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「私、誰にも――愛華にすら打ち明けてないはずなんだけど。そんなにバレバレだった?」
「いや、そういうワケじゃないよ。たまたま俺が気付いたってだけで」
特に鋭いほうでもない爽太が何故それに気がついたのか。そこを突っ込まれると苦しいところだったのだが、幸い奈央がそこに触れてくることはなかった。
「あいつも……気付いてる、のかな?」
普段は決して見せないような「女の子」の声と表情。
それと向かい合う自分は今どんな顔をしているのだろう。感情が顔に出てなければいいな、と爽太は思う。
「さあ、どうかなあ。見てる限りではそんな素振りはないけど、あいつってああ見えて妙に察しのいいところがあるし……」
奈央は下を向いて、右手で左手の二の腕あたりをきゅっと掴んだ。
「もし私の気持ちを知っててあの態度を続けてるんだとしたら……悔しいけど、完全に脈なしよね」
自嘲するような奈央の口調に、爽太の胸を焦がす炎が勢いを増す。思わず余計なことを口走りそうになってしまって、全力でそれを押さえ込む。
「脈があるだとか無いだとか、そういうことじゃなくて。重要なのは奈央がどうしたいかってことだろ?」
己の気持ちを振り切って口にした爽太の台詞に奈央は一度顔を上げ、それからまた下を向いた。
「ダメよ。きっとあいつ、私みたいなのじゃなくてもっと女の子らしくてかわいい子が好みなんだと思う。今朝だって私のことなんか見ようともしないで愛華のことばっかり……」
思うわず爽太はちょっと笑ってしまって、それを見た奈央がむっとした表情をつくる。
「なによ。私、何かおかしいこと言った?」
「いや、だってさ。あんなのただの冗談に決まってるじゃないか。あいつの言うことをいちいちマジに受け取ってたらこっちが疲れちまうだけだぞ?」
そんなの、三年間一緒に過ごしてきた奈央ならばとっくに分かっているはずなのに。これが「恋は盲目」ってやつなのだろうか? いや、ちょっと違うか。
「うん……」と弱々しく頷く奈央に、爽太はさらに言い募る。
「大体、そんなの奈央らしくないじゃないか。奈央だったら……そうだなあ。『あいつがどこを向いていようと関係ない! 私が力ずくで振り向かせてみせる!』ぐらいのほうが似合ってるよ」
その言い草に、さすがに奈央も苦笑する。
「なによそれ。私ってそんなキャラだと思われてるわけ?」
「少なくとも、俺には。自覚なかった?」
もう一度、奈央は小さく笑う。そこにもう自嘲は含まれていなかった。少なくとも爽太の目にはそう映った。
「そうね。あんたの言うとおりかもしれない。ちょっと考えてみるわ」
そう奈央が言ったところで、ちょうどチャイムが鳴った。二人はその場を離れてそれぞれの席へ向かう。
別れ際に奈央が言った「ありがとう」という台詞。
それを聞いたとき、何とも形容しがたい気持ちが爽太の胸に去来した。
※
進学校ならばどこでもそうだろうが、卒業式を間近に控えたこの時期、三年生の授業といえば後期試験を目指している生徒向けの受験対策に他ならない。出席もとられないし、受験が終わっている生徒は学校に来る必要はない。雰囲気としては塾や予備校みたいな感じだ。
では何故受験の終わった奈央たちが顔を出しているのかというと、ひとえに寮に引きこもっていても退屈だから。遊びに行こうにもお金がないし、だからと言って未だ受験生としての生活を続けているクラスメイトたちに混じって授業を受けたりしたら邪魔になるだけだ。
だから奈央は朝のホームルームにだけ参加してその後すぐに図書館へ行くことにしている。このところ、密かな趣味である読書――主に恋愛小説を読みふけって時間を潰すのが奈央の日課だ。
ちなみにこの趣味、もちろん和真たちには内緒だ。間違いなく「似合わない」と言って馬鹿にされるから。
はあ、とため息が出た。どうしてあいつはいつもああなのだろう。もう少しくらい乙女心というものを理解してくれてもいいのに。それこそ、小説の中に出てくる素敵な男の人のように。
『このままでいいのかな、って』
今朝、爽太に言われた言葉が頭から離れない。
『和真のことだよ。好きなんだろ?』
「う……」
思わず呻いた。思い出しただけでも顔が熱くなってしまう。
その想いを奈央が自覚したのは今からもう二年以上も前の話だ。よく飽きもせず今まで続けてこられたものだ、と我ながら感心するというか、呆れるというか。
あの超絶鈍感バカ(爽太は「妙に察しのいいところがある」とか言ったけど、あの男に限ってそれはあり得ない。というか、あってはいけない)は別として、あとの二人にはひょっとしたらバレてるかもなー、とは奈央もなんとなく思ってはいたけども。ああしてはっきりとした形で言われたのは今朝が初めてだ。
「このままでいいのか、かぁ」
誰にも聞こえないよう、小さな声で奈央は呟く。
もちろんこのまま終わるのがいいとは奈央も思っていない。
でも、だからといってどうしろと言うのか。今さら、本当に今さらだ。高校に入学し、あの寮に入って以来ずっと続けてきた四人の関係。どうやったらあれを変えることが出来るのか、正直奈央には見当もつかない。
というか。そもそも、本当に自分は変化を望んでいるのだろうか?
誰も口にはしないけど、あの四人で過ごす時間はひどく居心地がいい。
だからこそ。もし自分が何か行動を起こして、その結果四人の関係が壊れてしまったとしたら。たとえこの想いの行方がどうなろうと、自分は後悔することになりはしないだろうか。
「ああ、もう。爽太のバカ。余計なコト言わないでよ」
思考が泥沼にはまり込んだと自覚したところで、奈央は密かに責任転嫁を始めた。
そうだ。それもこれも、爽太がいきなりあんなことを言ったりするのが悪い。心配してくれているからこその気遣いなのだと分かってはいるが、それにしたってもう少し言い方というものがあるのではなかろうか。
――ああ、でも。
本当に、このままでいいのだろうか。
そんなことばかり考えていたせいか。
物語に集中できなくなって、というかむしろ恋愛小説なんて読んでいると余計に鬱々としてくるので早々に読書を切り上げ、久しぶりに買い物にでも行ってみようかと思い立って学校を出ようとしたところで。
校門のところでばったりと和真に出くわしてしまった。
――うわ。タイミング最悪。
「んだよ。そんな嫌そうな顔すんなっての。傷つくじゃねえか」
どうやら考えていることが顔に出ていたらしく、明らかにちっとも傷ついていない口調で和真はそんなことを言ってくる。
「……今はあんたなんかと会いたい気分じゃなかったのよ」
こんなことだけは素直に言えてしまう。そんな自分が憎らしくて口惜しい。
「それで、こんな時間にどうしたんだ? どっか行くところでもあるのか?」
奈央の悪態はきちんと和真の耳にも届いたはずだが、意に介する素振りすら見せない。いけしゃあしゃあと言ってくる和真に、思わずため息をつきそうになりながら奈央は答える。
「別に。なんとなく街に出てみようかなって気分になっただけ」
「あ、俺と同じか。ちょうど時間もいいし、一緒にメシでも食いにいかね?」