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天使がやっちゃいけない6ヶ条

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 俺が死んでから五日目。やっぱり今日もさくらは来た。
 大通り沿いの公園、その一角にある事故現場。警察の実況見分はとおに終わってもう補修作業が始まっている。高校の制服に身を包んださくらはいつもと同じ場所で立ち止まると何をするわけでもなくただじっとそこを見つめる。それきり動かない。業者の人たちが忙しそうに動き回る中、さくらの周りだけ時間が止まっているかのようだ。
 そんなさくらを俺は十メートルほど上空から見下ろしている。俺はこうやってさくらを見ているけど、さくらには俺が見えない。
 俺が「天使」として現世に戻ってきたのは事故があってからちょうど丸一日経ったくらいのことだったけど、その時にはもうさくらはこの状態だった。ろくに口もきかず表情も変えず、ただ毎日制服を着込んでここへ来て、日が暮れておばさんが連れ戻しに来るまでずっとこうしている。真夏の炎天下、相当に暑いはずなのに水分をとることすらしない。ずっと健康的なつやを保っていた肌は見たこともないほどに荒れ放題、いつもきちんとまとめられていたセミロングの黒髪も今は見る影もなく乱れている。
 でも俺に出来ることといえばこうして上空からさくらを眺めていることだけ。それ以外をしてはいけない。それ以外を俺がやってしまったせいでさくらはこうして一人になってしまったのだから。
「今日も相変わらず、か」
 ふいにうしろから声をかけられた。力強さと清涼さが同居した女の人の声。エステルさんだ。いつの間にか見回りから戻ってきていたらしい。
「うん、まあ」
 俺は振り向かずに答える。たぶんエステルさんの言葉には「余計なことをしなかったか」という念押しの意味合いも含まれている。あの時――やってはいけないことを俺がやってしまった時、この人が止めてくれなければきっと俺は一瞬で天国に逆戻りだった。
「毎日毎日、飽きもせずによくやるものだ」
 エステルさんの声はちょっと呆れ気味。まあやっぱり他人から見ればそうなるのだろう。
「早いうちに飽きてくれるといいんだけどね」
 俺が言ったのと同時に、背後でエステルさんがため息をついたのが分かった。天使のため息。
「違う。お前に言ったんだ」
「え、俺?」
 思わず振り向いた先、俺の目に映るその女性はちょっと現世ではお目にかかれないような容姿の持ち主だ。きらきらと輝く黄金のロングヘア、まるで真新しい雪のように澄みわたった白い肌。そこへ昔の絵画なんかで見かける白い布を巻きつけたような服を身にまとっている。もしこれで背中に羽根でも生えていたらまさしく「天使」の出来上がりだが、どうもあれは現世の人たちが勝手に作り出したイメージだったみたいで、今俺の目の前にいる本物の天使には羽なんて生えていない。
 外見そのものは高校生だった俺とそう変わらない女の子なのだけど、この威容と喋り口調のせいもあってとてもそうは思えない貫禄がある。この人が俺のパートナー。「天使」の先輩であるエステルさん。
「せっかくソーマの縛りから解放されて自由になったというのに、他にやりたいことはないのか? 禁則事項をやぶらない限り、お前が何をしようと私は咎めたりはせんぞ?」
 ソーマというのは肉体のこと。解放と言えば聞こえはいいけど、肉体から解放されるというのはつまり死ぬということだ。
「うーん。そう言われても、特にやりたいことなんてないし……」
 考えてみても思いつかない。外国とかにはちょっと興味がないでもないけど、さくらを放ってまで行きたいとは思えなかった。
 エステルさんはふっと小さく笑った。
「まあ、私が口を出すことではないのだがな」
 何をしようと咎めたりはされない。つまりずっとここでさくらを眺めていたって別に構わないということだ。俺たち「天使」には一つだけ義務があるけど、それさえ怠らなければあとは基本的にどこへ行って何をやろうとも構わない決まりになっている。
「そっちはどうだった? 何か収穫はあったの?」
 何の気なしに訊いてみる。エステルさんはさして残念でもなさそうに首を横にふった。
「収穫があったのならこんなところでのんびりはしていないさ」
「そっか」と軽く答えて俺はまたさくらを見る。さくらは俺を見ない。見ることができない。たぶん、もう二度と。
 俺は天使。とは名ばかりの、単なる幽霊に過ぎない。





 人間を構成する要素は大きく分けて三つある。一番分かりやすいのが「ソーマ」で、そのまま肉体のことだ。
 そこに宿る霊、つまり心とか精神とかいうもののことを「プネウマ」と呼ぶ。分かりにくければ「人格」と言い換えてもいい。
 それら二つに力を与えるのが「プシュケー」。「魂」と言い換えるのが一番近いだろう。ソーマもプネウマも、これがないと活動ができない。
 もし今よりもっと科学が発達して、たんぱく質やら何やらを結合させて人間の肉体をゼロから再現することに成功したとしよう。肌や骨格、内臓器官、遺伝子などまで全部人間と同じ。でもそれがいきなり人間として活動を始めるかといえばそうはならない。心臓は動かず、血液がめぐることはない。意識は芽生えず、自分の意志で動くことはない。
 何故か。プシュケーがないからだ。人間と同じ肉体なのだからソーマとしては十分だし、脳もあるのだからプネウマが発生してもおかしくはない。でもプシュケーがなければそれらは活動のためのエネルギーを得ることができず、結果としてその人工物は永遠に動かないままのだ。
 で、だ。生きている人間はソーマ、プネウマ、プシュケーの三つを持っているわけだけど、そのうちの一つ、ソーマを失う時が誰にでも必ずやってくる。すなわち「死」だ。ソーマの限界というのは絶対に不可避な未来としてどんな人間にも待ち構えている。
 でも逆に言うと死によって失われるのはソーマだけであって、プネウマとプシュケーはそのまま残る。それがどうなるのかというと今の俺やエステルさんにその答えがあるわけだ。もちろん死んだ人間がそのまま天使になるのかというとそうじゃないのだけど、そのあたりのプロセスはとりあえずおいておく。大事なのは今の俺やエステルさんはプシュケーとプネウマだけの状態であるということだ。
 誰でも知っていることだけど、人間の視覚が働くのは眼球があるからだ。聴覚が働くのは鼓膜があるからだ。でもソーマを失った俺たちには当然ながらそんなものがあるわけはなくて、本来ならばこうやって現世の様子を見たり聞いたりできるはずがない。
 では何故それが出来ているかというと、そこに俺たちが「天使」と呼ばれる所以がある。天国にいる「上位天使」たち――現世で言えば政府の役人みたいなものだ――に魔法のようなものをかけられているのだ。現世の出来事を見たり聞いたりできるようになる魔法を。
 その魔法をかけられて、ある義務を課せられる代わりに現世の出来事を見聞きする権利を得るのが俺たち天使というわけだ。といっても何をやっていいわけではもちろんなくて、エステルさんが言っていたようにきちんと禁則事項が存在する。

・現世のものに触れる −10点
・現世の人間に声をかける −20点
・現世の人間に姿を見せる −40点
・生前の知り合いに声をかける −40点