この手に君のぬくもりを
いきなりの辛辣な言葉だが、いつものことなので透は気にしない。
「本当に仕事してる時はいつも電源切ってるじゃないか。今は休憩中なんだろ、母さん?」
ふう、と受話器越しに息を吐く気配が伝わってきた。ため息をついたのか、それとも煙草を吸っているのか。
『ま、そうなんだけどね。というか、そろそろ困り果てたどっかのガキが泣きついてくるんじゃないかと思って待ってたのさ』
ぐ、と透は言葉につまる。こちらの動向を見通されていた上に「ガキ」呼ばわり。何か反論したいところだが言葉が出てこない。
『用件は分かってる。あの子のことだろ?』
「そうだよ。母さんに無理やり押し付けられたあれのね」
せめてもの腹いせに思いっきり気に入らない声を出してみたのだが、母は「ふうん」と興味のなさそうな声を出しただけで鼻にもかけない。
『で、どうしたんだ。まさかいきなりケンカしたとか言わないだろうね?』
「いや、ケンカはしてないけど……」
というか、まだそんなことになるほど会話をしていない。さっき初めて起動させて、軽く自己紹介みたいなことをしていたらいきなり言われたのだ。あの言葉を。
「あのさ、母さん。あれって変な機能がついてたりしない?」
『あん? なんだいそりゃ』
「いや、なんつーかさ。ほら、鳥とかにはあるって言うだろ。生まれて初めて見た人を親だと思い込むとか」
『ああ、刷り込みってやつだね。あの子に刷り込み……ふむ、なるほど』
得心がいったというように、母はゆっくりと言葉を続けた。
『あんた、あの子に何を言われたんだい?』
からかうでもなく、あくまで事実を確認するようなその口調にかえって透は赤面してしまう。これではまるで母親に恋愛相談をする息子みたいではないか。他の家庭ではどうなのか知らないが、透にしてみればこの母に向かってそんなことをするなんてのはたとえ天地がひっくりかえってもごめんである。
『ま、言いたくないならそれでも構わないけどね』
透が何も言わないでいると、母はやがて諦めたようにため息をついた。
『あの子は普通の女の子だよ。変な仕掛けなんて付いちゃいない。あんたが何を言われたのか知らないけど、それは全部あの子自身の素直な気持ちなんだろうさ』
素直な気持ち。そんなことを言われてもわけが分からない。初対面でたった二言三言言葉を交わしただけの男に向かっていきなり「好きだ」なんて言う女の子の一体どこが「普通」だというのか。
『さて、あたしはそろそろ仕事に戻るからね。もう掛けてくるんじゃないよ』
「え、ちょっと待ってくれよ。まだ訊きたいことが――」
『甘えるな。少しは自分で考えろ』
突き放すようなそのセリフと共に通話は切れた。ツー、ツーという不通を伝える音がやたらと耳障りで、透は思わず顔をしかめた。
「……くそ。どうしろってんだよ」
吐き捨てつつ電話を閉じる。結局何も訊けなかった。これではわざわざ電話をした意味がない。
大体、そもそもの発端は母なのだ。隣町にある嘴葉大学の大学病院に脳外科医として勤務する母が「大学時代の知り合いが人工知能の開発をやっている。ベータ版が出来たからモニターをやってくれ」といって無理やり押し付けてきたのがあのサヤだった。
母が持ち帰ってきた10TB以上もある超大容量ハードディスク。それを自室のパソコンにつないで起動してみた結果が先ほどの出来事というわけだ。予想外にも程がある。母から事前に教えられたことなんて、その人工知能の名前が「サヤ」でイメージ画像は透と同年代の女の子の外見をしているということくらいだった。
そう。そうなのだ。あのディスプレイに映っていた姿はあくまでイメージ画像であって、そもそも人工知能に性別などあるはずがない。ましてや恋愛感情なんて。そんなものから「好きだ」と言われた自分は一体どうしたらいいのだろう?
「ま、ここで考えててもしょうがないか」
母が何も言おうとしない以上、あとはサヤ本人と話すしかない。気持ちを切り替えて部屋へ戻ってみると、ディスプレイの中のサヤはただじっと透の帰りを待っていた。
「おかえりなさい。電話は終わったんですか?」
再びイヤホンマイクをつけて椅子に腰掛けた透に、サヤは静かにそれだけ言う。会話の途中で放置されたことにも文句一つ口にしない。ほのかな罪悪感にちくりと透の心が痛んだ。
「ごめん、いきなりどっか行っちゃって。大事な話の途中だったのに」
母と話しているときと違って、どうしても強く出ることができない。気がつくと口が勝手に謝っている。
「いえ、いいんです。私たちはまだ会ったばかりで、それに私はこんなだし」
サヤはそっと目を伏せる。「こんなだし」というのはサヤが人工知能であることを指しているのだろうか。
「それなのにいきなりあんなことを言われたら誰だって困りますよね。こっちこそごめんなさい。透さんの気持ち、ちっとも考えてませんでした」
サヤがぺこりと頭を下げると、栗色の髪がまるで絹糸のようにさらさらと流れる。
ふいに場違いな感動が透の心に生まれた。自分はこんな女の子に「好きだ」と言われたのだ。素直にそれを嬉しいと思う反面、だからこそどうしたらいいのかと困惑もしてしまう。
「いや。君の気持ちは嬉しいよ」
それでも口をついて出るのはこんなセリフ。なんだかんだ言って、結局のところ自分のことを好きだと言ってくれる女の子に冷たくできるほど透は冷淡でもないし大人でもないのだ。
「ほんとですか?!」
ぱあっと花が咲いたようにサヤの表情がほころぶ。ああ、やっぱりかわいいなあ、と透は思った。外見といい性格といい、いかにもこのサヤは透の好みにぴったりと当てはまっている。
「うん、ほんと」と少しにやけながら返していた、その時だ。ふいにおかしな感覚が透の脳裏をよぎった。
(あれ。この笑顔、どこかで――)
「透さん? どうかしました?」
サヤの声が聞こえて、透はふと我に返る。
「……ごめん、なんでもないよ。あのさ、やっぱりいきなり答えを出すのは難しそうなんだ。悪いんだけどちょっと時間をくれないかな」
「はい」とサヤは素直に返事したあと「でも、あまり気にしないで下さいね。私、別に透さんとどうこうなんて考えてませんから。ただ気持ちを伝えたかっただけなんです」と言った。
そういう言い方をすると余計に透を悩ませてしまうということに、どうやらサヤは気付いていないようだ。
※
再び、学校にて。
学食で昼食をとりながら、たった今透が二人のクラスメイトに大方の事情を話し終えたところだ。二人のクラスメイト――斉藤新太と高峰聡子はそれぞれ「信じられない」という顔で透を見ている。新太のほうは興味津々といった様子、聡子はといえば何やらしかめっ面をしている。
「でもさ、お前んとこのお袋さんってお医者さんなんだよな? それがなんでそんなものを持って帰ってくるんだ?」
「学生時代の知り合いが開発チームの主任をやってるんだって。母さんが変な開発品を持って帰ってくるのはこれが初めてじゃないんだ」
男二人がそんな会話をしている横で、聡子はぶすっと黙り込んでいる。そんな彼女の様子にまず気付くのはやはり透ではなく新太だ。
「えっと、高峰さん?」
作品名:この手に君のぬくもりを 作家名:terry26