「ナイフ」
お前のために、とは言わない。照れくさいからではなくて、本当にそうなのかよく分からないから。
二人はしばらくずっとそのままで、何も言わずにただお互いの温もりだけを分け合った。
他には何もいらない。本気でそう思えた。もしエミーも同じことを思っていてくれたとしたらもう死んでもいい。
とか言ったら、やっぱりエミーに怒られるのかな。
※
どのくらいの間そうしていたのか分からないけど、やがてお互い示し合わせたように体を同時に離した。改めて見つめ合ってみると、なんだか照れくさい。背中合わせになって座って、エミーが語ってくれた話に耳を傾けた。
ドクターとエミーの顔がちっとも似ていないのは、彼女が赤ん坊のころに引き取られた養子であるからという話。それと、エミーの姉のこと。
エミーが「殺し屋」というものに嫌悪感を抱いていたのは、たった一人の血の繋がった存在だった姉が何者か殺されたからだそうだ。まだ犯人も捕まっておらず、それどころか凶器すらも特定できていない。プロの犯行と見て間違いない、と誰もが言ったそうだ。話を聞く限りでは俺もその推理は正しいと思う。
というわけで、俺の生まれとかは一切聞かされず、「殺し屋」だいうことだけを知って俺のところに連れてこられた彼女。当然、のっけから嫌悪感満載だったわけで。それでも少しは猫を被っておこうとは思っていたらしいが、会って一発目のデリヘル嬢発言でそれも吹っ飛んだらしい。まあその結果として俺は彼女の素顔を見ることができたのだし結果オーライと言えなくも、ないようなあるような。
そんなことよりも大事なのは、どんな理由で一体誰にエミーが狙われるのかという話だ。やはりエミーは単に隠していただけらしく、本当は全部知っていた。
結論から言うと、さっき襲ってきた連中はなんと俺がずっと「上」と呼んできた組織の人間だったらしい。やはり原因は彼女の父親であるドクター。俺が居た頃から何かにつけて「すまない、私は酷いことをしている」と連呼していたドクターだが、俺が研究所を出たすぐ後くらいでついに耐え切れなくなったらしい。ある日、何の前触れもなく研究所から姿を消した。
その際に彼自身の研究データまで持ち去ったものだから、組織としては大慌て。総力をあげて探し回ったが未だに見つからずじまいで、ならばと今度は娘であるエミーを人質にとってドクターをおびき寄せようという計画が持ち上がった。それを察知したドクターはエミーをあの手この手で逃がそうとしたのだが、やはり「上」の組織力は伊達ではなく、どこへ行っても見つかってしまう。困り果てたドクターは、最終手段としてついに娘を俺のところへ送り込んだわけだ。
男の一人暮らし、しかも「上」の手の内にあった俺のところへ自分の一人娘を行かせるだなんて、あらゆる意味で無茶な人だ。ドクターは電話で「信用できる子だから」とか言っていたらしいが、案外自分で育て上げた俺という人格を本当に信じていたのかもしれない。
さて、確かにこれでいろいろと辻褄が合う。最初にエミーの護衛を依頼してきた電話はドクターからだった。エミーを連れてきたあの男も「上」の人間ではなく、単なる一般人の協力者だという。
エミーが余裕しゃくしゃくだったのは、まだ自分がここに居るとバレていない自信があったから。本当ならもう少しあのまま粘れたのだろうけど、俺が余計なことを言ってしまったせいで彼女のことを「上」に知られてしまった。それをうけての昨夜の襲撃。たしかに筋は通っている。
だけど、ここで一つだけ謎が残る。はじめはまだエミーの居場所がバレていなかったとすると、俺の部屋を荒らしたのは一体誰だったのか。エミーのことが「上」にバレたのが俺の電話からだとすると時系列がおかしいし、そもそもあんな中途半端なことを「上」の人間がやるとは思えない。後者のことをエミーも感じていたからこそ、あんなにも危機感のない態度をとっていたらしいが。
まあ、これは今考えても仕方がないことだ。さしあたって考えないといけないのは、これからどうするかということ。
「これからは『上』の人間とやり合わないといけないわけだ。ずっとさっきみたいなのが続いたらさすがに俺も疲れちまうし、それにヘタすると――」
と、話が今後のことに差し掛かった、その瞬間だった。
速すぎて飛んでくるところなんて認識できないから、まず感じたのはまるで地震のように地面を揺るがす衝撃。ついで、何本かの木がへし折れて倒れるメキメキという音が聞こえてくる。
夜明けの静けさが一気に失われた。次々に飛んでくるそれがひっきりなしに地面を揺るがしているので、まるで地震でも起こっているかのようだ。
「な、な、なに?」
エミーはすっかり混乱してしまって、ろくに悲鳴をあげることすら出来ないらしい。あまり意識はしていないのだろうけど、片手で俺の二の腕あたりを掴んできているのが「頼られている」という感じがしてちょっと嬉しい。
「俺と同じ、異能の使い手! しかも俺の知ってる奴!」
というか、そもそも今無事に育っている異能の使い手は俺を含めて三人しか居ないはずなのだが。だからこそ、まさかこんなに早く出てくるとは思わなかった。
「ちょっと、アンタなんでそんなに落ち着いてんの?! どう見たってピンチじゃない!」
鳴り響く轟音。次々に飛んでくる謎の弾丸。地面にはいくつもの小さなクレーターができてしまっている。まるで戦争でもやっているかのようなこの光景。このままではいつ俺たちのどちらかに弾丸が命中してもおかしくない。
対して、こっちから反撃する術は今のところなし。確かに状況としては大ピンチだ。
「おかしいんだよ! こんな状況あり得ない!」
着弾音がうるさいので、隣に居るエミーと話すのにも声を張り上げないといけない。喉が引きつりそうだ。
「おかしいって、なにが! てゆーかアンタ、さっさとさっきのバリアみたいなのを使いなさいよ!」
「俺の壁じゃあこの攻撃は防げない! それ以前の問題として、今攻撃してきてる奴が本気だったら一発目で俺たちはお陀仏なハズなんだ!」
正確には「奴ら」だけど。ステファンとクロエ。あの二人が狙いを外すことなんてあり得ない。少なくとも俺は見たことがなかった。
「どういうこと! 手加減されてるっていいたいの!」
「ちょっと違うけど、そのようなこと! なんか俺、呼ばれてるみたいだ!」
言うが早いか、足元に置いてあったボードを引っ掴む。勢いよく飛び乗ったところで、エミーに慌てて呼び止められた。
「待ってよ! どうするつもりなの!」
「ちょっと行ってくる! お前はここでじっとしてろ! 絶対に狙われないから!」
絶対というほどの確信はないけど、エミーが少しでも安心できるようにそう言っておく。この会話もちゃんとあっちのクロエの耳には届いてるはずだ。頼むから俺の期待を裏切らないでくれよ。
ボードに乗ってまずは上昇。木の上へと飛び出した時点で、見事なほどにピタリと弾丸が止んだ。
やっぱりそうだ。まるで俺たちの会話が一段落するのを待っていたかのような攻撃開始のタイミング。まるでわざと外しているかのように精度の低い狙撃。全部が必然で繋がっている。