天使がやっちゃいけない6ヶ条
・生前の知り合いに姿を見せる −60点
・義務を放棄する −100点
開始時の持ち点は100。これが0点になったとき、俺たちの魔法は解けて現世のものを見聞きできない状態に戻ってしまう。すごすごと天国に帰るしかなくなるというわけだ。ただしソーマを失った人同士、つまり死人同士であれば魔法なしでもお互いの姿を見ることが出来るし、話したり触れ合ったりも出来る。天使を失格になっても天国に戻りさえすれば死後ライフを十分に死後ライフ(?)を満喫することは可能だ。
でもやっぱり俺は現世に留まりたい。直接話したり触れ合ったりはできなくてもどうにかしてさくらを助けてあげる手立てはきっとある。それを見つけるまでは天国に帰るわけにはいかない。
実を言うと俺の持ち点はすでに40点引かれて60点になっている。何をやってしまったかというと上から4番目の項目、「生前の知り合いに声をかける」というやつだ。生前の知り合いというのはやっぱりさくらのことなのだけど、それをやってしまったタイミングもまた最悪だった。
俺がそれをやったのは天使として現世に戻ってきた初日のことだったのだけど、その時にはさくらも今みたいに一人ではなかった。クラスメイトや昔から親しかった友人たちがみんなで集まって、さくらをこの場から離れさせようと説得していたのだ。でもさくらは一向に耳を貸さず、頑なに動こうとしない。それを見ていられなくて、俺はついさくらに声をかけてしまった。
ちなみに現世の人間に声をかけるやり方は誰に教わったわけでもない。ほとんど無意識のうちにさくらの名前を呼んで、それがさくらの耳に届いてしまったというだけだ。
さくらはたちまち反応した。必死にあたりを見回して、繰り返し俺の名前を呼んだ。何度も何度も、声がかれてもまるでやめようとしない。
それがよかったのか悪かったのかは分からないけど、どうやら俺の声を聞いたのはさくらだけだったらしい。周りの友達たちは何故さくらがいきなり叫びだしたのかもわからず、一様に言葉を失ってなにか怖いものを見るような視線をさくらに向けていた。
狂ってしまった。誰もがそう思ったに違いない。まだその時は現場で実況見分をやっていた警察の人たちでさえ、作業の手を止めて何事かとさくらのほうを見ていたくらいだ。
俺はすぐにエステルさんに羽交い絞めにされてその場から引き離されてしまったので、それからさくらがどうなったのかは知らない。でも次の日からさくらを説得しに来る人数ががくんと減ってしまったのを見れば大体の察しはつくというものだ。
何人かの友達はそれでも諦めずに来ていたのだけど、何を言っても聞こうとしないさくらに嫌気がさしたのか、それも今日でついに途絶えてしまった。さくらは一人でただじっと事故現場を見つめ続ける。なにやらいよいよ近付きがたい雰囲気が漂ってきたように見えるのはきっと気のせいじゃないだろう。
でも俺は知っている。ある一人だけはちょっとやそっとでは懲りたりせずに、しつこくここへ通い続けるはずだってことを。
で、やっぱりその通りになった。日が西に傾き始めるころになって、そいつは今日も一人でやってきた。いつもと変わらない様子でさくらに話しかけて、さくらが何も反応しないのを見るとさらに何かを語りかける。俺は二人の声が届かないところまで離れた。
「他の者はもう諦めたというのに、あの男だけはそんな素振りすら見せないんだな」
エステルさんが言う。俺は何も言わずに聞き流す。
さくらと話しているそいつは耕平といって、俺とさくらにとっては中学時代からの友達だ。さくらを除けばたぶん俺にとっては一番の親友だったと思う。俺を一緒に過ごす時間が増えていくうちに、耕平は自然とさくらとも親しくなった。
その耕平だけは毎日同じ時間にここへ来て、さくらが応えなくても根気よく話しかけたりしている。何を話しているのかは知らない。なんとなく聞きたくないような、聞いちゃいけないような。
「耕平と言ったか? あの男、さくらに懸想しているのではないか?」
懸想。異性として好きになるということ。耕平が、さくらに。
俺は返事をしない。エステルさんはそれ以上何も言ってこなかった。
※
俺とさくらは小さい頃からずっと一緒だった幼馴染。で、いざ二人の関係を恋人へとステップアップさせようとしたところで、いきなり俺だけが突き落とされてしまった。二度と這い上がれない谷底へと。
事故があったあの日、部活の練習が終わって帰る途中のことだ。この公園の横を通りかかったとき、隣を歩いていたさくらに呼び止められた。いつもの「健悟くん」ではなくて「ケンちゃん」と、小さい頃の呼び名でさくらは俺を呼んだ。
時刻は午後の六時半を少し回ったところ。もう空は赤く染まっていて、アスファルトの道から公園に入るとほんの少しだけ涼しく感じられたのを覚えている。もう子供たちの姿はなく、夕暮れの公園で俺たちは二人きり。セミは相変わらずやかましく鳴いていたけど、べつに邪魔だとは思わなかった。
子供の頃はよく一緒に遊んだこの公園。ここでさくらがどんな話をしようとしているのか、大体の察しはついていた。俺のほうから言うべきなのかなと考えたりもしたけど、そうするとさくらの決意に水をさすことになるような気がして、俺は黙ってさくらが口を開くのを待った。
「大好きだよ、ケンちゃん」
しばらく逡巡するような素振りをしたあと、さくらは前置きもなしにいきなり言った。
そのセリフをさくらの口から聞くのはちっとも初めてなんかではなくて。小さい頃には毎日のように聞かされたセリフで。その繰り返しの分だけ募った愛しさが一気にあふれてきて、さくらを抱きしめたい衝動にかられる。で、それをためらう理由がないことに気付く。
引き寄せられるようにしてさくらの肩に手を伸ばした、その時だ。
どかん。
もしかしたら俺の人生で聞いた一番大きな音だったかもしれない。
振り向いたときにはもう大型トラックがフェンスをなぎ倒して公園に乗り込んできていた。
がたんがたんと大きく揺れながら、トラックはそのままこちらへ迫ってくる。今思うと、もしあの時もっと冷静に動けていたらさくらと一緒に俺も逃げるくらいのヒマはあったのではないかと思う。でも俺はそんなにうまくやれなかった。あまりにも唐突すぎて、目の前の光景が意味するところを理解するのに少し時間がかかってしまった。
はっと我にかえったとき、俺に出来たのは抱き寄せるために伸ばした腕で逆にさくらを突き飛ばすことだけ。それから視界いっぱいにトラックのバンパーが迫ってきたところで俺の記憶は途絶えている。見事なほどの即死だったのだろう。さくらが無事だったのかどうかを確認するひますらなかった。
だから天使として現世に戻ってきた俺が最初にやったのは、さくらの安否を確認すること。結果として一応さくらは無事ではあったのだけど、俺が見たときにはもうこんな状態になっていたというわけだ。
俺がトラックに跳ね飛ばされるのを目の当たりにしたさくら。俺の死体がどんな状態だったのは知らないし知りたくもないけど、即死だったのだから正視に耐えないものであったのは間違いない。
作品名:天使がやっちゃいけない6ヶ条 作家名:terry26