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「ナイフ」

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 何かを振り払うかのように叫んだエミーの声。それだけで、何が起こっているのかおぼろげながらに理解できた気がした。
「分かんないわよ! いろんなことがありすぎて、もう頭のなかぐちゃぐちゃで! 何がなんだか分かんないってのよ!」
 セドリックへと銃口を向けているエミー。その雄姿がありありとまぶたに浮かぶ。
「確かに姉さんを殺したのはその人なのかも知れない。あの力を見てからずっとその可能性は考えてた」
 エミーの声にだんだんと涙が混ざっていく。最後の一言は、まるで泣き叫んでいるかのように響いた。
「でも、その人はリオなのよ! 命がけで私を守ってくれた、こんな私に優しい瞳を向けてくれたあのリオなのよ! 憎めるわけがないじゃない!」
 ああ。
 不覚にも俺まで泣きそうになってしまった。
 なんという幸せ。なんという分不相応。俺にはそんな気持ちを向けてもらう権利なんてないというのに。
 エミー、俺じゃあダメなんだ。俺じゃあお前を幸せにすることは出来ない。
 再び、しばしの静寂。今度もセドリックがそれを破った。
「――まったくお前たちは、どうしてこうも私をイラつかせるのだ」
 爆発しそうになった激情を必死に押さえ込んでいる、震え混じりの声。
 まずい。
「ところで、エミリエンヌ。その銃、まだ安全装置が外れてないぞ?」
「え?」
 戸惑うようなエミーの声が聞こえた次の瞬間、ぱしんという何かを払う音が響いた。少し遅れて、再び金属が床を転がる音。
「何故だ! なぜあのような実験体にそんな感情を向ける! あれはただの人を殺す道具だというのに!」
 狂ったようなセドリックの叫び声と共に、二人が争うような物音が聞こえる。
 まずい。
「くっ……この、離しなさい! 何が人殺しの道具よ! あなたなんかよりもリオのほうがずっと人間らしいわ!」
 どうやら、それが止めの一言になってしまったようで。完全にタガが外れてしまったセドリックは急に狂ったような笑い声を上げた。
「な、なに……?」
 さすがのエミーもうろたえた声を出している。
 まずい。そいつから離れろ、エミー。
「分かったよ。そんなにそいつがお気に入りだというのなら、その間違いを正してやるまでだ」
 ぬるりと。底から這い上がってくるようなその声に、思わず俺すらも嫌悪感に襲われた。
「この場でお前を犯してやる。そうすればお前もそれ以上世迷言は言うまい」
 激しく争う物音のあと、がたんと床に何かが倒れる。
 まずい。このままでは、まずい。
「や……! 気持ち悪い! やめなさいよ、この……!」
 嫌悪感を露にしたエミーの声の奥、押し隠された恐怖をありありと感じる。
 ダメだ。助けないと。
 ――誰が?
 決まっている。この俺しか居ないじゃないか。
 彼女とは一緒の未来を描けない。その決意を変えるつもりはない。
 だけど約束したんだ。守るって。この命に代えてもお前を守るって、約束したじゃないか。
 頭痛は治まらない。それがなんだ。
 散々に蹴られた体。どこかが折れているかもしれない。それがなんだというんだ。
 強引に腕を突っ張って、まずは上半身を起こす。左手は折れているようで使い物にならないから、右手一本で。
 全身が悲鳴を上げる。頭痛もひどくなった。
 知らない。そんなモン無視だ無視。
 情けなく震える足をまずは片方だけ立てて、思い切り踏ん張る。
「う、ぐ……こ、の……いうことを、ききやが、れ……っ!」
 ぶちり、という音すら聞こえた気がした。あまりの痛みに耐え切れず、どこかの神経がちぎれてしまったのかもしれない。
 それでいい。この痛みは邪魔なだけなのだから、神経なんてどっかに行っちまえ。
「いや、いや……! リオ!」
 ほとんど無意識だったのだろう。エミーが俺の名前を呼んだ。
 かちり、と。俺の中で何かが組み合わさる。
 ついに両足を立てることに成功した。
 あとは簡単だ。床についたままだった右手を離し、両足に力を入れて立ち上がる。
 気がつくと、少しだけ視界が戻っている。こちらに振り向いたセドリックの、驚愕に歪んだ顔がかすかに見えた。
「――俺は、な。やっと気付いたんだよ。人を殺すってことがどういうことなのかを」
 そっちへ向かって一歩一歩確実に足を運びながら、俺はさっき言えなかった台詞を口にする。言ってみて初めて、言葉を発することができる自分に気がついた。
「俺は異常者だ。何の感慨もなく多くのものを奪い、想像もできないほどの悲しみを生み出してきた最悪の重犯罪人だ。エミーと一緒に居る資格なんてあるはずがない」
 もともとそれほど離れていたわけではないから、それが幸いした。すぐにセドリックのところへとたどり着く。
「それでも、その未来を選択するのは俺の意志だ。俺という人間が考えた末に出した答えなんだ」
「ひっ……! 来るな、来るなぁ!」
 どうやら俺はよっぽど常軌を逸した顔をしているらしく、セドリックはすっかり怯えてしまっている。逃げようとしているものの、足がうまく動いていない。すぐに追いついて、情けなく地面を這っていたセドリックの上着の裾を踏みつけてやった。
 ひゅ、と息をのむ音が聞こえる。
「分かるかよ、セドリック。俺は人間なんだ。造られた実験体だとか、異能の使い手だとかそんなことよりも前に。俺は、一人の人間なんだ」
 さっきのおかえしといきたいところだが、こちとらもう力が残っていない。
 だから一発だ。一発にすべてをかけるつもりで右腕をふりかぶる。
「たかが、頭をちょっといじくったぐらいで! 異能の力を封じたぐらいで! 俺に勝ったつもりで居るんじゃねえ!」
 ばきり、と。
 セドリックの顔面に、思い切り俺の右拳がめりこんだ。セドリックの体はごろごろと地面を転がって、三メートルほど離れた位置でごろんと大の字になった。どうやら完全に意識を失っているらしい。
 整った形をした鼻は完全に折れ曲がり、鼻の穴からだらだらと黒ずんだ血が流れ出ている。目は完全に白目を剥いていて、まるで絵に描いたようなやられっぷりだ。
 まだまだ殴り足りないところだが、残念ながら体のほうがもう限界だった。まずはがくりと膝から力が抜け、それを皮切りに全身の筋肉が弛緩していく。なんだかセドリックと並ぶようになってしまうのが嫌だけど、ここは仕方がない。俺はどさりと仰向けに倒れた。
「リオ」
 霞んだ視界の中、エミーの顔が浮かび上がる。俺がここで意識を失ってしまったらこいつはどうなるのか。本当に約束を守るなら、もう少しの間頑張らないといけない。
 でも、ダメだ。俺はスーパーマンにはなれないらしい。もう全身どこもかしこも動かないし、今だって消えそうになる意識をつなぎとめておくのに必死だ。
「エミー。さっき言ったこと、ちゃんと覚えてるよな? もしかしたらお前と話すのもこれで最後――」
 その時、信じられないことをエミーはやった。なんとただでさえ満身創痍の俺の頬を思いっきりパーで張りやがったのだ。
「お前、なにを――」
 しやがる、と言おうとした俺の口が、エミーの顔を見てぴたりと止まってしまった。
「ふざけないで! 何が『忘れろ』よ! 自分勝手もいいかげんにしなさい!」
作品名:「ナイフ」 作家名:terry26