「ナイフ」
「やっぱり分かんない。一体どうやったらそんなふうになれるんだか。ねえ教えてよ。人をたくさん殺してるくせに、どうやったらそんな平気な顔をして生きていられるの?」
「……ほっといてくれ」
おかしな正義論や禅問答はごめんだ。俺はずっとそういうふうに生きてきたんだから、今さら何故とか言われても答えようがない。
埒があかないとでも思ったのか、エミーは少し論旨を変えてきた。
「アンタ自身はどうなのよ。もし私が警察に駆け込んでアンタのことを告げ口したらそれで一巻の終わり。そんな生活で満足なの?」
「うっせえなあ。お前だって警察じゃなくて俺みたいなやつにガードされてるんだから、どうせ似たようなモンだろうが」
いきなり二人称が「アンタ」に変わっているが、まあそれはいいとして。実際のところはどうなのだろう。俺が警察に逮捕されたとしても、殺人罪を立証するのは無理なのではないかと思う。何故って、警察にはどうやって俺が殺したのか理解できないのだから。
「そういやそうか。でもまあ、警察にチクられたくなかったら明日はちゃんとこの街を案内することね」
「結局それかよ。別にそこまで言わなくても案内ぐらいしてやるって」
「分かってないわね。ちゃんとよ、ちゃんと。私の要望には全部応えること。朝から行くんだから、まずは寝坊しないようにしなさい」
「はいはい。分かりましたよ、お嬢様」
要望に応えるも何も、どうせそれほど大きくもない街だ。女の子が行くような場所を全部回ったとしてもたかが知れている。俺は軽くこなしてやるつもりで答えて、最後にお互いおやすみの挨拶を言い合って目を閉じた。
※
次の日、俺が目を覚ましたのがおおよそ午前八時。まだエミーはベッドの上で寝息を立てている。俺が顔を洗ったり軽く朝食をとったりしていても一向に目を覚ます気配はない。昨夜は「早起きしろ」とか他人に言っておいて、結局はこれだ。やっぱりこいつとは生活のリズムが合いそうにない。
わざと音量を大きめにしてテレビをつけてやる。さすがにエミーも「うーん」とうるさそうに唸ったが、それでもまだ起きてこない。低血圧なのだろうか。
そのままぼうっとテレビを眺めていたら、いつの間にか午前十時になってしまった。エミーが何時に家を出るつもりだったのかは知らないが、「朝から行く」とか言っていたのでこれはもう立派な寝坊だろう。
ソファーに座ったまま二、三回呼びかけてみても、目を覚ますどころか何も反応がない。仕方なく立ち上がってベッドのところへ歩いていって、寝転がっているエミーの姿に目を向けた瞬間。
「……う」
思わず息がつまってしまった。鋭い視線ばかりを向けてきた瞳を閉じて無防備に眠る、あどけないエミーの寝顔。シーツの上でくしゃくしゃに乱れているプラチナブロンドのロングヘア、呼吸にあわせて上下する柔らかそうな乳房。どうやら彼女はあまり寝相がよくないらしく、毛布はおろかパジャマまでめくれあがって白くてほっそりとしたお腹が見えてしまっている。
――どくん。
まずいとは思っていたけど、案の定また「化け物」が騒ぎ始める。
綺麗なもの、汚れ無きもの。それがこいつの大好物だ。こいつにとってこのエミーなんてのはとんでもなく上等な獲物なのだろう。
「っく……人がせっかく無邪気にドキドキしてたのに、それを台無しにしやがって」
殴りつけてやりたいところだが、腹の立つことにこいつは俺の中に住み着いてやがる。自分の頭を殴ってみても俺が痛いだけだ。何の意味もないどころか余計にムカつくことになる。
頭を抱え込んで必死に「化け物」を抑え付けて、ようやく少し気分が落ち着いたところで顔を上げてみると。
「あ」
いつの間にかエミーは目を覚ましていたらしく、アクアマリンの瞳とばっちり視線が重なってしまった。
「……なにしてんの、アンタ」
自分の身を隠すように毛布を手繰り寄せながら、威嚇するような視線を向けてくるエミー。
まずい。非常にまずい。
ベッドの上で眠っていたエミー、それをじっと見ていた俺。別に俺は何も悪くないのに、状況が状況だけに言い訳を許さない。
「あの、いや、俺はただ――」
それでも何か言わなければと口を開きかけたところで、いきなり枕が飛んできて俺の顔面に直撃した。
「すけべ! 変態! けだもの!」
だんだんと目が覚めてきたのだろう。本来の調子を取り戻したエミーからさまざまな罵声が浴びせかけられる。
「け、けだものはねえだろ。別になにもしてねえんだし。そもそも俺はただ起こそうとしただけで――」
「いいからさっさとあっち向いて! てゆーかやっぱりそれだけじゃダメ、廊下に出てて!」
「……はあ。分かったよ」
酷い言われようだ。別にやましい気持ちなんてなかった、いやそりゃあ少しはドキドキしたりもしたけどそれは男にとっては当たり前の範囲であって、それを駄目だとか言われたらもうどうしようもない。
なんとも情けない気分で廊下に出ると、とたんにガチャリと鍵を閉める音が背中から聞こえてきた。この状況でまだそこまで疑われるか。俺の信用、目下大暴落中。と言っても、果たしてそんなものが元からあったのかどうか定かではないけど。
どうやらエミーは出かける支度までしているらしく、廊下に立たされたまま結構な時間を待たされた。他の部屋の住人に変な目で見られて、隣の住人には朝からうるさいとか文句を言われ。気分は最悪。まるで痴漢で誤認逮捕された男みたいな気分だ。
「くそ。それもこれも、全部あいつのせいだ」
あそこであいつが騒ぎ出したりしなければ、何事も無くエミーを起こしてそれでおしまいだったのに。これからしばらくはエミーとの生活が続くとなると、何かあいつをうまく抑えこんでおく方法を考えなくてはいけない。とっくの昔に犯罪者にはなっている俺だけど、できれば変態の仲間入りはしたくない。
廊下に出されて三十分ほど経過したころ、ようやく鍵を開ける音が聞こえてドアが開いた。
「入っていいわよ」
カンカンに怒っているかと思ったが、ドアから覗かせたエミーの顔を見た感じでは意外とそうでもないらしい。誤解だと気付いてくれたのだろうか?
「ま、アンタも男だしね。私の魅力に思わずクラっときちゃうことぐらいあるでしょ。今回だけは特別に許してあげる」
いや、ちっとも分かってなかった。まあ許してもらえるんだったらそれでいいのだけど。もう俺のイメージは最低まで落ちきっているだろうから、今さら誤解を解こうとしてもめんどくさいだけだ。
「ちょっと予定より遅くなっちゃったけど、出かけるわよ。アンタも準備しなさい」
そう言う彼女はすっかり外出の準備を整えている。肩のところにレースのついた白と黒のキャミーソール、下は同じく黒でフレアー型のミニスカート。シルバーのピアスとネックレスは昨日と同じ。歩き回ることを前提にしてか、全体的に軽装だ。
準備しなさいと言われたので部屋に入ってそのまま着替えを始めると、エミーは「きゃっ」と小さく悲鳴を上げて後ろを向いた。耳の後ろが赤く染まっている。どうやら彼女、あまり男慣れはしていないようだ。