ぼくのせかい
「ずっと一緒にいよう」と約束したときのことを思い出す。指輪も将来の計画も何もない、言葉の上だけのプロポーズ。義人とてまだ高校生である自分達がこんな約束をする難しさ、非現実さを理解していないわけではない。でも約束せずにはいられなかった。自分達が離れ離れになる未来なんて考えられない。
しばらく何も言わずに抱き合ったあと、やがて沙雪が小さな声で言った。
「鏡花ちゃんなら」
「え?」
「あの時、鏡花ちゃんも居たよね?」
「キョウカちゃん、って橘さんのことだっけ? うーん、どうだったかな」
あの暗闇の中でも人の姿だけは浮かび上がって見えていたのだけど、義人だってあの場に居た全員の顔をきちんと見たわけではない。そんなことには気が回らなかったし、何より混乱していたので記憶もあやふやだ。
「居たと思うの。それで多分だけど、弓みたいなのを受け取ってた」
改めて感心する。あの状況下でそこまで冷静に他人を観察していたなんて。自分には出来そうにない芸当だと義人は思った。
「橘さんも選ばれた四人のうちの一人だってこと?」
義人の腕の中で沙雪が頷く。
「鏡花ちゃんはきっと大丈夫だと思う。どんな時でも落ち着いて物事を考えられる子だから。合流するならあの子がいいんじゃないかな」
「うーん。橘さん、か」
クラスメイトだからもちろん橘鏡花のことは義人も知っている。すらりとしたモデルみたいなスタイル、くっきりとした顔立ち。ふんわりとした雰囲気の沙雪とは違って「カッコいい」という形容詞がよく似合うきれいな子だ。ちょっときつい感じがするけど義人の知る限りでは多分クラスの男子に人気がある女子だと思う。
沙雪と鏡花が仲良しなのは知っていたが、ここでその名前が出るとは思わなかった。義人自身は鏡花とそれほど話したこともなくて「はっきりとものを言う子だ」くらいにしか知らない。それでも少し考えて「沙雪が言うのなら」と義人は心を決める。
「分かった。じゃあ橘さんと合流するとして、どうやったら会えるかな? 携帯……は、圏外か。そりゃそうだよね」
ポケットから取り出した携帯電話には予想通り「圏外」の表示。沙雪も自分のを見て「こっちもダメ」と言った。
「どうする?」
「うーん。鏡花ちゃんと会う方法は分からないけど、ここでじっとしてたって何にもならないと思わない?」
沙雪は義人の腕からするりと抜け出して、その代わりとばかりに今度は手をつないでくる。お互いの指と指を絡めるいつも通りの「恋人つなぎ」。
「でもあても無く歩き回ってみたって同じことじゃないかな? ただ疲れるだけで何もいいとこはないよ」
言いつつ、「他と合流しよう」というのは元々こっちの案だったのにな、と内心で苦笑する。本当にこの藤井義人というやつは考えなしの馬鹿野郎だ。
それとは対称的に沙雪は何かしらの確信を持っているようで、自信たっぷりに「大丈夫」と言った。
「こんな何もないところなんだから、近くに来たらすぐに気がつくよ。もしかしたら鏡花ちゃんのほうから見つけてくれるかもしれないし」
その言い分に根拠は何もないはずけど、信じてみようと義人は思った。こんなわけの分からないところに放り込まれて、沙雪だって不安でないはずがない。それでもこちらのことを気遣って気丈に振舞って見せているのだろう。そんな沙雪をこの自分が信じてやらないでどうする。
「もうちょっと僕も役に立たないとなあ……」
情けない呟きは、沙雪にも聞こえないほどの小声に留めておいて。義人は沙雪と一緒にあてもなく歩き出した。
そう、あてなんてあるはずがなかったのだ。義人の知る範囲では。
※ 鈴川 達臣
先ほどの場所から少し離れたところに達臣が地面に座っていて、それを囲むようにして男子生徒たちが立っている。「男だけで話したい」と言って達臣が呼び出したのだ。
「なあお前ら、どう思う?」
まず達臣はこう切り出した。
「どう思うって、なにが?」
男子生徒の一人が抑え気味の声で答える。女たちに聞かせたくない話をするのだということくらいはこいつらでも分かるらしい。
女たちは先ほどの位置から動いていない。不安そうな顔でこちらの様子を窺っている。達臣たちからは四、五十メートルほど離れているので大きな声を出さなければこちらの会話が聞かれる心配はない。
「この状況について、だよ。ぶっちゃけ俺にも何がなんだかわからねえんだけど、どうもここは俺たちの知ってる世界じゃないらしい。言ってみれば『異世界』ってやつか」
男子生徒たちの顔に動揺が走る。達臣はそれ以上何も言わず、誰かが口を開くのを待った。
「なんでそう思うんだ? 俺らが気付かねえ間に誘拐とかされて、どっか遠くの場所に連れて来られてるだけかも知れないじゃねえか」
無能め。もう少し考えてからものを言え。
罵倒は心の内に留めておく。まだだ。解放するのはまだ早い。
「それはない。それだといろいろと説明がつかないだろ?」
達臣がそう言っただけでその男子生徒は黙りこくった。自分の主張に無理があると自分でも分かっていたのだろう。
代わりとばかりに今度は別の奴が言ってくる。
「何か根拠でもあるのかよ?」
来た。あまりにも予想通りの展開に達臣は内心でほくそ笑む。こいつらを思い通りに動かすなんてあまりにも簡単だ。
「根拠、か」
達臣は足元から先の尖った石を拾い上げた。周りの男達は怪訝そうな顔でこちらを見つめている。
「見てろ」
達臣は石の先端を左の手首あたりに勢いよく突き立てた。ざく、という嫌な音。刃物と化した石が達臣の皮膚を突き破って肉をえぐる。そのままゆっくりと肘のほうへ向かって引いていくと、傷口からたちまち真っ赤な血が溢れ出した。
瞬間的に言葉を失っていた男たちが慌てて声を上げる。
「な、なにやってんだよ! おまえ――」
その時だ。たった今引き裂かれたばかりの達臣の皮膚が音もなく元に戻り始めた。まず最初に石を突き立てた部分から傷口に沿って、まるで見えない糸で縫合されるかのように合わさっていく。
今度こそ完全に言葉を失ってしまった男子生徒たちに見せ付けるようにして、達臣はすっと左手を掲げて見せた。ポケットから取り出したハンカチで血を拭い去ると、その下からは完全に元通りになった達臣の皮膚が現れる。かなりの深手だったはずなのに跡形すらまるで残っていない。
しばし目の前で起こったことを頭の中で整理する時間を与えてやる。適度に待って、男子生徒たちの表情が少しは落ち着いてきたのを確認してから達臣はゆっくりと口を開いた。
「これで分かっただろ? 俺たちの常識はここじゃあ通用しないんだ」
もちろん反論など出るはずがない。またしばらく沈黙があって、おずおずといった様子で一人が口を開く。
「それってやっぱりあの時の――」
「ああ。あの時受け取った鎧の効果だ」
「でもお前、鎧なんてつけてねえじゃん」
別の誰かがすかさず言った。予想していたとおりの台詞だ。達臣の描いた脚本どおりに事態は進行していく。
「そうなんだよ。俺の体に同化してるんだ。それもまた非常識な話だろ?」
達臣は簡単にしか説明しない。必要がないから。うざったい反論はさっき見せ付けた「あれ」が抑えてくれる。