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天使がやっちゃいけない6ヶ条

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「まあいい。話が逸れたな。とにかく私の話というのはその事件についてだ」
 もしかするとエステルさんとしては俺が「憎い」と答えたほうが話が進めやすかったのだろうか。悪いことをしたかもしれない。
「私は最初からあの事件について疑問に思っていた。あそこの道は交差点でもないし曲がり角になっているわけでもない。仮に運転手がとんでもなく乱暴な運転をしていたとしても、一体どうやったらあんなふうに公園へ突っ込むなんてことになるのか想像もつかない」
「酔ってたんじゃない? それともむしゃくしゃしていてわざとやったとか」
 エステルさんは首を横にふった。
「実は今日、運転手が留置されている警察署へ行って、取調べを盗み見てきた。逮捕当時の運転手からはアルコールが検出されなかったらしい。それにお前が言った後者のような場合、犯人は居直って『なにが悪いんだ』という態度に出るものだが、運転手は『事故が起こったときのことは何も覚えていない』と供述している。ああ、ちなみにこの運転手は覚せい剤のたぐいも一切やっていないそうだ」
「じゃあ一体――」
 言いかけて、気付く。エステルさんは今日、見回りの途中で警察署に行った。見回りというのは俺たちが天使の体裁を保つために、つまり義務をおろそかにしないためにしているものだ。だったら――
「あの事故は悪魔の仕業だってこと?」
 半信半疑で口にした俺に、しかしエステルさんははっきりと頷いて見せた。
「察しがよくて助かる。常識では考えられないような状況、犯人は事件のことを覚えていない。悪魔が引き起こす事件の典型的な特徴だ。私はもう確信しつつあるのだけどね」
 天使の義務。それは「悪魔の蛮行を抑止する」というものだ。
 死んでソーマを失った人間というのは、通常だと光に導かれて天国へと向かう。例えは悪いけど外灯にたかる羽虫のようなもので、それは誰にでも備わっている習性だ。
 でも死んだ人間が強い罪悪感を抱いていた場合、またそうでなくても「自分はお天道様に顔向けできない」と自覚しているような場合には天国へは行けない。そういう人間のプネウマにとって天国の光は眩しすぎるのだそうだ。
 そういう人はどうなるかというと、まずは行く当てもなく現世をさまようことになる。世間一般の言う「幽霊」とは大抵こういう人たちのことだ。
 もちろんいつまでもそのままというわけではなくて、そういう人たちが行き着く先としてやっぱり「地獄」というものが存在する。自力でそこへたどり着く人も居るし、そうでない人には迎えが来る。
 地獄への案内人。それを俺たちは「死神」と呼ぶ。これは死者が天国と地獄に住み分けるというシステム上必ず必要になってくる存在で、俺たち天使も別に敵視はしていない。
 なら「悪魔」というのは何なのか。ここで再び登場するのが俺たちにかかっている、現世のものを見聞きできるようになるという「魔法」だ。この魔法を使える者は地獄にも存在しているらしいけど、地獄には遥か昔から封印が施されており、魔法がかかった状態で外へ出ようとするとたちまち魔法がかき消されてしまうようになっている。
 でもなにぶん大昔のものなので、あちこちにほころびが出来てきているらしい。そのほころんだところから魔法がかかった状態で抜け出てきた地獄の住人達を俺たちは「悪魔」と呼ぶ。俺たちが排除しなければならないのはこいつらだ。
 じゃあ封印を新しくすればいいじゃないかと俺も思ったのだけど、話はそう簡単ではないらしい。繰り返しになるけど、今ある封印が施されたのは大昔の話だ。さすがにもう当時の上位天使もうは残っていない。そして今居る上位天使たちでは同じ封印を施すのは難しいのだそうだ。
「不可能」ではなく「難しい」なのだからやってやれないこともないのだけど、地獄の住人達の妨害にあってそれも出来ないというのが現状だ。今ある封印というのは魔法をかき消すためだけのものであって、逆に言うと魔法さえかかっていなければ出入りは自由。妨害の手には事欠かないというわけだ。
 だから俺たちは再び封印をほどこすのを至上命題として掲げながらも、現実としてはちまちまと一人ずつ悪魔を撃退していくしかやりようがないというわけだ。天使の禁止事項にある「義務を放棄する」の項目がマイナス100点だというのも頷ける。つまるところ俺たちは、「魔法」という蜜に吸い寄せられて「天国」という女王のために汗を流す働き蜂だというわけだ。まあ、そのわりには随分のんびりとしているけど。
「でも、悪魔がなんのためにあんな事件を?」
 現世に出てきた悪魔たちが何をするかというと、簡単に言えば「仲間集め」だ。生きている人間に罪悪感を植え付けて、死後に天国へ行けなくする。そのために現世に干渉して様々な事件を起こすというわけだ。
「さあな。悪魔の考えることなんて私にはわからない。単純に考えるとすれば、あの事件でもっとも罪悪感を植え付けられたのは運転手だということになるが――」
「単なるいたずらって可能性は?」
 そう。悪魔たちには悪辣な人格の持ち主もやっぱり多くて、単なる趣味として惨劇を巻き起こすこともあるのだそうだ。そんなつまらないもののせいで自分が死んだとはあまり考えたくないけど、地獄だとか罪悪感だとかそんなややこしいものに巻き込まれるよりはいくらかましという考え方もある。
「分からんよ。今ここで話しているだけではな。この町に悪魔が居るというのなら、とにかく一刻も早く見つけ出さなくては」
「……そうだね」
 もし俺が悪魔の犠牲者なのだとして、それはそれでもういい。済んだことだ。それよりも、このまま放っておいたら第二、第三の犠牲者が出るかもしれないということのほうがはるかに重要だ。
「明日からは見回りに本腰を入れる。悪いがお前にも手伝ってもらうぞ」
「分かってるよ。マイナス100点は嫌だものね、お互いに」
 エステルさんは小さく笑って「分かってるならいい」とだけ言った。
 さくらのことは心配だけど、どうせあの公園に居たって俺には見ていることしか出来ない。だったら少しでも現世の役に立つことをしたほうが、間接的にでもさくらのためになるというものだ。
 俺たちにかかっている魔法は、生きているときと同じように現世のことを見聞きすることが出来るようになるという代物だ。といっても言語の問題があるので聴覚に関しては生身のときと同じというわけではなくて、厳密には相手が伝えようとしている言葉を感じ取っているという形になっている。エステルさんの出身地がどこなのかはまだ聞かせてもらっていないけど、恐らくは元々は違う言語圏で暮らしていたであろうこの人とこうして話ができるのもそのおかげというわけだ。
 でも視界に関しては完全に生身のときと同じだ。逆に言うと生きているときと同じように「しか」できないということでもある。どうしたって夜になると見回りの効率は落ちてしまう。
 生身ではないからいくら動き回っても身体的に疲れることはないけど、それでもやっぱり精神的な疲労というのはある。神経をすり減らして夜間に見回りをするよりも、今のうちに休んでおいて明るくなってから始めたほうが効率がいい。