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天使がやっちゃいけない6ヶ条

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 わざとらしく咳払いなんてしてみせつつ、無理やりすまし顔に戻ろうとする。俺としてはあやうくふき出しそうになるのをこらえるのに必死だ。なんとかそれをやりとげてもう一度正面からエステルさんに向きなおしたときには、もう気まずさなんてどこかへ消えてしまっていた。
 ふと思う。まさかエステルさんはこれを見こしてわざとあんなことをやった……なんてことはない、よな?
「とにかく、お前が謝ることなんて何もない。あるとすれば私のほうだ」
「そんな。いいってば。あの時はついカッとなっちゃったけど、あとで考えれてみたらエステルさんは何も悪くないって分かったからさ」
「そうか? でも私があえてお前の気持ちを逆なでする言い回しを選んだのは事実なのだし、それでは私の気が……」
 何事にも律儀なエステルさんの性格は、どうやらこんなところでも発揮されるらしい。俺はちらりと眼下の様子に目を向ける。いつも通り、耕平がさくらに話しかけているところだ。急を要するような事態にはしばらくなりそうもない。
「じゃあさ。代わりっちゃあなんだけど、一つ訊きたいことがあるんだ」
 いつも思うのだけど、エステルさんはものすごく察しのいい人だ。今回もこの一言だけでエステルさんは俺の言いたいことが分かってしまったらしい。
「奴が言っていたことか? 私が現世にまるで興味のいないと」
 ちょっと驚きながら俺は軽く頷いて先をうながす。
「私自身そんなつもりはないんだがな。だがそれはただの『フリ』で、本当は毛ほどの興味もないのだろうと言われれば私は否定する術を持たない。なにしろ私は現世での記憶というのがまるでないのだからな」
「え……」
 思わず勢い込んで訊いてしまいそうになって、なんとかそれに歯止めをかける。話題が話題だ。慎重に言葉を選ばなくては。
「えっと……どういうことなのか、訊いてもいいかな?」
 ふっとエステルさんの口元が自嘲に歪むのを見て、この話題が失敗だったことを俺は密かに悟る。
「そんなに気をつかわなくてもいい。つまらない話さ。まだ物心のつかないうちに私は死んだ。それだけのことだ」
 言葉を失う、とはこういう時のことを言うのだろう。本当に、なにを言っていいのか分からなくなってしまった。
「お前は知らないだろうが、子供の自我が未発達なのはひとえにソーマの影響なんだ。現世に生まれた時点でプネウマそのものは既に完成している。どんなに幼くても死ねば一気に大人の仲間入りというわけだ」
 もちろん経験は圧倒的に不足しているがね、とエステルさんは付け加えるように言って、さらに話を続ける。
「だから私はすぐに天使として現世に出た。はじめはおっかなびっくり、パートナーの天使に頼りっきりになりつつな。それで少しずついろんなことを学んでいったというわけだ」
 つまらない話だ、と前置きしたそのセリフ通り、エステルさんの口調は本当になんでもないことのように話している。でもエステルさんは気付いているのだろうか。ふっくらとしたその口元がさっきからずっと自嘲の笑みに歪んでいるのが。
「きちんと数えているわけではないが、多分それが十五年ほど前のことだ。おかしいだろう? あれだけ偉そうにあれこれ言っておきながら、実際の歳はお前と変わらないというわけだ。もしかしたら私の方が年下かもしれんな?」
 すらすらとエステルさんは言葉を吐き続ける。ひょっとするとエステルさんは言いたいのかも知れない。自分の抱えているものを俺にも知っておいてほしいのかもしれない。
「あの元悪魔がどうやって私のことを見抜いたのかは分からない。誰か他の悪魔に私のことを聞かされていたのかもしれないし――あるいは、見るべき者が見れば一目瞭然なのかもしれないな。なにしろ今の私の姿はまやかしに過ぎないのだから」
 そっと視線を落として、エステルさんは自分の手を見つめる。
「死んだときはまだ赤ん坊だった私がどうやって今の姿になったんだと思う? ただの願望だよ。こういうふうに育ちたい、と過去の私が願ったそのままの姿が今の私なんだ。もし現世で生きて育っていたなら、これとは似ても似つかない姿に――」
「もういいよ」
 少し口調を強くして、俺はエステルさんの言葉をさえぎった。エステルさんがどうとかじゃなくて、聞いている俺のほうがもう限界だった。
「もういいんだ。エステルさんの話したいことはよく分かった」
 それでエステルさんの話は止まったけど、口元に浮かんだ自嘲の笑みは消えないままだ。なんと言ったらいいのか少し考えて、俺は慎重に口を開く。
「あのさ。これは別に慰めとかじゃなくて、俺が本当にそう思ってるから言うんだけど……まやかしだとかそんなことは関係なしに今のエステルさんはすごく綺麗で、すごく優しい人だと思う。それじゃダメなのかな?」
 少しびっくりしたような顔をしたあと、エステルさんは「ふふっ」と力なく笑う。
「口がうまいんだな。そうやってさくらの心もつかんだというわけか?」
 言ってから、はっと気付いたようにエステルさんは口元をおさえた。
「すまない、失言だった。私、どうしてこんなことを……」
 弱々しい口調で言って、エステルさんはまるで救いを求めるように視線をさまよわせて――やがて眼下のさくらたちに目を留めた。いつの間にかおばさんの姿がそこにあって、ちょうどさくらと耕平が別れてそれぞれの家へと向かうところだった。
「行かなくては。お前もしっかり頼むぞ?」
 最後だけいつも通りの口調に戻って、エステルさんはくるりと後ろを向いてさくらのほうへ行ってしまった。まるで声をかけようとした俺から逃げるようにして。
「エステルさんこそ……そんなんで本当にちゃんと監視なんてできるのかよ」
 言いつつ、本当は分かっている。エステルさんはきっと自分がどんな状態だろうと自分の役目だけはしっかりと果たすのだろう、と。さっきの話を聞いたあとだから余計にそう思える。
 生前の記憶のないエステルさんは、天使である以外の自分を知らない。天使であるということはそのままイコールエステルさんのアイデンティティなのだ。
「俺も、しっかりやらなくちゃ……な」
 自分に言い聞かせるように呟いて、俺は耕平のあとについていった。





 家に帰ってからもやっぱり耕平の様子にはおかしなところなんてひとつもなかった。まず風呂に入って、晩ご飯を食べて、しばらくリビングでテレビを見てから自分の部屋に引っ込む。そんな、ごく当たり前の日常だ。
 耕平はそのまま二階にある自分の部屋へ行った。まずは音楽をつけて、夏休みの課題に取り組む。こいつは溜め込んだりせずにわりと毎日まじめにやるタイプだ。
 おおよそ一時間ほどで今日のノルマは終わったらしい。耕平は一度大きく伸びをしてからごろんとベッドで横になる。しばらくそのままぼんやりとしていたけど、やがて上半身だけを起こしておもむとに本棚へ手を伸ばした。引っ張り出してきたのは一冊の漫画本だ。何度も繰り返し読んでいるのか、カバーがかなり痛んでいる。
 耕平はベッドに腰掛けた姿勢のまま読むでもなしにぺらぺらとページをめくっていって、やがて中にはさんであった何かを取り出した。何だろう、と思って覗いてみると。
「うわ……」