「ナイフ」
ちくしょう、なんとか、なんとかならないのか。こいつらは善意で俺たちに協力してくれただけなんだ。ごく普通の幸せを望んでいて、それを得る資格を十分に持っている二人なんだ。こんなことに巻き込んではダメだ!
「リ、リオさん、いいんです。自分達だけ助かろうなんて……ひゃっ! あの、えっと、だから、そんな都合のいいこと思ってませんから。私も、きっとステファンも……きゃ! うぅ」
ナイフで脅されてしどろもどろになりながらも、必死にそう言ってくれるクロエ。馬鹿野郎。そんなお前達だからこそ巻き込みたくないんだろうが。
「おっと、来たようだね。さあ、年貢の納め時だよ」
婆さんが言い終わると同時に、遠くから何台かの車やバイクの音が近付いてくる。それらがやがてアパートの前で停まったかと思うと、大げさすぎるほどの人数が次々に入ってきて俺たちを拘束しにかかった。
エミーとクロエは手足を縛られただけで済んだが、俺とステファンは手錠で両手を後ろ手に固定してから拘束衣を着せられ、さらにその上から太い鎖でぐるぐる巻きにされた。硬い金属が服越しにぐいぐいと肌に食い込んできて痛い。
「ステフ! ステフ!」
昨日追いかけてきたのと同じような黒のセダン車に押し込まれる寸前、クロエが叫んだ。
「愛してる! 愛してるよステフ!」
僕もだ。誰よりも愛してる。ステファンもそう叫んだに違いなかった。無粋な黒ジャケットの男達が、まるで二人を引き裂くかのように無言で別々の車に無理やり引きずり込む。
俺はエミーを見た。エミーをこっちを見ている。俺たちは何も言わない。無言で見つめあう、永遠のようなひと時。男達の手で強引に車へを押し込まれる最後の瞬間まで、二人はずっと視線を重ねあったままだった。
四人はそれぞれ別々の車に乗せられたが、どうやら向かう先は同じらしい。目隠しはされていないので周囲の状況だけはなんとか見ることができる。
四台の車は均等な感覚で縦に並んで走っており、その周りを囲むような形でバイクが並走している。俺はこうやって拘束されたままでも「ナイフ」を使えなくはないのだが、ここでヘタに抵抗しても他の三人に危害が加わるだけだ。
かといって素直にじっとしているのも悔しすぎるので拘束衣の下でもごもごともがいていたら、横の男にいきなり腹を殴られた。半分キレそうになりながら、というかぶっちゃけ思い切りキレてしまいながら睨み返してやらったら「生意気だ」とか言ってまた殴られる。ちくしょう、こいつあとで絶対殺す。って、やっぱりこんな時でも人殺しはダメなんでしょうか、エミーさん。
俺は両側から男に挟まれる形で後部座席の真ん中に座らされているが、人数が足りなかったのか助手席には誰も座っていない。ちらりとその空席を見やる。誰も居ない代わりに、そこには俺の仕事用のボードが置いてある。車が出される寸前に男達の手で回収されたのだ。一体何のために持ってきたのか知らないが、こちらにとっては好都合。あれがある限り俺にもまだチャンスはある。
車はそのまま二時間ほど走り、拘束された手足が完全に痺れてしまったころになってようやく目的地へと到着する。
人里離れた山奥にある、まるで学校か何かのような四角い建物。煤けた外壁の上から大量の蔦が這っていて、外からだと廃墟にしか見えない。だけどまだ中の施設は生きていて、今も忌々しい研究が続けられているに違いない。
望郷の想いを胸に帰省――というわけにはさすがにいかないが、懐かしい気持ちがないわけでもない。俺たちが生まれ育った場所。こここそが組織の研究所だ。
車から降ろされた俺たちは、男達に囲まれて正面から建物の中へと連行されていく。外観と同じで、研究所というわりには中もあまり清潔なイメージはない。壁や天井は白ではなく寒々しいコンクリートの打ちっ放しで、床はくすんだ色をしたリノリウム。今改めて見て思ったが、ここってどちらかというと監獄に近いような気がする。
もしかすると、俺たちの破壊衝動――俺が「化け物」と呼んでいるあれを無駄に刺激しないためのつくりなのかも知れない。確かに一面の白に囲まれて生活なんかしていたらじきに狂ってしまいそうだ。
俺たちは少し大きめの取調室みたいな部屋に連れて行かれ、ゴミを収集車の中に放り込む清掃員みたいな手つきで床に放り出された。すっかり全身が痺れてしまっているのでろくに立ち上がることもできない。しばらくそのままぼうっとコンクリートの天井を見上げていたら、ふいにエミーの顔が視界に入り込んできた。
「大丈夫?」
労わるような声。それを聞いただけでちょっと勇気が湧いてくる。
「ああ。ちょっと体が痺れてるだけ」
手足を縛られていて不自由なせいか、ちょっと動けばキスしてしまいそうなぐらい近くにエミーの顔が来ている。ちょうど天井からぶら下がった照明が逆行になっていて、プラチナブロンドの髪がきらきらと透けている。
「お前のほうは? 何か変なことされなかったか?」
俺が言うと、エミーは「ふん」と鼻で笑った。
「当たり前でしょ? 私を誰だと思ってるのよ。あんなやつらになんか指一本触れさせるわけないじゃない」
なるほど。こいつの威勢はあの男達にも十分通用したらしい。まあ俺はそろそろ慣れてきたけど、確かにこの外見であの罵声を吐かれたらどんな奴でもちょっと退いてしまうだろう。いや、そいつがよっぽどのMだったら話は別だけど。
とか馬鹿なことを考えていたら、エミーは男達を跳ね除けたその瞳をふっと悲しげに細めた。
「ごめんね。私のせいだよね、こんなことになっちゃったのって」
エミーが悲しそうな顔をしていると、なんだかこっちまで悲しくて。優しく手で頬を撫でてあげたりしたい気分だけど、無粋な手錠やら拘束衣やらがそれを邪魔している。ちくしょう、なんだか無性に悔しくなってきた。
「いいんだよ。そもそもアパートに戻ろうって言い出したのは俺なんだし。お互い様っつーか、むしろ俺のほうが悪い。気にすんな」
うん、ありがとう。エミーは小さくそう答える。殊勝な態度をとってくれるのは嬉しいが、あまりこいつらしくない気がするのも確かだ。そんなに気を落とさないでほしい。
会話が途切れたついでに隣の二人を見やると、あちらは濃厚なキスを交わしているところだった。慌てて目を逸らしながら、ふと罪悪感にとらわれる。
「俺たちのどっちが悪いかなんてどうでもいいけどさ。あいつらを巻き込んじまったのだけはマジで最悪だな」
俺が呟いて、エミーが「うん」と頷いたところでクロエが顔を上げてこちらを見た。
「いいんですよ。さっきも言いましたけど、気にしないで下さい」
今の今までキスをしていたものだから、クロエの唇がつやつやと濡れていてなんだかエロティックだ。思わずそこに気を取られていると、エミーが俺のわき腹に思い切り膝蹴りを入れてきた。いてえ。両手足を縛られているくせに、器用なことをするやつだ。
「お二人に協力するって決めた時点で、多少の危険は覚悟してました。だって、リオさんは私達のお兄さんだし。それにエミーさんだってドクターの娘さんなんだからお姉さんみたいなものです。放ってなんておけませんよ」