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 好きな人の言葉だというのに、てんで耳には入ってこない。思考はすっかり麻痺してしまっている。ぼんやりとその場に立ち尽くし、奈央は爽太が消えていった階下へと続く階段をただじっと見つめていた。





「やっぱり完璧超人にはなれない、か」
 自室に戻った爽太はそのままベッドの上に突っ伏した。
 もう何もする気がおきない。屋上であれだけ大声を出したのだから寮長や後輩達にも騒ぎは伝わってしまっているはずだが、弁解するのは明日でいいだろう。
 部屋の鍵はもう閉めてある。今日はこのまま眠ってしまおう。
 目を閉じて、息を大きく吐き出す。まだちっとも眠くはならないが、このままじっとしていればいずれは闇が意識を飲み込んでくれるはず。
 全てが夢であってほしい。次に起きたときには今日の出来事が全部なかったことになっていて、いつも通りの朝が始まってほしい。比喩や夢想ではなしに、爽太は本気でそう願っていた。
 願うことしか、できなかった。
「……なんてみじめなんだろう、俺」





 次の日、奈央は一睡もできないまま朝を迎えた。
 横になることすらしていない。自室のベッドの上で背中から毛布を被り、体育座りをして膝の間に顔をうずめている。
 昨日あったこと、聞いたこと、言ったこと。いろんなものがぐるぐると頭の中を回っていて、いつまで経っても思考がまとまらない。
 自分の背中を押してくれた爽太の言葉を思い出す。あれは本心からの言葉ではなかったのだろうか?
 昨日聞いてしまったことが事実だとして、一体どんな想いで爽太はあんなことを言っていたのだろう。自分の気持ちを押し殺して、相手の幸せだけを考えていた?
「どうしてそんなことが出来るのよ。なんであんたはそんなにも……」
 要するに爽太は好きな相手が自分のもとを離れていく後押ししていたわけだ。そんなこと、自分には絶対にできないと思う。別に自嘲しているわけではなくて、普通はそうなのではないだろうか?
 爽太の好きな相手。それが自分なのだという実感がどうしても湧かない。嬉しいとか恥ずかしいとかいう感情よりも、「あの爽太が私みたいな女を好きになるはずがない」という思いが先に立ってしまう。
 そこまで考えて、ふと気付く。よくよく考えてみれば、昨夜は和真の「好きなんだろ?」という言葉を聞いただけなのだ。本人の口からは何も言われていない。もしかしたら単なる聞き間違いかもしれないし、和真の思い違いだという可能性だってあるわけだ。
 ――確かめたい。
 ふいにそんな衝動に支配される。
 何かを考えるよりも先に、携帯電話に手が伸びた。少しでも躊躇してしまうともうそれ以上何も出来なくなりそうだったので、出来るだけものを考えないようにしながら指を動かして爽太の番号をダイヤルする。
 プルルル、という呼び出し音が鳴るのが聞こえてひとまず安堵する。壁にかけられた時計に目をやると、時刻は午後八時を少し回ったところ。
 ふと、先ほど愛華がドアをノックしていたのを思い出す。「今日は行かない」とだけ言って追い返してしまったが、気を悪くしていないだろうか。あとで謝っておかないといけない。
『おっす』
 呼び出し音が途切れて、爽太の声が聞こえてきた。
「あ、えっと……おはよう。もう起きてた?」
『起きてたよ。ちゃんと朝メシも食って、ちゃんと昨日のことで寮長さんに怒られてきた』
「あ……ご、ごめん。そうだよね。私もみんなに謝っておかないと」
『そうしてくれ。わりぃな、なんとか誤魔化そうとはしたんだけど、寮長さんはしっかり女の子らしき声も聞いてたらしくてさ』
「え、いいよそんな。私だけ責任逃れするわけにはいかないでしょ」
 言いつつ、奈央は内心で戸惑っていた。昨夜あんなことがあったばかりだというのに、なんだか爽太の声はいつもと全く変わらないように聞こえる。やはりあれは聞き間違いだったのだろか?
「ねえ爽太、今どこ? 周りに誰か居る?」
『ん、今はいつものところ。朝練も終わったし、この時間なら誰も来ないと思うけど』
「いつものところって、部室? 今日はずいぶん早いのね」
『久しぶりに朝練に出てたからな。ま、正直言って和真やお前と顔を合わすのが気まずかったってのもあるんだけどさ』
 何の気負いも後ろめたさも感じさせない口調で爽太は言う。内心を悟らせようとしないあの横顔が目に浮かぶようだ。
「あのさ、爽太。昨日のことだけど――」
『気にするな』
 奈央が本題に入ろうとしたところで、きっぱりとした爽太の声に遮られた。
『お前のしたいようにすればいい。俺ももう余計なことを言うのはやめにするからさ』
 まただ。どうして爽太はこちらの望むようなことを言ってくれないのだろう。いつもは優しいくせに、どうして肝心なところで冷たくなるのか。
「分かんない。そんなの分かんないよ。頭んなかぐっちゃぐっちゃで、自分がどうしたいかなんてぜんぜん分かんないよ」
 自分でもびっくりするくらい情けない声が出た。もしかしたらまるで泣いているように聞こえるかもしれない口調で、奈央は「分からない」と連呼する。
「ねえ、教えてよ爽太。私、どうしたらいいのかな?」
『和真のこと、好きじゃないのか?』
 急にその名前が出てきたので、一瞬だけ奈央の思考が停止してしまう。爽太の言葉が意外だったというのもあるが、何より今の今まで和真のことを完璧に意識の外に置いていた自分に気付いてしまったからだ。
「何だか私、自信なくなってきちゃった。本当に好きなのかな、あいつのこと」
『おいおい、しっかりしろよ。お前はもう二年くらい前からあいつのことだけ見てきたんだろ? 今みたいなこと言ってたらその二年間が全部台無しになっちまうぞ?』
「……そんな前から気付いてたんだ、あんた」
 少し照れくさいような気持ちになりながら、和真への気持ちを自覚してからの日々を思い出してみる。いつもどぎまぎして、ほんの小さな出来事に一喜一憂して。何度も「もう諦めよう」と思って、それでも諦め切れなくて――
「うん。そうだよね。やっぱり二年越しの想いは簡単には捨てられない」
『だろ? だったら――』
「分かってる。言うよ、今日。もうバレちゃってるみたいだけど、はっきりと自分の口から伝えておきたいから」
『そっか。うん、それでいいと思う。頑張れよ。応援してる』
「ありがとう。あの……それでね? もし――」
『あー、すまん。誰か来たみたいだ。こんな話を人前でするわけにもいかなし、わりぃけど切るな?』
「え、ちょっと待って――」
『続きはまたあとで。んじゃ』
 通話は一方的に切られてしまった。なんだかタイミングが良いというか悪いというか。本当に誰か来たのだろうか? 適当に電話を切る口実をでっち上げただけなのではないだろうか。
 試しにもう一度かけなおしてみると、圏外だというアナウンスが流れてきた。いきなり電波が届かなくなるはずはないから、電源を切っているのだろう。
 奈央は確信する。さっきのは口からでまかせだったのだ。
「なんなのよバカ。まだ一番大事なことを訊いてないのに」
 ――いいもん、と奈央は拗ねたような気持ちになる。そっちがその気ならこっちだって。
作品名:ベクトル 作家名:terry26