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天使がやっちゃいけない6ヶ条

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 このセリフで、なんだかもうどうでもよくなってしまった。俺はふう、と一度大きく息をはいて――この「息をはく」という動作もしょせんは見せかけにすぎないんだと思うと、一気に全身から力が抜けていった。
「ごめん」とエステルさんに小声で謝る。エステルさんは「いいんだ」と言って許してくれて、ゆっくりと手をほどいてくれた。俺は改めてホセと名乗ったそいつに目を向ける。言うべきことはもう何もないように思えたから、ただ純粋な疑問をぶつけてみる。
「魔法がかかっていない状態であんな事件を引き起こしたのか?」
「いや」とそいつは首を横にふる。
「あの時はオレも正真正銘の悪魔だったさ。だからさっきもああやって名乗ったんだ」
 あの「一応、悪魔をやってる」という台詞にはそういう意味が込められていたらしい。そんなの言われなければ絶対分からない。
「地獄でかけられる『魔法』は天国のそれとは違って完璧じゃねえ。ある一定の期間が過ぎると自動的に消えちまうのさ。あの事件はその期限ぎりぎりになってから起こしたってわけだ」
 そこで一旦言葉を切って、そいつは視線を俺から外して下のほう、つまり地上に目を向ける。
「だからもう今は期限切れってわけだ。なあ坊主、『魔法』がない状態だとこの世界はどんなふうに見えると思う?」
「え……いや、普通になんにも見えないんじゃ?」
 なんとなくエステルさんのほうを見てみたけど、俺と同じように首をかしげているだけだった。どうやらエステルさんも試してみたことはないらしい。
「そんなことはねえ。考えてもみろ、生きてる人間――いや、人間に限らず現世で生きてる全ての生物はプネウマを持っている。『魔法』がなくたってそいつを見ることだけはオレたちにもできるはずだろう?」
 言われてみればそのとおりだ。でも、だったら。
「魔法がなくても人の姿はちゃんと見えるってこと?」
「そうじゃねえ。プネウマの姿ってのは認識によって決まる。姿かたち、服装まで全部な。だからお前は死んだときのまま、今も制服姿だってわけだ」
 そのこと自体はもう知っていたけど、改めて聞かされてみると今の話題とは関係のないところである疑問が俺の中で浮かび上がってきた。俺とは違ってエステルさんは絵画の中の天使みたいな服を着ている。つまりこの服が実際に使われていたような遥か昔からずっとエステルさんは天使をやっているということなのだろうか?
「ん、なんだ?」
 思わずじっと見てしまったせいで、エステルさんに訝しがられてしまった。慌てて「ああ、いやなんでも」と目をそらす。天使とはいえエステルさんだって女性、年齢のことはどうにも訊きにくい。そんなことをこのエステルさんが気にするかどうかは別にして。
 視線を戻すと、何故だか元悪魔のそいつは笑っていた。
「ま、そっちの姉ちゃんみてえに現世に興味ありませんってやつには面白くもねえ話かもしれんけどな。まあ騙されたと思って聞いてみろよ」
 そいつが見ていたのは俺じゃなくてエステルさん。現世に興味がない? エステルさんが?
 首をかしげる俺を見て、元悪魔のそいつは「ふん」と小ばかにしたように鼻で笑った。
「なんだよ、パートナーのくせに考えたことのなかったってのか? 現世に興味がないんじゃなけりゃ、天使なんてもんを長々とやってられるわきゃねえだろう。普通の価値観がある人間なら100点なんてあっというまに使い切っちまうぜ?」
 実際お前もそうなんだろう? とそいつは俺に視線を向けてくる。否定はできなかった。経緯はどうあれ、現世に戻ってきたとたんにやっちゃいけないことをやってしまったのは事実なのだから。
「まあいいや。とにかくだな、現世で生きてるやつのプネウマだけは『魔法』がなくても見える。でも生きてるやつらは自分のプネウマの形なんて意識してねえから、単なる光の塊にしか見えないって寸法だ」
 だったら何も見えないのと一緒じゃないか、と思ったけど、どうやらこの元悪魔にとっては違うらしい。皮肉っぽい笑みを浮かべつつそいつはこんなことを言った。
「面白いぜ? その状態だと人間も犬も猫も虫も植物も全部一緒だ。どれがどれだか分かりゃしねえ。こんなんで一体人間ってやつは何を偉そうにのさばってやがるんだろうってな、考えちまうよ。ま、生きてるときはオレもそのうちの一人だったわけだが」
 ソーマがなくなればみんな一緒。人間だけじゃなくて全ての生物が天国へやってくる。少しだけその光景を目にしたことがある俺としては、この元悪魔が言うことが少しだけ分かるような気がした。
 言い終わってからもしばらくそいつは地上をじっと眺めていたけど、やがて顔を上げてまたこっちを見た。
「ま、さすがにこの光景もそろそろ見飽きてきたんでな。オレは近いうちに地獄へ帰ろうと思う。また悪魔として出てくるかどうかはわからねえ。気分次第ってところだな」
 それからそいつは俺の顔をじっと見て、ふっと何か面白いいたずらを思いついたように口端をつり上げた。
「最後にいいことを教えてやる」
 さも楽しそうに、そいつは嬉々として口を開く。
「オレが起こしたあの事件な。ありゃあ単なる趣味でやったんじゃねえ。坊主の死を望んでるやつが居たからやったんだ。そいつと運転手で合わせて二人に地獄行きのチケットを売りつけてやったわけだな。なかなかいい商売だったぜ?」
 とっさには何も言えなかった。元悪魔はさらに言葉を続ける。
「人を呪わば穴二つ、ってね。あの時お前さんの隣に居たのが誰だったか、その意味をよおく考えてみるといい」
 じゃあな、と言い残して去っていくそいつに、俺は何も言い返せなかった。エステルさんもあとを追おうとはしなかった。
「俺の死を望んでるやつが居た……?」
 元悪魔が言い残したそのセリフは、しばらく頭から離れてくれそうになかった。

 威勢のいい運動部の声。金属バットにボールがぶつかる気持ちのいい音。ずしんと腰に響く陸上部の雷管。校舎からはどこか調子っぱずれなブラスバンドの音が聞こえる。
 ついこの間まで自分もその中に居たはずの光景をどこか遠い出来事のように感じながら、俺は一人の男子生徒をぼんやりと見つめる。私物のTシャツとジャージに身を包み、猛暑の中でも陸上部のトレーニングに勤しむそいつはどう見たっていつも通りの耕平だ。おかしなところなんてどこにも見受けられない。
 強いて言えば、一応親友だったはずの俺が死んだというのに平気な顔をしているのが怪しいと言えば怪しいのだけど。そんなことを言い出すとここには他にもたくさん俺の顔見知りが居るわけで、そいつら全員が疑わしいということになってしまう。

 ホセと名乗ったあの元悪魔が去ったあと、エステルさんはまず「すまなかった」と言って謝った。
「配慮が足りなかった。いくらお前でも、自分を殺した事件の元凶を目の前にして冷静でいられるはずがなかったな」
 あいつは自分で勝手にやってきたというのに、エステルさんはそれが自分の落ち度だと言う。気にする必要はない、というようなことを言って宥めると、今度はこんなことをエステルさんは言い出した。
「謝りついで、というわけではないが――今から私はお前とって嫌な話をしなくてはならない」