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「ナイフ」

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「あ、はい。彼は私のこと、クーって呼んでくれるんですけどね。これも彼だけが使える特別な呼び名で――え? ああごめんごめん、そうだったね」
 いつでもどこでも簡単にピンク色の空間を作り出してしまうこの二人。のまれまいとしてか、エミーはぐっと片手で側頭部をおさえている。
「彼、さっきから何も喋ってないように見えるでしょう? でも実はいろいろと言ってるんですよ。リオさんは相変わらずおしゃれだとか、エミーさんは大人っぽくて素敵だとか。うふふ、妬けちゃいますね」
 クロエは明らかに笑っていない笑顔をエミーに向けながら、ステファンの頬を思い切りつねり上げるなんていう器用な芸当を見せてくれた。手足をバタバタさせて完全に涙目になっているステファン。きっと必死に謝罪の言葉を口にしているのだろうけど、なかなかお許しが出ないようだ。
 エミーはエミーで結局この空気にのまれてしまったようで、明らかに自分は何も悪くないのに「ごめんなさい」とか謝っている。他ならぬあのエミーが、だ。恋する乙女、恐るべし。
 クロエは「こほん」と一度咳払いをしてみせて、そこから話を本題に戻す。
「ええっと、ごめんなさい。話が逸れましたね。つまり、結論から言うとですね。ステフは普通に話すことができないんです。先天性の、声帯異常のせいで」
 今度はちょっと虚をつかれた表情になるエミー。今まで猫を被っていないこいつが他の誰かと話しているのを見る機会がなかったので、何だか新鮮だ。本当にころころ表情の変わるやつだ、と改めて思う。
「でもね。うふふ。ここが運命っていうのの凄いところでね。きっと私とステフはどうあっても絶対に出会う定めだったんだと思うんです。そうよねステフ。……うん、ありがとう。えへへ。私もよ。大好き」
 あー、ダメだ。クロエに任せておくといつまで経っても話が進まない。げんなりしてしまっているエミーを肩を軽く叩いて「俺が代わりに説明する」と言う。ついでだから、俺たちの能力についてちゃんと知っておいてもらうのがいいだろう。

 まずは今話題に上がっているクロエの能力。名前は「ビッグイヤー」。言ってしまえば単に物凄く耳がいいというだけの力だ。確か五キロほど先までならばどんな細かい物音でも完璧に聞き分けられる、という実験結果が出ていた覚えがある。あと人間が本来聞き取れないような音域も聞き取れたりするので、そのおかげで声帯異常であるステファンの声を彼女だけが聞き取ることが出来るというわけ。それを見込まれてクロエはステファンの世話役をすることになったのだが――そのあたりを話していると長くなる、特にクロエが目の前に居るときに話すとものすごーく長くなってしまうので今はやめておく。
 次にさっきの見えない弾丸、ステファンの「グングニル」について。何から厳しい名前だけど、実は名付け親は俺だったりする。言わずと知れた、神話に出てくる「貫くもの」を意味する槍のこと。確か漫画か何かに出てきて、ちょうどイメージがぴったりだったので勝手につけさせてもらったのだ。「上」の人間は能力にいちいち名称をつけたりしなかったので今でもその「グングニル」が呼称として使われているというわけ。
 ちなみにクロエの「ビッグイヤー」と俺の「ナイフ」も名前をつけたのは俺だ。「ビッグイヤー」は「大きな耳」でそのままの意味かと思われがちだけど、実はとあるフットボール大会の優勝カップの愛称とかけている。エミーは知らないと思うけど――あ、知ってる? そりゃ失礼しました。
 で、話が逸れたけど「グングニル」について。冠した「貫くもの」の名前通り、あらゆるものを貫いていく衝撃波を手のひらから発射する能力だ。射程距離は三百メートルほど。その間は何にあたっても全く減衰や減速などをせずに貫いていくので、急所にあたれば人間は確実に即死。しかも障害物などに隠れたって全く効果がないという恐るべき能力だ。
 この「グングニル」と「ビッグイヤー」が手を組んだらどうなるのか。想像してもらえれば大体分かると思う。どんな獲物も逃がさない完璧な狙撃者の完成というわけだ。
 最後に俺の「ナイフ」について。もう大体分かっているだろうけど、風というか空気を操る能力だ。操れる範囲は大体俺のヘソあたりを中心にして半径一メートル半以内くらい。単に風を吹かせてスカートを――じゃないや。ああいや、何でもないって。とにかく、もう散々見せたけど単に風を吹かせるだけの能力じゃない。真空の刃を作って物を切り裂いたり、ボードがあれば空中に浮かんだりもできる。え? いや、ボードがないと無理。うまく浮けないし、浮いたとしてもあんなふうに動き回るのは絶対無理だ。
 何故この能力が「ナイフ」なのかって? いや、どうせ自分の能力だからって適当につけたんだよ。ドクターにあのボードを貰うまではこの能力も真空の刃くらいしか使い道がなかったしさ。
 ああ、うん、そうそう。あのボード、お前の親父さんに貰ったんだよ。確か八歳の誕生日だったかな。「君の力は人を傷つけるためだけにあるんじゃない」とか言われたの、よく覚えてるよ。

 こんな感じで俺が説明している間に、ステファンとクロエはすっかり自分たちの世界に入ってしまった。クロエの声しか聞こえてこないので話している内容はイマイチ掴めないけど、どうもたわいのないお喋りをしているご様子。二人のかもし出す甘ったるい空気にかかれば、どんな言葉でも愛の囁きに聞こえてしまうから不思議だ。あ、キスした。あーあーもう、二人ともとんでもなく幸せそうな顔しやがって。
「こら、じろじろ見ないの」
 二人の様子を観察ていたら、横からエミーにポンと頭を叩かれた。彼女のほうを向いてみると、なんだか憔悴しきったような顔をしている。
「ねえ、あの二人っていつもあの調子なの?」
「あー、うん、まあ。なんか前より酷くなってる気がするな」
 研究所に居る頃は「まあいつかは飽きるだろ」と思ってそっとしておいたんだけど。飽きるどころか、時が経つにつれて二人の炎は燃え上がるばかりだったらしい。
「うう。私、ああいう雰囲気ってダメ。頭痛くなってきちゃう」
 とか言って、本当に頭をおさえている。あの二人が今の関係に納まるまでの紆余曲折を知っている俺としては、出来ればそっとしておいてあげたいのだけど。
「十秒あればキスできる。一分あれば愛を語り合うこともできる」
 なんとなく呟いてみると、エミーはちょっと驚いたような顔でこちらを見た。
「お父さん、アンタ達にもそれ言ってたんだ」
「『にも』ってことは、お前もか。ま、あの二人はそれをそっくりそのまま体現しちまったってわけ。てゆーか、それ以外にお互いの気持ちを表現する方法を知らなかったのかもな」
 声帯異常のせいで言葉を喋れず、誰に対しても心を閉ざしていたステファン。彼より一歳年下のクロエをあいつの世話役に任命したのはやはりドクターだった。確か俺が十二歳になった頃の話だ。
作品名:「ナイフ」 作家名:terry26