「ナイフ」
エミーは何も言わずに下を向いてしまった。彼女のことだ、きっと父であるドクターが犯した過ちを自分の罪であるかのように感じていたのだろう。黙って俺に殺されようとしたくらいだから、彼女の心に存在するその罪悪感の大きさは計り知れない。
「エミー。逆に訊くけど、もしお前が俺たちの立場だったらどうだ? 今お前の中にある親父さんへの愛情はそのままで、違うのは普通の人間として生まれたかちょっと特殊な生まれかということだけ。たったそれだけのことで、親父さんのことを本気で憎いとか思えるか?」
しばらく黙って考えたあと、エミーはゆっくりと首を横に振った。
「分かんないよ。分かんない。私にとって憎いのは姉さんを殺した殺し屋。でもあなた達はそんなふうに想うことのできる家族を持つことすらできなかった。させてもらえなかった。そんなのって、だから私――」
「いいんだよ。俺たちが憎くないって言ってるんだから、きっとそれでいいんだ。お前が気にすることなんて何もない。そうだろ? それに俺としては、出来れば……えっと。お前には、造られただとかそういうの抜きにして、単なる一人の人間として俺と接してほしい」
照れを押し隠しながら言った俺の言葉にも、エミーは「うん」と力なく頷くだけだった。
彼女が今何を思っているのかは分からない。俺の言葉は彼女の心に届いただろうか。今ので少しでも彼女の心が軽くなってくれたら嬉しいのだけど。
「あのね、エミーさん。リオさんがもう話したかも知れないけど、私達を感情のない人殺しの道具として育てようとしたのはドクターじゃないんですよ。別の人です。その人のことはちょっと恨みに思わないでもないですけど、だからドクターは、ええっと」
自信満々で話し始めたのはいいが、エミーが何の反応も示さないのでクロエの声は段々と尻すぼみになっていく。
「あー、えっと。そうだ! エミーさん、二つ訊きたいことがあるって仰ってましたけど、もう一つは何なんです? 私、なんだって答えちゃいますよ。あー、えっと、あくまで私の分かる範囲でですけど」
場を取り繕うように、クロエが明るい声を出した。そういえばステファンと付き合い始める前までは「あー、えっと」というのが彼女の口癖だった。どうやら困ったときになると今でも出るみたいだ。
「……うん。二人は、私のお父さんがどこに居るか知らない?」
「え?」と三人の視線がエミーに集中した。
「なんだよ、お前もドクターの居場所は知らないのか?」
「うん。『会わない方が安全だ』って。ここ数年は電話でしか話してない。最後に会ったのは……そうね、多分四年くらい前になるんじゃないかな」
そう語るエミーの青い瞳はなんだか悲しげだ。さっきの話題が尾を引いている、というだけではない気がする。
「それじゃ、ひょっとしてお前、ずっと一人で?」
俺が言うと何故かエミーはいきなり表情を変えて、ぎろりと睨みつけるような視線を向けてきた。
「そうよ。前に言ったじゃない、ずっと一人だったって。覚えててよ、ばか」
お。ちょっと調子が戻ってきたかな。よかったよかった。でもこいつ、そんなこと言ってたっけ?
「あー、えっと、エミーさん。ごめんなさい、私達もドクターの居場所は知らないんです。お二人のことも電話で聞かされただけですし」
控え目に語られたクロエの言葉に、エミーはあまり頓着しない様子で「そう」と短く答えた。
「ま、あの人のことだから無事で居るとは思うけど。一応家族だから、ちょっとくらい心配してあげないとね。……あっと、ごめんなさい。そういえばまだ話の途中だったんだっけ。あなた達二人が何のためにここへ来たのかっていう話はどうなったんだっけ?」
「ああ、そうでした。って言ってももうほとんど全部話しちゃいましたけどね。ドクターから連絡を受けた私達は、私の『ビッグイヤー』を頼りにお二人の居所を探してここへ来たというわけです。でも肝心な時には間に合わなかったみたいですね。ごめんなさい。もう少し早く来れていたらリオさんもそんな怪我をせずに済んだかもしれないのに」
ちら、と俺の右肩に視線を向けてくるクロエ。一応上からシャツを羽織って隠してはいたのが、どうやらとっくにお見通しだったらしい。
「いいんだよ。助けに来てくれただけでも十分にありがたいんだから文句なんて言えねえって。あ、でもだったらなんであんなマネしたんだよ? もし何かの間違いで『グングニル』があたったりしてたらマジでシャレにならなかったぞ」
「あ。えっとですね、その、あれはステフが……」
「ステファン? あれはステファンが自分勝手にやってたのか?」
思わずクロエの隣に視線を向けると、ステファンは気まずそうにぽりぽりと頬をかいた。
「私は止めたんですけどね、『危ないからやめよう』って。でもステフったら『本当に助けるべきなのか確かめる』とか言ってちっとも聞いてくれないんですよ。私としては気が気でなくて……でも、久しぶりにステフの男らしいところが見られたから、それはそれで。え? あ、うん。私、怒ってなんてないよ」
少しプリプリとしているのかと思ったら、次の瞬間にはまたノロケモードに突入だ。やっぱりこの二人については深く考えないのが一番だろう。
「んで、ステファン。そんなに偉そうなことを言ったからには、何かちゃんとした理由があるんだろうな? 事と次第によっちゃあ、グーが飛ぶぞ、グーが」
あの時、ヘタをすれば俺かエミーのどちらかが死んでいてもおかしくない状況だったわけで。クロエはさっきのスカートめくりの一件で許してやってもいいが、ステファンにはもっときついお仕置きをしてやらなくてはいけないかもしれない。兄として。
と、俺が睨みつけている先でステファンはジーンズのポケットからメモ帳とペンを取り出して、さらさらと何かを書いた。不思議がって覗いてくるクロエに見せないようにしながらページを破いて、俺に手渡してくる。
『あとでお話したいことがあります。出来ればクロエの居ない時に』
そこに書かれていたのはこんな内容だった。クロエにも内緒で一体何を話すというのだろうか。首をかしげながらも頷いてやるとステファンは満足そうな顔をして、それから「ねえ何を書いたの、教えてよー」とか言って甘えてくるクロエの相手をしにかかった。心の中では二人を一括りにしてバカップルとか言っちゃってるけど、あいつはあいつでそれなりに大変なのかもしれない。ま、惚れたのはステファンのが先なのだから自業自得だけど。
「ねえ、それよりもこれからどうするの? いつまでもこんなところに居るわけにはいかないよね」
クロエたちのいちゃつきっぷりは気にしないことにしたのだろう。俺のほうだけを向いてエミーが言ってくる。
「それなんだけどさ。傷の消毒とかもしないといけないし、一度俺のアパートに戻ってみようと思う」
当然と言えば当然だが、エミーが「え?」というような顔をする。
「大丈夫なの? 待ち伏せされてたりしないかな」
「その可能性はあるけど、俺が怪我してるのがバレてる以上それは病院に行ったとしても同じことだし。アパートのほうが周りの人通りも少ないし、何あったときも対処はしやすいと思う」