ぼくのせかい
達臣はドッジボールみたいに悠馬を岩山に投げつけた。どかん、と大きな音がしてがらがらと岩が崩れてくる。
さすがに死んだかなと思っていたら、まだ悠馬は動いた。剣くらいの大きさになった一本目のナイフを地面についてなんとか立ち上がろうとしている。しぶといやつだ。
「どうした。何をそんな必死になってる? 何か言ってみろよ。ええ? 俺の言い分がムカつくなら何か反論してみせろよ」
どうせ何も言えないだろうと思っていた。屈辱に口元を震わせてただこちらを睨みつけるくらいが精一杯だろうと思っていた。
だけどその予想は見事に外れて。ひどく落ち着いたいつも通りの声で、悠馬はこう言った。
「なんだ。返事が欲しかったのか? それは気がつかなかった。すまなかったな」
※ 橘 鏡花
「ぶぶっ……」
こんなときだというのに思わず笑ってしまった。
痛快だった。あれだけやかましく動いていた達臣の口をたった一言で塞いでしまうなんて。
「なんか……やっぱりあいつ、いい」
鏡花は独りで呟く。啓太は居ても役に立たないので置いてきた。小高い岩山の上に一人で鏡花は立っている。
悠馬と達臣。二人の会話、争う物音。全部聞こえる。だったら狙うのは簡単だ。
そう。さっきの達臣との会話で鏡花は自分の勘違いに気がついた。本当にこの弓矢が狙ったところを必ず射抜けるのだったら標的に近付く必要すらないのだ。遠く離れていたって標的の場所さえわかればどこからでも撃てる。そして今の鏡花にはこの耳があるのだ。
ここは認識で全てが決まる世界。そう語った悠馬の言葉を思い出す。
さっき鏡花の弓がかわされたのは「必ずあたる」という認識が足りなかったから。沙雪の盾がいとも簡単に砕かれたのは「相手の攻撃を必ず防いでくれる」という認識が足りなかったから。
でも、今ならきっと大丈夫。信じられる。あいつを助けるためにもあててやる。絶対に外すものか。
鏡花は弓に矢をつがえて耳をすませる。狙うのは達臣の声。達臣の立てる物音。悠馬のとは全然違うから分かりやすかった。達臣は乱暴で荒々しく、悠馬は繊細で静かだ。
もう迷いはない。一度大きく息をはいて、鏡花は矢を放った。
※ 蒼士 悠馬
「自分が思ったことを好き勝手にわめいておいてそれに返事をしろと言う。まるで子供だな」
左手の親指で口元の血を拭いつつ、悠馬は立ち上がった。
「あんなことを言われたって何と答えていいのか分からない。それでも何かを言えと言うのなら……そうだな。お前が他の人間より優れているとして、一体何をしたいんだ? 金持ちになりたいのか? 女にモテたいのか?」
達臣はわなわなと口元を震わせている。ぺっ、と真っ赤な唾をはき捨てて、悠馬はいつも通りの感情を表に出さない静かな口調で言葉を続ける。
「どっちにしても俺には関係ない。好きにやってくれ――と言いたいところなんだが、あれだけのことをやったあとじゃあそうもいかない」
悠馬は右手のナイフを天に掲げるようにして持ち上げた。
「多分、人は誰でも少なからず他人を不幸にして生きている。それはどうしようもないことだけど、お前みたいにあまりにも度が過ぎると罰せられるようになってるんだ。元の世界ではな」
天に向かってナイフが伸びていく。光なんてないはずなのに、確かにその刀身がきらりと輝いた。
「本来だと罰するのは警察の役目だ。この世界にはそれが居ないから、代わりに俺がお前を裁く」
ぐい、と顔を上げて達臣を見る悠馬。無表情ではない。確かな打倒の意志がそこにあった。
達臣は何かを言っている。悠馬は相手にしない。
「もう終わりにしよう」
それだけ言って、悠馬はぶうんと腕を振り下ろした。長く伸びたナイフが地面に叩き付けられる。どがん、という大きな音。砕かれた岩が飛び散って達臣の体を打つ。
続けざまに悠馬は逆に腕を振り上げる。地面に深くめり込んでいたナイフが大蛇のようにうねって、粉々になった岩がまた飛び散る。舞い上がった砂煙でほとんど視界がきかない。
悠馬は二本目のナイフを投げる。空気の動きで察したのだろう、達臣は身をかがめてそれをかわした。そこへ。
「なに……っ?!」
驚きの声を上げたのはやはり達臣。今度はかわせなかった。すさまじいスピードで飛んできた矢が達臣の胸に深々と突き刺さる。
「く、そ……鏡花のやつ……」
「今度こそ終わりだ」
声は達臣の背中ろから。いつの間にか達臣の背後に回りこんでいた悠馬がナイフを達臣の背中に突き立てた。今まで一度も抜こうとしなかった三本目を。
「う? お、オオオォォォォォ?!」
まるで砕けるガラスのよう。達臣の全身にひびが入って、やがて粉々に砕け散った。
達臣の体は細切れの肉片になってびちゃびちゃと散らばった。
※ 鈴川 達臣
(クソったれ。鏡花のやつ……)
達臣の思考は停止しない。脳すら粉々になって飛び散っているのに死を認識しない。
(あいつのせいだ。蒼士はもういい。あいつからやってやる)
飛び散った達臣の体がぷかぷかと宙に浮いた。光ですらない、血肉のダイアモンドダスト。
(馬鹿め。お前の居場所は分かってんだよ)
肉片たちは移動を開始した。標的へと向かって。
「そんな、馬鹿な――」
呟いたのは悠馬。宙に浮いた目玉の片方が一瞬だけそちらを見て、またすぐに飛んでいく。
飛びつつ、肉片たちは少しずつもとの形へと集まり始めた。体、腕、足、頭。それぞれのパーツごとに組み合わさって少しずつ人間にかえっていく。
まず標的のところへ着いたのはまだ右半分しか形を成していない頭だった。標的――鏡花は「あ、あ……」と怯えた声を上げて尻餅をつく。
「お前のせいでこんな姿になっちまった。どうしてくれるんだ?」
ぶよぶよとした塊が蠢いて声を発した。当然鏡花は応えない。逃げようとするのを、肉片で取り囲んで阻んだ。
「お前は殺す前に犯してやるつもりだったんだけど、もういい」
遠くからまっすぐに刃が伸びてきて肉片の一つを貫いた。もう一本が回転しつつ飛んできて肉片を切り裂く。
でもまるで効果がなかった。肉片はすぐに再生してしまう。
「死ね」
肉片たちがいっせいに鏡花へ襲い掛かる。
どす、どす、どす、どす。
肉が肉に突き刺さる音が幾重にも重なった。
※ 橘 鏡花
もうダメだと思った。
幼いころから知っている達臣がばらばらの肉片になって迫ってくる。あまりにも現実感のない光景だ。気持ち悪いとすら思えない。でも死の予感だけはちゃんとあった。
肉片たちが襲い掛かってきたとき、鏡花は思わずきゅっと目をつむってしまった。そしてもう二度と目を開けることはないのだと覚悟した。
どす、どす、どす、どす。
粘着質の気持ち悪い音。せっかく耳がよくなったのに最後に聞くのがこんな音だなんて嫌だな、と思った。鏡花が聞きたいのはもっと別の声だ。
ぽた、ぽた、ぽた。血の滴る音。命が抜け出ていく音。静かだった。
何かが変だと鏡花は気付く。だって、ちっとも痛くない。もしかして自分は見事なほどの即死で、気付いていないだけでもうとっくに死んでいるのだろうか?
恐る恐る目を開けてみる。
「え――」