ちゃんとさすってやるんだよ。いいね」と繰り返し言った。
 夕食を終えると、父はベッドに横たわった。
 病室の明かりが消えた。
 寝息のようなものが聞こえていたので、寝たものだと思った。自分は待合室でテレビでも見てみようかと思っていた矢先のことだった。突然、遠くから花火の音が聞こえてきた。
 父は、「祭りか、どこだ?」と独り言のように呟いた。
父はまだ寝ていなかったのである。
「吉田町かな」と適当に答えた。
「そうか」と呟いた。
 父も母も花火を見て楽しむという習慣はなかった。花火だけでなく、花見もなかった。ただ働くだけの人だった。
「起こしてくれ」と言った。
「どうして?」と聞いたら、
「ちょっと花火を見たいから」と答えた。
「病院から見ることができないよ」
 待合室に行けば、窓から花火が見えるはずだったが、面倒臭くて、「見えない」と言ってしまったのである。
 残念そうに、「そうか」と言って黙った。
「来年もあるよ」と言ったら、
「そうだな」
 しばらくして、「背中が痛い」と言ったのでさすった。
 背中をさすりながら、父の半生をあらためて考えてみた。
長男であった父はろくに学校に行かせてもらえないまま、丁稚奉公に出され、過酷な人生を歩んだ。中国大陸に出兵したとも聞いている。だが、詳しい話を聞いたことはない。厳しい人生であったと推測はできたものの、ほとんど何も分かっていないことことにあらためて気付き、妙におかしく、同時に切ない気持ちになった。
何か話そうと思ったら、大きな寝息が聞こえてきた。どうやら寝たようである。その寝顔を見ながらあれこれと考えているうちに、いつの間にか、自分もうとうとしてしまった。ふと、父が痛そうな呻き声をあげているのに気付き目覚めた。
 ベッドのそばにある明かりをつけ、父の顔を見ると、苦痛で歪んでいた。
「薬をもらってこようか?」と聞いたら、「まだ、いい」と答えた。
 なぜ我慢するのか分からなかったが、父の希望したとおり薬をもらうのを止めた。代わりに母の言いつけどおりに背中をさすってやった。痛みが和らいだのか、穏やかな顔になった。
しばらくすると、疲れてきたので、「もう、いいか?」と聞いた。
「嫌なら止めていいぞ」と父が言った。
 その言い方に腹が立ったが、何も言わずにいると、
「もう、いい」と不機嫌そうに布団をかぶった。
父の顔を見た。入院した直後より、さらに痩せこけているが、その時でさえ、やはり死というものを想像できなかった。また、かわいそうだとかいった類の感情も湧かなかった。
 病室を離れ、待合室に行った。花火がまだ続いていたので眺めたが、さほど楽しい気分になれなかった。父に嘘をついた後ろめたさからだろうか。
 突然、昼間、相部屋の若い患者が言ったことを思い出した。
「ここに入ると、次は個室に入る」と父に向かって言った。何が言いたいのか、分からなかったが、父はそのことの意味を知っていたのかもしれない。父は不機嫌そうな顔した。数日後、若い患者は個室の中に入った。さらに、その数週間後に父も個室に入った。

 個室に入った頃から、父は吐血を繰り返した。小さな桃のような血痰を吐いたとき、漠然と迫る死をイメージするようになった。それでも急に死ぬことはないという甘い期待を持っていた。だから夏休みが終わると同時に大学に戻った。
大学に戻った二週間後、父が死んだという知らせを聞いて驚いた。急いで、駅に行ってみたが、新潟に戻る列車は既に発車した後だった。
次の日の朝、起きたときは、もう一番目の列車の発車時刻の一時間前になっていた。急いで着替え、アパートを出て列車に飛び乗った。
ずっと母のことが心配だった。母が嘆き悲しんでいたら、どうしよう。そればかりを気に病みながら列車に乗っていた。
 家に着いたとき、昼過ぎになった。
 家に入ると、広間に親戚や家族が揃っていた。残暑がまだ厳しくて、みな、暑そうな顔をして座っていた。
 父の弟が玄関先まで来て、迷惑そうな顔で、「どうして、もっと早く来ない?」となじるように言った。
 知らせを聞いたときは遅すぎて、もう帰る手立てがなくなっていた。父の弟はそのことを知らなかったのである。
「知らせを受けたのは夕方で、新潟に戻る汽車が発車した後だった」と答えると、憮然とした顔で消えた。この父の弟は好きではなかった。というよりも嫌いであった。顔は父とそっくりで、肉がこけていて、まるで猿のような顔であった。同じように学もない。葬儀のとき、弔問の電報を読んだが、そのたどたどしい読み方に参列者の失笑をかった。
今度は母が来て、「こっちに来なさい」と言って、仏間の隣の部屋を案内した。部屋の中央に遺体があった。顔は白い布で覆われていた。
「そこに座りなさい」と遺体の近くに座るように言った。
遺体を挟んで向かい側に座った母が穏やかな口調で言った。
「これで最後だよ。本当に最後だから」と言って、父の顔を覆っている白い布をそっと取った。
父の顔よりも先に母の顔を見てしまった。微笑んでいる。本当は泣きたいのに、必至に悲しみをこらえているのを分かった。
父の顔はまるで寝ているような穏やかだった。その穏やかな顔をみたとき、なぜか、ほっとした。入院のとき、「痛い」と言ったときの苦痛に歪んだ顔を思い出したからである。しばらくじっと見た。だが、正直言って、あまり感情が湧かなかった。死んだという事実をどこか冷めた目で見ていた。同時に死というものを、どう受け止めればいいのかと戸惑ってもいた。
後で聞いた話だが、自分が戻って来るまで、母は葬儀を進めることを拒んだという。あの夏のような残暑が続く中、何十人もの親戚が、朝から夕方まで、ずっと自分の帰りを待っている光景を思うと、不謹慎と思いつつも、幾分かの滑稽さを感じずにはいられなかった。

 火葬の後、父の骨をもらうために、火葬場の待合室で待った。
 骨を砕く音が聞こえてきた。数人で砕いていて、その中の一人が、「こんなに頭蓋骨が黒くなるのは、ガンにかかっていた証拠だな」と言った。それを聞いたとき、父の骨だと確信した。
作品名:父の肖像 作家名:楡井英夫