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この手に君のぬくもりを

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 恐らく無意識だったのだろう。次第に錯乱していく沙耶の声が、小さく「ある人物」の名前を口にするのが聞こえて、母は急激に正気を取り戻した。まずはパニックを起こしかけていた看護師を優しくなだめ、このことは誰にも口外しないように言い聞かせてから退室させる。
 それから何度か機器に向かって話しかけてみると、会話が成立しない――というよりどうやらこちらの声が沙耶に届いていないらしいことが分かった。機器には音声を認識する機能などついていないから当たり前のことではあるのだが。
 今度は機器から脳波の変化を記録するディスクを取り出してみる。するとたちまち沙耶の声が聞こえなくなった。どうやら今の異常にはこのディスクが関係しているらしい。
 母はそのディスクを病室から持ち出して自分の控え室まで持って行き、そこにあるパソコンにセットした。すると驚いたことに、今度はそのパソコンのスピーカーから沙耶の声が聞こえ始めたではないか。試しに普段使わない音声入力用のマイクをパソコンに取り付けて話しかけてみて、今度こそ本当に仰天した。なんと会話が成立したのだ。
 母は二、三質問をして、今自分が話している相手が御辻沙耶であることを確認した。それが終わると混乱の極みにあった彼女(?)を取り合えず落ち着かせてから、少しばかり席を外した。病室で眠っている沙耶本人に何か異常がないか調べにいったのだ。
 幸いおかしなところは見当たらなかった。脈拍、呼吸ともに至って正常。ただ一つ変わったことといえば、件の機器を取り付けても何の反応もしなくなったということだ。脳波は正常に検知されるのだが、いくら本人に話しかけてみてもその反応が言語に変換されてスピーカーから聞こえてくることはない。
 再び控え室に戻った母は一通りの現状を沙耶に説明した。どうやら沙耶は自分が植物状態に陥っているところまでは認識していたらしく、全てを話し終えるころにはすっかり落ち着きを取り戻していた。
 そして、自然と話は「これからどうする」という方向にいく。そのときになってようやく、母は「ある人物」の名前を出した。そう、息子である透の名前である。
 沙耶が事故にあったとき、サイフの中に入っていたという数枚の写真。そこに映っていたものが何であるのか母は知っていた。そしてそれが何を意味するのか、つまり女の子が自分のサイフに男の写真を忍ばせておくことにどんな意味があるのか、そんなものは考えるまでもない。
 自分の担当医が自分の想い人の母親であると知って、沙耶は大いに驚いた。「会いたいか」と訊くと、散々に迷ったあげくに「はい」と答えた。ただし「自分が植物状態になっていることは可能な限り秘密にする」という条件付きで。「かわいそうな子だ」と思われたくないのだという。
 いろいろと問題がないわけではないが、とりあえずこのディスクを家に持ち帰ればそれは可能になる。とはいえ、そうするにしても真っ暗な画面にただ話しかけるのではあまりにも味気ない。そこで母は研究室に残っている大学時代の知り合いに沙耶のイメージ画像を作ってもらうことを思いついた。むろん相手には何のメリットもないし、その上沙耶のことは絶対に口外しないという条件付きだったが「彼女」は快く受け入れてくれた。
 そう、その研究者というのもまた女性なのだ。しかも理系には珍しくこういう話にはとことん弱いタイプの。母はそれを見越していたのである。
 さて、そうして出来上がったイメージ画像。母のリクエスト通り沙耶の感情に応じて変化するものとなったので、これを取り入れるとなるとファイルサイズが大きくなってしまうが、その問題は沙耶のデータを大容量ハードディスクにコピーすることで解決した。そして試しにイメージ画像付きの沙耶のデータを母が起動させてみたとき、さらに信じられないことが起こった。いくつかのパターンにしか変化しないはずのイメージ画像が、まるでそこに本物の御辻沙耶が存在しているかのように活き活きと動き始めたのだ。さらに沙耶はこちらの様子を視認しているようでもあった。控え室のパソコンにはカメラなどついていないのに、である。ありえないことだが、沙耶の様子からするとそうとしか思えなかった。
 超常現象。母の友人である研究員はそう言った。
 母もそれに同意した。ただし友人が言ったのとは違った意味で。
 人の意志が起こす奇跡。これはそういうものだと母は認識している。





 信じられない。それが感想だった。
 あのサヤがそんな、まさしく超常現象としか呼べないような出来事の産物だなんて。
「……そんな話、いきなり聞かされたって信じられないよ。大体おかしいじゃないか。どうして母さんはそんな冷静に対処できたんだ? どう考えたって異常な事態なのに」
 口早に言い募る透を前に、母は冷静な表情を崩さずに首を横にふった。
「この職業をやってるとね。人の意志が起こす奇跡なんてものは飽きるくらいに何度も見せられてるものなんだよ。今さらこの程度で慌てたりはしないさ」
 うそだ、と透は思った。母が言っている奇跡というのは恐らく「助かる見込みのなかった患者が奇跡的に命を取り留めた」とかいうレベルのものだろう。いくら医者といえども、今回のような出来事を何度も経験しているはずがない。
「まあ、正直に言えばあたしも信じられない思いではあったさ。でも慌ててみたって仕方がないじゃないか。それで事態がうまくいくわけでもなし。結局は何事も落ち着いて考えるのが一番なんだよ」
 分かる。母はそういう人だ。この母ならばそういう事態を前にしても冷静に対処することが出来るのかもしれない。
 そもそも、肝心なのはそこではない。透が考えるべきなのは、母から聞かされた今の話が真実なのかどうかだ。そして、それだってもう答えは出ているようなもの。母はこんなタチの悪い嘘をつくような人ではない。ときどきあまりにも辛辣で必要なことすら教えてくれなかったりするこの母だが、そこだけは信じられる。
「なんだい。今の話、あんたは信じたくないのかい?」
 透は静かに、はっきりと首を横にふった。
 あのサヤが現実に存在する人物だった。そのことをどう思うのか。
 考えるまでもない。嬉しいに決まっている。サヤに触れたいと、抱きしめたいとどれだけ思ってきたか。決して叶わないと思っていたその願いが、今現実として目の前にあるのだ。嬉しくないわけがない。
「あのサヤはほんとうにこの御辻沙耶さん? この子が目を覚ましたらサヤと同じことを言う?」
「……さあね。私には何とも言えない。だけどサヤ自身がそうだと認識している以上、その可能性は高いだろうね」
 話しながら、透は沙耶の顔から目が離せない。
 自分のことを好きだと言ってくれたサヤ。いつも優しく微笑んでくれるサヤ。そして、目の前で眠ったまま動かない沙耶。サヤ、サヤ、沙耶――
「十分だけ時間をやる。外で待ってるよ」
 それだけ言って、母は病室から出て行った。とん、と静かな音と共に入り口のドアが閉まる。
作品名:この手に君のぬくもりを 作家名:terry26