ぼくのせかい
おかしなことが起こっているのに気がついた。消えていっているのは沙雪だけではない。その上に覆いかぶさっている義人もまた沙雪のあとを追うように光の粒になって立ち昇っていっているのだ。
「な、なんで――」
きらきら、きらきら。まるで金色の蝶々みたいに宙を舞って消えていく二人の体。どうやったって人の死にゆく様には見えない。幻想的だ、とすら思ってしまう。どうすることも出来ずに、鏡花はただ呆然とその光景を眺めているしかなかった。
やがて二人が跡形も無く消え去ってしまったころになって、
「二人の絆は本物だったってことだ」
ぽつりと悠馬が言った。
「え?」
思わず鏡花は悠馬の顔を見る。
「藤井は二条なしには生きていけないと認識していた。だからその通りになった」
「何を言ってるの……?」
いぶかしむような視線を鏡花が向ける。悠馬はそれに答えようとして、ふと何かに気がついたように視線をよそに向けた。
「……あいつが来てから言うよ」
つられて鏡花もそちらを見てみると、佐藤啓太がこちらへ走ってくるところだった。
※ 蒼士 悠馬
沙雪の死を死っても啓太はあまり動揺しなかった。諦めたようにため息をついて「そっか」と言い、どっかりと地面に腰を下ろした。
「お前の完敗だな。藤井との勝負は」
同じく地面に座って、悠馬はそれだけ言った。啓太は笑う。
「さっきは取り乱しちゃったけど、もともと争うつもりなんてなかったんだ。本当はね」
それから二言三言、悠馬と啓太は言葉を交わす。鏡花はしばらく男二人のやりとりを黙って聞いていたが、やがてこう言って口を挟んだ。
「ねえ佐藤。あんた、なんでそんなに落ち着いてるのよ。もうフラれてたとは言え、好きな子が死んだのよ?」
啓太は言うべきかどうかためらうように「うーん」と唸ってから、こう答えた。
「本当に死んじゃったのかな? 僕ね、もしかするとこの世界で死んだ人は元の世界に帰ってるんじゃないかって思うんだ」
鏡花は意表をつかれたような顔をする。
「何故そう思う?」
悠馬は驚いた様子もなくそう言った。
「いや、単にああやってみんな消えていくからもしかしたらそうなのかなって思っただけなんだけど……でもさ、考えてみたら最初に聞かされたあの声も『最後の一人になるまで殺し合え』って言っただけで、『一人しか元の世界には帰れない』なんて一言も言ってないよね?」
鏡花は心底驚いたように目を丸くした。
「そういやそうかも。あんた、意外とよく考えてるのね」
啓太は照れたように頭をかいた。その横で悠馬は口元をゆるませる。
「もしお前の言った通りなら、今ここで俺たち三人が自殺すれば一件落着ってことになるな」
とたんに啓太が慌てた。
「や、止めようよそんなの。蒼士くんの言うとおり、何の確証もないんだよ?
「安心しろ。俺だってそんなリスクの高い賭けに出るつもりはない」
悠馬は落ち着いて答えた。鏡花と啓太が同時にほっとため息をつく。
「心臓に悪いこと言わないでよね」
鏡花は言って、ふと思い出したように言葉を続けた。
「そういやあんた、さっきも変なこと言ってなかったっけ?」
「ん?」と悠馬が鏡花のほうを向く。
「あれよ、あれ。二人の絆が本物だったからどうの、っていう」
「なにそれ」と啓太も興味を示す。悠馬は「ああ」と納得したように言って少し考えるような仕草をしたあと、ゆっくりと話し始めた。
「これも俺の推論に過ぎないんだけどな。この世界は『認識』によって成り立ってるんじゃないかって話だ」
「認識?」
鏡花と啓太はよく分からないような顔をする。
「そう、認識。いろいろあって『もしかしたら』とはずっと思ってたんだが、本当にそうなんじゃないかと考えだしたのは死んだ人間が光になって消えるのを見てからだ。死んだら認識する主体がなくなる。『自分がここに存在している』という認識がなくなって体も消滅する。そういうことじゃないかと思ってな」
あごに手を当てて考えるような仕草をしながら悠馬は言葉を続ける。
「鈴川が殴るだけで人を粉々にするのだってそうだ。あいつは自分以外の人間をひどく劣った存在だと認識している。だからあんなことができる」
鏡花は何かを言いたそうにはしているが、どこで口を挟んでいいのか分からないようだ。逆に啓太は黙って悠馬の話に聞き入っている。
「まだあるぞ。お前ら、ここへ来てから空腹とか眠気、便意とかを感じたことはあるか?」
「便意って……」
嫌そうな顔をする鏡花。啓太はそれに気付いているようだったが悠馬を注意するようなことはせず、「うーん」と考えてから「そういえばないかな」と答えた。
「橘は?」
何も分かっていないような顔で悠馬は平然と鏡花にも話をふる。
「だから、ちょっと……ま、いいけど」
鏡花は諦めたようにため息をつく。「ない、んじゃない?」と投げやりに言ってから「で、それが今の話と何の関係が?」と付け加えた。
「ああ。そういうのはその感覚があって初めて認識するもんだろう? 空腹感がないのに『腹が減った』と思うやつは居ない。そんなのはただの過食症だ」
鏡花がなにやら変な顔をした。目を瞬かせつつ悠馬の顔を見て、
「あの……今のって冗談?」
「なにがだ?」
「いや、違うならいいの。気にしないで話を続けて」
悠馬は不思議そうな顔をしたが、すぐに気を取り直したようだ。元通りの口調に戻って話を続ける。
「感覚がないから認識もできない。だから本来あるはずの生理現象が起こらない。もっと長い時間が経って『自分は長い間何も食べていない』と認識すればもしかすると腹が減ってくるかもしれないけどな」
そこで一旦言葉を切って、悠馬は腕組みをして「ふむ」と小さく言った。
「まだあるにはあるんだが、全部挙げていってるとキリがないな。とりあえずこれくらいにするとして、お前らどう思う?」
「どう思うって言われても……」
戸惑ったように言ったのは鏡花だ。啓太は少し考えるような仕草をしたあと、こんなことを言った。
「認識したことが本当になるんだったら、逆に言うと認識さえすればなんだもできるってこと?」
「まあ、そうなるが」と悠馬は答えて、でも、と付け加えた。
「認識ってのはそんな簡単なもんじゃないぞ。なんせ俺たちには生まれてから今までずっと過ごしてきた現実世界の常識ってのが植え付けられてる。いきなり『俺たちは空を飛べる』と認識しろと言われても無理だ」
「うーん、それはそうだけど……でもそれじゃあせっかくこのことに気付いた意味がなくならない?」
啓太への答えとして、悠馬は平然とこう言った。
「意味なんてないぞ。ただ言ってみただけだ」
「え」と啓太は驚いたように声を出す。悠馬は悪びれた様子もなく言った。
「はじめに言っただろ。これは俺の推論に過ぎないって」
なんだそれは、とでも言いたげな顔で啓太は悠馬を見る。と、しばらく黙ったままだった鏡花がふいに口を開いた。
「自分はどんなに頭がいいかって見せびらかしたかったの?」
いきなりこう来た。責めるような口調で。
「あんたは頭がいい。それは認める。わざわざ自慢してもらわなくてもね。でも、だったらなんで普段からそれを出さないのよ」