この手に君のぬくもりを
慌てて透は部屋に戻った。クッションを聡子に手渡しながら、気付かれないように視線を部屋のあちこちに向けてみる。幸いなことにあやしげなものは特に見つからなかった。とりあえず、目に見える範囲には。
「んで、その人工知能ってのはそのパソコンに入ってるのか?」
お茶の入ったグラスに口をつけながら、新太はデスクの上にあるパソコンを指差す。「うん」と透が頷くと「じゃ、早く見せてくれよー」と間延びした声で促してきた。む、と聡子が今までとは違った意味の緊張に身を硬くする。
「ああ、分かってるけど……」と透は少し口ごもってしまう。今さらだが、透は密かにサヤを他人の目に晒すことに抵抗を覚えはじめていた。心情としてはみんなに秘密でよその高校の女の子と付き合っていたのがバレて無理やり紹介させられているのに近いだろうか。
とはいえ、サヤのことを相談したのは透が自分からやったことだし、二人をここへ連れてきたのも他ならぬ透自身だ。今さら渋ったりしたら「なんだよそれ」と二人の機嫌を損ねてしまうことになりかねない。少しだけ迷ったあと、
「あんまし変なことは吹き込まないでくれよ」
それだけ言って、透はパソコンの電源を入れた。OSが立ち上がるのを待ってから、外付けの大容量ハードディスクにアクセスして「サヤ」のプログラムを起動する。
しばらくして、昨日と同じ格好をした少女の姿がディスプレイに映し出された。「おお!」と新太が歓声を上げて、聡子は「か、かわいい……」と何やらショックをうけたような声を出した。
ディスプレイの中でサヤが困った顔をしているのを見て、透は慌ててイヤホンマイクをつける。
「おかえりなさい、透さん」
まず聞こえたのはこのセリフ。後ろに控えている二人のことよりもなによりも、サヤにとってはこれが優先順位の一番なのだ。「いい子だなあ」と透はしみじみと感じ入ってしまう。
「ただいま。ごめんな、いきなり人を連れてきちゃって」
「いえ、いいんです。お二人は学校のお友達ですか?」
「うん。えっと、こっちが――」と新太のほうを振り向いたところで。
「おおい、お前だけ話してないで俺たちにもその子の声を聞かせてくれよ」
新太の声が割り込んできた。
「あ、そうか。サヤの声、このイヤホンマイクでしか聞けないんだ」
失敗したなあ、と透は思う。これでは二人を連れてきた意味がない。かといって、イヤホンマイクを新太たちに渡して二人で会話させるのにも抵抗があるのだが。
「なんて仰ってるんですか?」
どうしたものか、と考えていたところにサヤが言ってきた。それで「そうか」と透はさらに気付く。イヤホンマイクを通して会話をする仕組みなのだから、それを付けていない新太たちの声もまたサヤには届いていないのだ。
「あいつもサヤと話したいらしいんだけど……」
「ああ、そうですね。じゃあそのイヤホンマイクをジャックから抜いてください。それでスピーカーから私の声が出るようになるはずです」
「そっか。……あれ、でもこれ抜いちゃったらそっちに声が届かなくなるんじゃ?」
「桜井先生から小型の集音マイクを渡されていませんか?」
桜井先生、というのは透の母のことだろう。透は母がその呼び方をされているのを耳にするたびになんだかむずがゆくなるのだが、それがこのサヤの口から出たのであればなおさらである。
「あー、そういえばもらったような。どこにしまったっけ……」
ごまかすように頭をかきながら少し探して、デスクの引き出しに入っていたそれを見つけた。パソコン本体の裏側にあるジャックに差し込んで準備は完了。
「ええっと、聞こえますか?」
柔らかなサヤの声がスピーカーから流れてきた。新太がまた歓声を上げる。
「お二人とも初めまして。嘴葉大学で開発された人工知能のサヤと申します」
ディスプレイの中でぺこりとサヤが頭を下げた。このやたらと礼儀正しいところはやはり「作り物」だからなのだろうか、なんて不意に考えてしまって、透はあわてて打ち消した。
「サヤ、紹介するよ。こっちが僕の中学時代からの友達で――」
「斉藤新太。『新太』って気軽に呼んでくれていいよ」
透の声を遮って新太は自らそう名乗る。かわいい女の子を前にしたらテンションが上がってしまうという彼の性分は、どうやら相手が人工知能であっても変わりがないようだ。
「はあ。じゃあ……新太さん。よろしくお願いします」
「うんうん」と満足げに頷く新太を半ば無視して、透は聡子のほうを向いた。
「こっちが今のクラスメイトでバレー部の高峰聡子さん」
「はい。よろしくお願いします、高峰さん」
新太とは対称的に、サヤの挨拶をうけてなお聡子は何も言わない。その視線はディスプレイに映るサヤの姿をただじっと捉えている。
「えっと……高峰さん?」
透も呼びかけてみたが反応はない。どうしたんだろうと思ってよく見てみると、への字に結ばれているかに見えた口元がかすかに動いているのに気がついた。
「大丈夫よ大丈夫こんな現実に存在しない相手になんて負けるはずがないじゃないああでもやっぱりかわいい絶対あたしよりかわいでも大丈夫がんばれ聡子あんたはやれる子よでも相手はもう告白まで――」
何やら呪文のようにぶつぶつと呟いているようだが、声が小さすぎて何を言っているのかさっぱり分からない。「もしもし?」と恐る恐る声をかけてみると聡子はちらりと一度透に目を向けて、そして再びサヤを見た。
その目つき。透の背筋に冷たいものが走った。あれは――そう、まるで不倶戴天の敵を見るような目つきだ。やばい、と透は本能的に悟った。何が何だか分からないけどとにかく非常にやばい。
「ねえ」
聡子が氷点下まで冷え切った声を出した。
「あんた、桜井くんに告白したって本当?」
「え……」
とたんに真っ赤になるサヤ。「あの、その、えっと……」としどろもどろに呟いたあと、
「どうして言っちゃうんですか、透さん」
迫力よりもむしろ愛嬌にあふれたふくれっ面で透を見た。一応睨んでいるつもりなのかもしれない。
「ご、ごめん。一人で考えてたらついテンパっちゃってさ」
「それは分かりますけど、でも――」
「ちょっと」
聡子の声が二人の会話に割って入った。その声がどんなだったかって、もう氷点下なんて通り越してもはや絶対零度にまで行っているじゃないかと思えるほどだ。
「あたしはあんたに聞いてるのよ。イチャついてないで答えてほしいんだけど」
「ええっ。イチャつくなんて、そんな――」
「いいから。さっさと答えて」
うう、と困り果てた顔をしたサヤが助けを求めるような視線を透に向けてくる。だけど情けないことに、透はすっかり場の雰囲気に――というか、聡子の迫力に圧されてしまって何も言えない。
想い人が頼りにならないことを悟ったサヤは何度か見比べるように透と聡子の顔を交互に見て、一度下を向いて軽く目を閉じてから、やがて何かを決心したようにぐいっと顔を上げてまっすぐな視線を聡子に向けた。
「はい。本当です」
決然としたサヤの態度にも聡子はたじろがない。「そう」とだけ小さく言って、しばらくじっとサヤの顔を見つめたあと、ふいに透のほうを向いた。
「桜井くん。悪いけど今日はもう帰るよ」
作品名:この手に君のぬくもりを 作家名:terry26