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「ナイフ」

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 きっと俺の声は震えていただろう。自分が今何を考えているのか、それすらもよく分からない。
「そう。それで?」
 俺とは対称的に、エミーの声は落ち着き払っている。じっと見つめてくるアクアマリンの瞳の奥に、なにか大きな許容と諦念じみた光が宿っている気がして。たまらない気持ちになる。
「お前を殺せと言われた」
 風がふいた。ざわざわと木々の葉がざわめく。
 舞い上がったプラチナブロンドの髪をそっとおさえながら、エミーは表情一つ変えずに「そう」と短く呟いた。
「そうよね。あなただって、いつまでも私の味方で居てくれるはずがないもの」
「……逃げないのか?」
「しないわよ、そんな無駄なこと。これでも自分の限界くらいはちゃんとわきまえてるつもり」
 エミーは一度目を閉じて、それから真っ直ぐに森の奥に視線を向ける。彼女の瞳には何か俺の見えないものが映っているのだろうか。じっとそこを見つめたまま彼女は視線を動かさない。
「あなたには仕事――人を殺すことがすべて。自分の存在意義に逆らうことなんてできやしない」
 その言葉に誘われるように、俺の右手が彼女へ向かって伸びる。やめろ。やめてくれ。
「あなたに殺されるんだったら、まあ仕方ないかなって思える。私はここから動かないから、いつでも好きなときにやって」
 伸ばされた右手が、そっと彼女の白く細い首筋にあてられる。びくん、と一瞬だけエミーは体を強張らせたけど、逃げるようなことはしない。
 やめろ。頼むからやめてくれ。俺の存在意義は人を殺すこと。それがどうした。そんな下らないものと、このエミーと。どっちが大切かなんて考えるまでもないじゃないか。
 その時だ。ふいに右手が温かいものに包まれた。エミーの首筋にあてた俺の手を、彼女が両手で包むようにしてそっと掴んでいる。
「それとも、その前に私を抱いてみる? そういう気持ちはあなたにだってちゃんとあるんでしょう?」
 澄んだ青色の瞳から媚びるような視線を向けられて、総毛立つような感覚が俺の全身を駆け巡った。
「私だって処女のまま死ぬのなんて嫌だもの。相手があなただったら――そうね、誰か知りもしない男にされるのよりはいくらかマシかも」
 ――どくん。
 目覚めは唐突だった。強烈に自己主張する「化け物」が、虚脱状態だった俺を押しのけて一気に体の支配を奪おうとする。
「くっ……なんだ、今はてめえの出番じゃねえだろ……っ!」
 エミーの首元に回された手に徐々に力が加わっていく。う、と苦しそうな表情をするエミーの顔が見えて、思わず叫びたくなった。
 ――いいじゃねえか。本人がいいって言ってんだからヤっちまえよ。邪魔っけな服を引き裂いて、強引にぶちこんでやれよ。
「だま、れ」
 ――思い切り腰を振ってやったら、あの女はどんな顔をするんだろな? 泣いて喜んじまったりしてなぁ、ヒャハハハ!
「黙れって、言って……んだろうが」 
 ――ヤりながら、あの白い肌を切り裂いてやるんだ。あの整った顔をボコボコに殴りつけてやるんだ。ああ、メチャクチャ気持ちいいだろうなあ。気持ちよすぎてイッちま――
「黙れぇェェェェッ!」
 右手を強引に引き抜いて、足元の岩に叩き付けた。ガツンという音がして、ほんの少しだけ岩が割れる。
 いきなり大声で怒鳴られて、エミーはびっくりした顔でこちらを見た。果たしてどれだけ正気を保っているか怪しい俺の顔、それからポタポタと血が滴り落ちている右の拳とせわしなく視線を動かす。
「エミー」
 どうやら今ので「化け物」は沈静化したようだ。少しは冷静さを取り戻した頭で、何を言うべきか必死に考える。
「そういや言ってたなかったっけ。俺のフルネーム。リオネル・マティスっていうんだ」
「……え?」
「リオネルってのは、L−10っていう製造番号からつけられたファーストネームなんだけどさ。ファミリーネームがなかったから、研究所から出るときに決めさせられたんだ。何でも好きなものを使えって。だから俺は『マティス』にした。親代わりだったドクターからとってな」
「親代わり?」
「ああ。俺たちにとって、あの人は間違いなく父親だった」
 至近距離から見つめ合う俺とエミー。照れも何もなく、ただ全てが悲しかった。
「人を殺すことしか教わらなかった俺がなんでこんなふうになったか。なんでこんなにも普通な感情を持てるようになったのか。全部、あの人のおかげなんだよ」
 未遂で済んだとはいえ、エミーに酷いことをしようとした自分が悲しい。聞きたくもない自暴自棄な台詞をはいたエミーが悲しい。何より、エミーが笑ってくれないことが悲しくて仕方がない。
「あの人が居てくれたから今の俺がある。分かるか、エミー。俺は今ここに自分があることが嫌だなんて思わないんだ。生まれたくなかったなんて考えたこともない」
 アクアマリンの瞳をじっと見つめて、俺は今まで被っていた殻を脱ぎ捨てる。
「俺はお前があの人の娘だということが嬉しい。あの人の家族を守ることができて嬉しい。そして何より――」
 ああ、これはさすがに照れくさい。話しているうちにちょっと正気に戻ってきてしまったから尚更だ。
「俺はお前を殺さない。ドクターの娘だってことも関係なしに。誰かに言われたからじゃなくて、俺の本心で。お前に生きてほしい。またあの下らない日々を俺と一緒に過ごしてほしい」
 なかなかに勇気のいる台詞だった。一度大きく息をはいて、もう一言だけ付け加える。
「だから俺はお前を守る。これから先も、ずっと」
 また風がふいた。森の木々が合唱するように静かに鳴って、それに合わせてエミーの髪もさらさらと踊る。その様子をじっと見つめていたら、ふっとエミーが表情を緩めた。
「なにそれ。告白をすっとばして、いきなりプロポーズ?」
「茶化すなよ。俺、これでもけっこう真面目に言ったんだぞ」
 せっかく人が頑張って言い切ったのに。本当にこいつは、いつもいつも俺を小馬鹿にしてばかりだ。
「またあの下らない日々を、か。……そうね、考えてあげてもいいわ」
 そっとエミーが俺の腕に触れてきたので、それに応えて俺も彼女の肩に手を回す。右手はさっきので血だらけになってしまったから、左手で。
「え。お前――」
 肩に触れてみて、彼女が微かに震えているのに気付く。泣いているわけでもないし、ましてや笑っているわけでもない。だとすると、これは。
「当たり前でしょう? どんなに強がってみたって、死ぬのはやっぱり怖いのよ。ほら、分かるでしょ? まだ今も震えがおさまらないの」
 もうバレてしまったからか、それともはじめから隠すつもりなどなかったのか。彼女は惜しげもなく自分の感情をさらけ出す。
「人間、誰でも死ぬのは怖い。当たり前のことなのよ。言うまでもないくらいね」
 エミーを怖がらせたのは、他ならぬこの俺自身。なんだかワケの分からない気持ちで一杯になって、思わず彼女の肩を抱き寄せてしまった。
「ごめん」
 何に対して謝っているのか、それすらも分からないまま口にする。エミーは嫌がる素振りも見せず、俺の背中に手を回してきた。
「もう二度としない」
「何を?」
「分からねえけど。俺は変わるよ。変わりたい」
作品名:「ナイフ」 作家名:terry26