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この手に君のぬくもりを

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 名前を「御辻沙耶」という。透とは中学校の同級生にあたる。クラスは違ったので覚えてはいないが、「御辻」をすぐに「ミツジ」と読めたことからしてもしかしたら名前くらいは見やことがあったのかも知れない。写真ではメガネをかけていて髪の毛も真っ黒。髪型も今――というかディスプレイの中のサヤとは違ってポニーテルにしていた。化粧っけの全くない地味な女の子。それでも一目で分かった。彼女は間違いなくサヤであると。

 入り口の受付で母の名前を出すと、どうやら事前に言付けてあったようですぐに取り次いでくれた。ちょうど診察もやっていなかったらしく、ほどなくして白衣に身を包んだ母が姿を見せる。
「覚悟はできてるかい?」
 開口一番、このセリフ。何の覚悟だろうか。一体今から何を聞かされるのだろう。ごくりとつばを飲み込みながら、それでも透はうなずいた。
「よし。それじゃ、ついてきな」
 それだけ言うと、母は先に立って歩き出す。透も何かを喋る気分ではなく、黙ってあとについていった。
 エレベーターで三階までいき、廊下を渡って個室のある病棟のほうへ。
 途中で患者達とすれ違うとき、そのほとんどが母に会釈をした。母もにこやかに返して、一言二言労わりの言葉をかけていた。母の医者としての顔を見るのはこれが初めてではないが、相変わらず透と話すときとのギャップがすごい。こんなときだというのに思わずふき出してしまいそうになった。
 母は迷いのない歩調で三階のすみっこまでずんずんと歩いていって、角にある病室の前で足を止めた。ドア横のプレートに「御辻沙耶」という名前を見つけたとき、透の胸がどきんと跳ね上がった。
「分かってるだろうけど、騒ぐんじゃないよ」
 振り向かずに母は言って、無造作にドアをあけた。待ってくれ、と言うひまもない。目を逸らそうにも間に合わなくて、否応なしに病室の中の様子が透の目に映りこんでくる。
 何もかもが真っ白な部屋に、一人の少女が眠っていた。顔はまるでシーツの色が映っているかのように白く、頬は透が今までに会った人の中で間違いなく一番こけている。彼女はじっと目を閉じたまま、母が近付いていっても微動だにしない。骨の浮いた腕に突き刺さった点滴のチューブが痛々しい。
 透はよろよろと病室の半ばまで歩いていって、そこでついに動けなくなった。
「サ、ヤ――」
 無意識のうちに口が勝手に呟いた。
 そう。間違いなく目の前の少女はサヤだった。ディスプレイの中の彼女がそっくりそのままそこに居る。卒業アルバムの写真と違って眼鏡もかけていないし黒髪でもない。やせ細った小さな体の下で、ディスプレイ越しにずっと見てきた栗色の髪がベッドに広がっている。
 血の気の失せた顔、枯葉のように乾燥しきった肌、少しでも力をかけると折れてしまいそうなやせ細った腕。それでも彼女はサヤだった。誰がなんと言おうとも、サヤそのものだった。
「なんとなく分かるだろうけど、その子、ただ寝てるってわけじゃないよ」
 たっぷりと時間をかけて透が落ち着くのを待ってから、母がゆっくりと口を開いた。
「遷延性意識障害――といってもあんたは分からないだろうね。本当は医者がこの言葉を使ったらいけないんだけど……俗に言う『植物状態』ってやつさ」
 ゆっくりとした母の声が、ゆっくりと透の中に染み込んでくる。
 植物状態。サヤが。
「なんで――」
「交通事故さ。高校に上がったばかりの頃にね」
 意図せず口にした言葉にすかさず母が答えてくれる。透は努めて冷静になりながら思考を巡らせて、思いついた中で一番重要だと思われることを真っ先に訊いた。
「この子とサヤの関係は?」
「おや。もっと虚脱状態が続くかと思ったら、意外と冷静なんだね」
 そんなことは訊いていない。じろりと睨んでやると、母は小さく息をはいて肩をすくめた。
「関係もなにも。この子が沙耶ちゃんじゃないか」
「そうじゃなくて」透はちょっとイライラしながら言った。「この子はパソコンの中のサヤとどういう関係があるんだって訊いてるんだ」
「分かってるよ。だから、この子がそのサヤそのものだって言ってるんだ」
「……え?」
 言われたことが理解できなかった。サヤそのもの。この少女が。
「どういう、意味?」
「詳しく言ってもあんたに理解できるかどうか分からないけど……ま、言わなけりゃあんたは納得しないだろうね」
 そう前置きして、母は語り始めた。





『植物状態の患者と意思疎通を図る』
 そのプロジェクトに母が参加していたことがそもそもの発端だという。「植物状態の患者は意識がないように見えて実は身の回りの出来事を把握している」という以前からあった説が最近実証されて、では何らかの方法で患者と会話することも可能なのではないか、と考える人が増えたらしい。
 そこで開発されたのが、この病院でも導入されている最新鋭の機器。粘着シートを患者の頭部に貼り付けて脳波を詳しく読み取りそれを分析、言語に変換するというものだ。形状としてはデスクトップ型のパソコンに近い。脳波の変化を内蔵されたディスクに記録しつつ、言語に変換してスピーカーから出力する。周囲の音を認識するのは患者本人がやってくれるから、これさえあればあとは普通に話しかけるだけで患者との会話が可能になるというわけだ。
 もちろんこの機器は「一見意識がないように見える患者が実は周囲の音を認識している」という前提に基づいて作られているので、植物状態に陥った患者すべてに使用できるわけではない。それでも母は伊藤沙耶の家族にもこの技術のことを話し、家族が希望したため彼女にもこの機器が取り付けられることになった。そして沙耶は見事にこの機器に適応し、家族達は約一年ぶりとなる彼女との会話をスピーカー越しに果たしたのだが――
「そこから起こったことは、あたしもうまく説明する自信がないんだけどね」
 珍しく困った顔をしながら、それでも迷いのない口調で母は語り続ける。

 会話を可能にする機器を沙耶に取り付けて一週間が経った日のことだ。面会時間が終わって親族たちが帰ったあと、母が沙耶の病室を訪れてみると一人の看護師が例の機器を前にして立ち尽くしていた。
「誰か居るんですか? 居たら返事をしてください」
 聞こえたのは看護師の声ではない。機器を取り付けて以来すっかり聞きなれた植物状態の少女、御辻沙耶の声だ。
 ちなみに機器が出力する声というのは患者本人のものに似せてつくられてはいるが、あくまで機械は機械。大抵の場合、声質は平坦で機械的なものになる。それなのにこの沙耶の声は、まるで本人が自分の口で喋っているかのように起伏に富んだものになっていた。ある種の異常だとすら言えるほどに。
 だが、この日母が目撃した異常というのはそんなものとは比べ物にもならないものだった。何故って、脳波を読み取る粘着シートは既に沙耶の頭からはがされているのだ。なのに一体どうして、機器から沙耶の声が聞こえてくるのか。
「お願いです。誰か返事をして。どうなってるの? 私、どうしちゃったんですか? 真っ暗なんです。何も聞こえないんです。ねえお願い、誰か助けて!」
作品名:この手に君のぬくもりを 作家名:terry26