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「ナイフ」

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『いい加減にしろ。拒否は認めない。以上だ。連絡を終わる』
 バッサリと切り捨てるような台詞を最後に通話が途切れる。後に残ったのはツー、ツーという耳障りな電話の音と、相変わらず続いている無遠慮なノックの音。なんかもう、キレそうだ。
 俺が今ここに居るのは既にバレているので居留守は使えない。このまま無視をし続けたところであまり意味はないし、何よりノックの音が耳障りだ。めんどくさい上に忌々しいが、追い返すにしても一度ドアを開けてやらないといけないだろう。無言のまま立ち上がってドアのチェーンを外し、精一杯うざったそうな顔を作りながらドアを押し開ける。
「……あ?」
 そこに、予想外の人物が立っていた。
 女だ。それも俺とそう歳が変わらないと見える。プラチナブロンドのロングヘア。パーマなのか癖毛なのか、毛先が内側にカールしている。瞳の色はアクアマリンのような薄いブルー。くるりと開いた大きな瞳は目尻がややつり上がっている印象だ。小さくまとまった鼻と口、あごの輪郭には少女らしいふっくらとした感じはあまりない。どちらかというとシャープだ。全体として、いかにも気が強そうな印象を作り上げている。
 一瞬、言葉を失う。まさか護衛対象が女、それも俺と同年代だとは思いもしていなかった。パープルのワンピースに身を包み、大きな荷物を抱えてこちらを見ているそいつは明らかに何か物言いたげだ。耳元から垂れ下がったシルバーのピアスがせわしなく揺れている。
「部屋を間違えてる」
 なんだか変なことを思いついてしまった。他に言うこともないのでなんとなく口にしてみる。
「俺はデリバリーヘルスなんて頼んでない」
 俺の言ったことがよく分からなかったのか、はじめ女はぽかんとした表情を浮かべた。が、そのあとすぐその意味に気がついたようで、段々と頬を紅潮させてゆく。肩をわなわなと震わせ始めたと思うと、いきなり手に持ったボストンバックをこちらに投げつけてきた。
「おわっ」
 避けられる距離ではなかったので、とっさに腕で顔面をガード。ぼふっという空気の抜けるような音と共にずっしりと重たい衝撃が伝わってくる。何が入っているのかはしらないが、このバッグ、かなりの重さだ。
「誰がデリヘル嬢か、誰が!」
 俺が初めて耳にすることになった女の声がこれ。ヒステリックで甲高い声。見た目とのギャップが全くない。
「誰って、お前しか居ねえだろうが。他に誰が居るってんだ」
 こういう感じで、二人の出会いは最悪なものとなった。この女を護送してきた「上」の人間にいろいろと抗議を申し出てみたが効果はなし。どうやら護衛対象であるらしいこの女だけを残してとっとと帰ってしまった。拒否は認めない。仕事に関することはいつもそう。俺だって本気で抗議したくなったのなんてこれが初めてのことなのだ。
「上」の人間がとっとと帰ってしまったということは、つまり女と二人っきりになってしまったというわけで。物凄く気まずい空気がホコリ臭い廊下を包んでいる。
 ちらりと女の顔に目を向けてみると、とたんにアクアマリンの瞳がキッと鋭い視線を放ってくる。どうもいきなり嫌われてしまったらしい。まあ一言目であんな暴言を吐いてしまったのだから無理もないが。
 このままでは埒があかない。知らん振りして追い返してしまってもいいのだが、仮にもこの女は命を狙われている身だ。アパートの外に放り出した瞬間いきなり殺されでもしたらさすがに寝覚めが悪い。
 俺は柄にも無く小さな咳払いなんてしてみながら、恐る恐る口を開いてみる。
「あー、えっと……とりあえず、入れよ。いつまでも廊下で立ち話なんかしてたら周りに迷惑だ」
 俺が言うと、女はつんとした態度でそっぽを向いた。小さな唇を精一杯尖らせて、いかにもへそを曲げているといった顔だ。
「やだ。やっぱり帰る。こんなところに住むなんてまっぴらよ」
「いいのかよ。詳しい事情は知らねえけど、命を狙われてるんだろ? 独りで出歩くのは危ないんじゃないのか?」
「ふんだ。どうせ大丈夫よ。大丈夫に決まってる。今まで危ないことなんて何もなかったんだもの。お父さんったらいつも大げさなんだから」
「お父さん……? 親父さんに言われてここへ来たのか?」
 思わず俺が訊き返すと、目の前の女は「ふん」と鼻を鳴らした。
「なによ、悪い? こんな歳になってもまだ父親の言いなりになってるのは変だって言いたいの?」
「いや、んなこと言ってねえだろ」
 なんだかわざと俺の言葉を曲解しようとしているようだ。まあ第一印象が最悪なのだから仕方が無いけど。
 それにしても、父親に言われて俺のところへ来たと女は言った。とすると、こいつは「上」の関係者の娘なのだろうか? それとも他に何かややこしい事情があるのだろうか。そういった仕事の裏事情は一切俺に伝えられない。知る必要がないから、ということらしいが、今回はその限りではないのではないだろうか? 狙われている理由は別にいいとしても、一体どういう人間から狙われているのかぐらいは教えてほしいものだ。女の機嫌をとることに成功したらあとで訊いてみるのもいいかもしれない。
 というわけで、ご機嫌取り再開。とにかく最初の失言に関してひたすら謝って、ついでに「でも、いきなり見ず知らずの人間を自分の部屋に住まわせるなんて誰だって嫌だろう?」とか言ってさりげなく同情を誘っておく。ついでに「コーヒーでもご馳走するから」とも言い足した。
 そんなこんなで、やっとの思いで部屋の中に女を招き入れるところまではどうにか漕ぎ着けた。なんだか情けない気分だ。これではまるで俺がこの女と一緒に暮らすことを望んでいるみたいじゃないか。
 部屋の中に入った女は、小さく「へえ」と感嘆したような声を上げながら部屋を見回し始めた。外の様子からして部屋の内装もさぞかしボロいのだろうと想像していたのだろう。「悪くないじゃない」とか呟いている。
 自分の部屋を褒められるのは俺としても悪い気分ではないが、なんだかそわそわする。俺だけの空間であったこの部屋に、ふわりと漂う甘い香り。なんだか新しい恋人でもできたみたいな気分だ。
 きょろきょろと興味深そうに部屋の中を見回っている女の後姿。プラチナブロンドのカールした毛先が楽しそうに揺れている。
 よく見ると、女が着ているワンピースはわりと凝ったデザインだ。首の部分はハイネックになっていて、袖は七分丈。首の付け根あたりから肩にかけての部分が丸く開いていて、そこだけ女の白い肌が露出している。腰には手錠のような輪っかがいくつも連なったベルト。スカートはわりと短くて、その下には黒いニーソックス。このあたりはこの女のセンスだろう。
 ――どくん。
 ふいに、心の奥底で「化け物」が騒ぎ始めた。
「やば……おい、うるせえよ。静かにしてろ。いきなり出てくんな」
 女に聞こえないよう、小声で内なる異物に語りかける。こいつの目覚めはいつも唐突だ。長い間ずっと眠っていると思えば、ふとした瞬間に何の前触れのなく騒ぎ出す。まったく、どうにかしてこいつを俺の中から取り除くことはできないのだろうか。それが出来るなら手術だってなんだって喜んでうけてやるのだが。
作品名:「ナイフ」 作家名:terry26