ぼくのせかい
「……で? ここが俺たちの知らない世界だとして、これからどうするんだ? 俺たちにそんなのを見せて、お前は何を言いたいんだよ?」
ようやく本題に入ることができそうだ。達臣は一度大きく息をはいて、あらかじめ用意していた台詞を口にする。
「まあこれからのことはゆっくり考えるさ。俺に任せとけ。それよりお前ら、ちょっと頭を切り替えてみろよ」
下から覗き込むようにしてゆっくりと一人一人の顔を見渡していく。揃いも揃って間抜け面ばかりだ。
「ここは俺たちの知らないどこか別の世界、つまり俺たちは夢をみてるようなモンだ。だったら――なあ、なにか思うことはないか?」
言いつつ、女たちの居るほうをそれとなく目で示してやる。何人かはそれで察したようで、いやらしく口元を歪ませるのが見えた。
「物理法則すら通用しない世界だ。下らない法律だとか決め事だとか、そんなものはここにはねえ。それにさっき言ったようにこれが夢みたいなモンなんだったら今何をやったってひょっとすると後でなかったことになるかもしれない。そうだろ?」
なんという論旨の飛躍。自分で自分に呆れてしまう。でも愚鈍なこいつらの頭を納得させるにはこれで十分だ。
「なあユウ。お前、七海に惚れてるんだろ?」
達臣は男子生徒の一人に声をかける。このグループではこういうことに飛びぬけて奥手な男だ。案の定いきなり名指しされたユウ――白石祐樹は「えっ」と驚いて声を上げたあと、みるみるうちに顔を真っ赤に紅潮させていった。
「い、いや、俺は……」
「なに今さら照れてやがる。そんなのここにいる奴はみんな知ってるぞ」
祐樹はまた「え」と声を上げてみんなの顔を見渡す。ある者は苦笑し、ある者はニヤニヤと冷やかすような笑みを浮かべている。どれもこれも「知っているぞ」と雄弁に語っている表情だ。
「おいおい、バレてないとでも思ってたのかよ」
「お前を見てたらイヤでも分かるっつーの」
口々に冷やかしの言葉をなげかける男子生徒たち。意外に切り替えが早くて助かった。最初は必死に否定していた祐樹がどんどんと返答に窮していって、やがてぎこちなく肯定の言葉をもらすまでの課程を達臣はじっと静観していた。
「なあ、今ってチャンスだと思わねえ?」
最初にそう言い出したのは達臣ではなく別の男だった。
「そうだよ。ここだとちょっとくらい強引にやっても捕まったりしねえんだ。どうせ後でなかったことになるんだしさ」
「行けよ、ユウ。こんなチャンス、他ではねえぞ」
「コクっちまえ。んで押し倒してやれよ。ちょっとぐらい嫌がっても強引にやっちまえばいい」
達臣の許しを得たことによる集団真理というやつだろうか。こいつらが口々にはやし立てて何をさせようとしているかと言えば間違いなく「レイプ」というやつだ。殺人などとならんで世間ではもっとも忌み嫌われる犯罪の一つ。そこそこのレベルの進学校に通うこいつらには似つかわしくない代物だ。
レイプ。達臣も多少興味がある。別にセックスの相手には困っていないが、無理やりにされたとき女はどんな顔をするのか、それを見てみたい。
「で、でも、そんな、無理やりなんて――」
「ユウ。お前、童貞だろ」
祐樹が何かを言いかけたところで達臣が口を開く。「うっ」と祐樹は言葉に詰まった。やはり図星だったらしい。
「初めての相手は七海と、とか思わないのか? 今がそのチャンスだぞ。元の世界に戻っちまったらもう無理かもしれない」
「それはそうだけど……でも、俺はそんなの――」
「大丈夫だ。ここだけの話、七海もお前に気があるらしい。そりゃあコクっていきなり押し倒したりしたら最初は嫌がるかもしれないけど、それはポーズだけだ。本音ではそういうのが嬉しいんだよ、女ってやつは。本当だぞ? 俺が保障してやる」
むろん口からでまかせだ。祐樹が片想い中の早瀬七海は達臣に惚れている女の一人で、何回か抱いたこともある。もちろん無理やりでもなんでもなくて同意の上でだ。無理やりにされて喜ぶ女なんて少なくとも達臣の知る範囲では存在しない。
「ま、マジで?」
「ああ。決心がついたか? だったらそいつが鈍らないうちに行ってこい」
達臣は立ち上がって、ばちん、と祐樹の背中を叩いてやる。ゆっくりと振り向いたユウはまだおずおずといった様子だったがそれでも「わ、分ったよ」と言って女達のほうに歩いていった。
何度も振り返りつつおっかなびっくり進んでいく祐樹。その背中を見送っていたらふと男子生徒の一人が言った。
「あーあ、マジで行っちまったよ」
軽い調子で言ってその男子生徒は達臣の隣に立つ。
「なあ。さっきあいつに言ったこと、マジなのか?」
七海が祐樹に気がある、というくだりだろう。達臣は薄く笑って肩をすくめた。
「さあな。ま、ああ言っとけばあいつでもちっとは度胸見せるだろ」
男子生徒は苦笑して「悪いやつだよ、お前は」と言ってからさらに言葉を続けた。
「実を言うとさ、俺も七海はちょっといいと思ってたんだ。あいつがダメだったら代わりに俺が行っていいか?」
今度は達臣が苦笑する番だった。
「そんなの俺に訊かれてもな。好きにすりゃいいだろ」
「そっか。そうだよな」
へへ、と下卑た笑みを浮かべる男子生徒を見て達臣は思う。何故こいつらはこんなにも短絡なのだろう。少し羨ましい、とすら思えてしまう。
そうなりたいか、と訊かれればもちろん御免だけど。
※ 橘 鏡花
「あいつ、何のつもりなの」
与えられた力のおかげで、鏡花の耳には達臣たちの会話が届いていた。
一体どういうつもりなのか。自分がするならまだしも――いや、もちろん許せはしないがまだ理解の範疇ではあるのだけど、他人を煽ってそんなことをさせるなんて。何がしたいのかさっぱり分からない。
「……何も考えてない、のかもね。あいつのことだから」
小さい頃からよく知っている達臣の顔を思い出す。昔はもっと素直で泣き虫で普通の男の子だったのに、いつの間にかああなってしまった。他人を見下すのが生きがいみたいな男に。
達臣の心根に気付いているのはきっと自分だけなのだ、と鏡花は思う。そうでなければあんなにも周りに人が集まるわけがない。高校生なのだからもう顔だけで男がモテる時期はとっくに終わっている。
「止めないと、いけないのかな。やっぱり私が」
気付いているのが鏡花だけ。それに多分だけど達臣がああなってしまった責任の一部は鏡花にもあるのだと思う。だからそれを止めるのは鏡花の役目だ。気は進まないけれど――
達臣の取り巻き。つまらない嫉妬から鏡花を冷遇している女の子たち。でもそんな酷い目にあわなければいけないほど悪い子たちではないと鏡花は思うのだ。たまたまめぐり合わせが悪かっただけで、もし状況が違っていたら仲のいい友達になっていたかもしれない。やっぱり見殺し――というのは言い過ぎにせよ、あの子たちが酷い目にあうのを黙って見過ごすのはちょっと後味が悪い。
「仕方ない、か」
達臣たちの居る方向は分かっている。おおよそでどのくらいの距離なのかも。いきなり並外れて耳がよくなった時はちょっと気持ち悪かったけど、今はこの力に感謝したい。