「ナイフ」
「やめてよ。あんなおじさんが相手だなんて、ちっともロマンがないじゃない」
確かにその通りだ。おっさんには悪いが、さすがにエミーとあのおっさんでは絵にならない。
下らないおしゃべりもそこそこに、俺たちは次の目的地へと向かう。
あのパン屋はともかくとして、この商店街にはそれなりの店が揃っている。ブティックやアクセサリーショップ、ブランドの専門店など女の子の喜びそうな店も多い。それらを一個一個回っているうちに時間が立ってゆき、最後にドラッグストアやスーパーマーケットで必要なものを買い揃えた頃にはもう教会の鐘が鳴る時間になっていた。
大量に膨れ上がってしまった荷物を一度家へ置きに帰って、今度は商店街とは逆のほう、小高い山になっている方面へと向かう。どこかお勧めの場所はないかとリクエストされたので、仲間内で有名な夜景がきれいに見える岡の上へ向かっているところだ。
女の子にはちょっとしんどいかもしれないので途中でタクシーを拾う。車でなら十分とかからない距離だ。時刻は午後六時になる少し前。まだ少し明るいけど、ちょうど明かりが灯り始める時間なのでそれはそれでムードがあるかもしれない。
目的の場所につくと、少しだけ待っていてくれるようにと運転手に頼んでタクシーを降りた。少し歩いて淵のところまで来れば、噂の夜景ポイントにたどり着く。
「わあ――」
エミーが小さく歓声を上げた。
暖色系の光に包まれた夕暮れの街。中央でひときわ大きな光を放つ駅まわりのビル、少し外れたところにある教会の鋭角的なシルエット。その周りを囲むようにして様々な色の光が点になって浮かんでいる。いつも自分が住んでいる街だとは思えないほどに幻想的だ。
「なるほどね。アンタはいつもこうやって女の子を口説いてるわけだ」
「……何か他の感想はないのかよ」
確かにそういうふうに使っている奴もいるらしいけど。というか、それ意外で夜景ポイントの使い道なんてあるのだろうか?
なんかちょっと後悔。俺よ。そんなところにこのエミーを連れてきて、一体どうするってんだ。
「調子に乗って肩とか抱いてきたらぶっとばすからね」
「しねえよ」
一緒に夜景を見ているのだとはとても思えない台詞の応酬。ムードなんてもののかけらすらない。かといって、居心地が悪いかといえば意外とそうでもなくて、なんだか不思議な気分。こういうのも悪くないかな、とか思っている自分が居る。
「ああ、でも今なら許しちゃいそう。なんだかすごくいい気分」
この台詞からすると、彼女も同じように感じているのだろうか。だとしたら尚のこと、悪くない。
「今日はありがとう。おかげで私、なんだかこの街のことを好きになれそうよ」
「そりゃよかった。俺も案内した甲斐があるってモンだ」
彼女がいつまでここに居るのかは分からない。所詮は仕事だから一緒にいるだけの関係だ。
だけど、せめてここに居る間くらいは気分よく過ごせるようにしてやろう。そんなことを思った、街外れでのひととき。
街の案内はこれにて終了。再びタクシーに乗り込んで向かった先は駅前の広場だ。そこで何物にも代えがたいライディングのひと時が待っている。
ちなみに「ライディング」と言ってもエミーには何のことか通じなかった。スケートボードで滑ることだと説明してやって、はじめて理解を得られる。数少ない俺の趣味なのだけど、知らない人は基本的な用語すら全く知らなかったりするので悲しい。
駅前の広場につくと、いつもどおり何人かがもう滑っている。ゴー、というウィールがアスファルトの上をすべる音。それだけでどうしようもなくハイになる。ノってきました。
「よう」
仲間たちと軽く挨拶を交わす。預けていたボードを受け取って、ライディング開始。
エミーには「少しだけだから」と言って待ってもらっている。また彼女の機嫌を損ねたくはないので、そんなに長い時間はできない。今日は軽く乗るぐらいのつもりでいこう。
まずは平らな地面で感触を確かめる。一度だけ片足で地面を蹴って、そこからチックタック――ボードの前を左右に振って進んでいく基本的な技に移行。マニュアルと呼ばれる自転車で言うウィリーのような技を織り交ぜつつ、徐々に体を温める。
調子が出てきたところで、階段越えをやっているスケーターたちに俺も参加。階段越えの必須技術であるオーリー、手を使わずにボードごとジャンプする技はそれなりに高度だ。このみんなはごく当たり前にやってるけど。もちろん俺もその一人だ。ジャンプ中に無理な技を入れたりしなければ階段越えぐらいで転ぶこともない。
俺の番が来た。エミー、見てるかな。いや、カッコつけるためにスケートやってるわけじゃないんだけどね。
地面を勢いよく蹴って加速開始。階段の段差が始まるぎりぎりのところまで我慢して、思い切り後ろの足を踏み込む。ふわりと体をつつむ浮遊感。足についてきているボードをつま先で軽く蹴って横に回転を加える。フリップ。見事に成功。ドンという音と共に、バランスを崩すことなく完璧な着地。スケーターたちから「イエー」と歓声が上がる。この瞬間がとんでもなく気持ちいい。サイコー。
スピードを緩めてボードから降りたところで、いつの間にか近寄ってきていたエミーに「リオ」と声をかけられた。何だろう。タイミング的には「カッコよかった」とかそんな台詞を期待してしまうのだけど。
「私、お腹すいた」
がっくり。期待はずれもいいところだ。彼女にとって、スケートは面白い見世物にすらならないのだろうか?
「……もうちょっとで終わるから。待っててくれないか?」
「やだ。退屈なんだもん。周り、知らない人ばっかだし」
おっと。そういえば仕事のことを忘れていた。確かにいろんな人が入り混じったこの状況では怪しい人物なんていちいちチェックしていられない。
「でも、今すぐ終われってのもちょっとなあ……ごめん、あと一回だけ。あと一回だけ階段越えをやったら終わりにするから」
かなり遠慮したつもりだったのだけど、それでも彼女は気に入らなかったらしい。ぷうと膨れ面になってそっぽを向いてしまった。
「知らない。勝手にすれば」
とか言って歩いていってしまう。ああ、ついさっきまでは機嫌がよかったのに。女の子ってムズカシイ。
「おい、あれってお前のカノジョ? すんげえ可愛くね?」
ふと、隣に居たスケーター仲間の一人がそんなことを言ってきた。俺はため息混じりで首を横に振る。
「そんないいモンじゃねえよ。ただの知り合い」
「マジかよ。じゃあ俺が口説いちまってもいいのか? 他にカレシとか居ねえよな?」
「あ。そういや、どうなんだろうな」
そんなこと、全く気にしていなかった。男慣れしていない感じはあったが、それだけのことで恋人が居ないと判断するのもどうかと思う。過剰に俺の事を遠ざけるのだって、彼氏に対して操を立てているとも考えられるわけだし。
「分かんねえけど、どっちにしてもあいつはやめといたほうがいいぞ? あまりにも気が強すぎる」
「いいじゃん。俺、気の強い女大好き。おちた時のギャップがたまんねえ」
「……好きだね、お前も」