「ナイフ」
俺はあくまで善意から彼女のニーソックスを脱がせて治療してやったのに、目を覚ましたエミーは思い切りジト目で俺のことを睨みやがった。相変わらずこいつには感謝の気持ちというものがないらしい。
「私の心配より、アンタ――いや、あなたでしょ。撃たれたとこ、見せてみなさいよ」
「いや、もう治療は済んでるから」
エミーが目を覚ます前に、「ナイフ」を使って肩にめり込んでた銃弾は全部取り除いた。今は破いた俺の肌着を包帯代わりに巻き付けてある。つまり上半身は裸状態だったわけだけど、エミーがきゃあきゃあ言うので今は下に敷いていたシャツを返してもらって羽織っている。
「大体、お前に見せてどうするってんだよ。銃創の治療なんてやったことねえだろ」
俺が言うと、エミーは不満そうに形のいい唇を尖らせてそっぽを向いた。
「何よ、せっかく人が善意で言ってあげてるのに。アンタ――あなたのその傷は間違いなく私のせいなんだから」
まだ二人称を「アンタ」に戻すつもりはないらしい。それ以外の部分はすっかりいつもの口調に戻っているから、あまりそこにこだわる意味はないと思うのだけど。
「いや、お前のせいも何も、俺の仕事だし。殊勝なこと言ってくれるのは嬉しいけど、お前が気にすることじゃねえよ」
エミーは大きくため息をついてから、肩を逸らして夜が明けつつある空を見上げた。
「仕事、か。やっぱりそうだよね。あなたたちにはそれが全てなんだ」
平らな岩に腰掛けて、足をぶらぶらさせている彼女。片方だけ履いたままになっているニーソックスはなんともアンバランスだけど、エミーにかかればそれすらも魅力的に見えてしまうから不思議だ。
「ねえ、私が憎い?」
と。何の前置きもなくそんなことを言われたものだから、はじめは何かの聞き間違いかと思ってしまった。
「は? なんでさ」
「なんでって……あなた、もう気付いてるでしょ? 私が誰なのか。私、最初に名乗っちゃったもんね。エミリエンヌ『マティス』だって」
空へと向けていた視線をまた戻してきて、少し距離を開けて座っている俺の顔を覗き込むようにしてエミーはこちらを見つめてくる。
「クロード・マティス。あなた達が『ドクター』と呼んでいた男。私はその娘よ」
ああ、やっぱりそうなのか。彼女が俺のところへ来たのは単なる偶然ではなかったわけだ。
「憎いでしょう? あなた達は私の父を――自分勝手にあなた達を造った『ドクター』を憎んでいる。だからその娘である私も憎い。普通に考えて、そうじゃないとおかしいもの」
俺たちのドクター、クロード・マティス。元々は遺伝子研究における権威であり、人体の構造の秘密を解き明かした人物だ。
だが、研究が進むにつれて、この分野では避けようのない批判がやがて彼に集まり始める。「神に背く行為だ」と。彼は徐々に国からの補助を得られなくなり、しまいには所属していた大学からも追放されてしまう。
そんな彼に目をつけたのが、俺たちが「上」と呼んでいるアンダーグラウンドの組織。正式名称は知らないが、とある資産家が運営する非合法な営利団体だということだけは教えられた。その組織から「うちで研究を続けないか」と声をかけられて、彼は己の研究意欲に負けて首を縦に振ってしまう。後の彼曰く「これが間違いの始まりだった」だそうだ。
組織が彼に要求したのは、遺伝子操作によって強化された究極の兵力を作り上げること、なんていう映画やなんかではよくあるベタな話だ。その研究の過程で、俺たちは生まれた。一般的に超能力と呼ばれるような異能の力を使いこなす、遺伝子組み換え食品ならぬ遺伝子組み換え人間。俺だって失敗に失敗を重ねてようやく造り出された存在なのだそうだけど、それでもまだ完成品ではない。最終的には素手で鋼鉄をも叩き割るような化け物を大量に作り上げるのが目的だったらしい。きっとそんなことを出来る奴はもはや人間の形をしていないだろうけど、それでも構わないという話だったそうな。
ドクターが自分の間違いに気付いたのは、段々と歪んだ方向に育っていく俺たちを見たからだという。所詮は研究の副産物に過ぎない俺たちだけど、使えるものはなんでも使おうというのが営利団体というものの基本的な考え方だ。持って生まれた異能の力を活かす方法――つまりは人を殺すことだけを教えられて育っていった俺たちには、はじめのうち感情というものが存在していなかった。自分という存在すらあやふやで、ただ命ぜられたことだけに反応して体を動かすロボットのような子供達。
俺たちをそんなふうに育てたのは別の人物。憎むとすればそいつの方で、ドクターはむしろ俺たちを救ってくれた恩人だ。憎むなんてとんでもない。
「私、あなたに随分と酷いことを言ったわね。ごめんなさい。許してなんて言わないけど、謝罪だけはちゃんとしておくわ。いくら謝ったところで父の罪が消えるわけじゃないけどね」
なんか、嫌だ。こんなのエミーには似合わない。いつも無駄に元気でワガママで、俺を振り回してばかりのエミー。謝罪なんていらないから、早く元に戻ってほしい。
「エミー、俺は――」
そのとき、ふいに俺のポケットで携帯が鳴った。仕事用のほうだ。
「なんだよ、こんな時に」
まさか新しい仕事だとか? それだったら最初から出ないほうがいいけど、何か助けになる連絡だという可能性もある。
ちらりとエミーの方を見ると、彼女は視線だけで「出てみたら」と促してくる。よし、物は試しだ。もし新しい仕事だったら無視しようと心に決めて、でも俺に仕事を無視することなんて出来るのだろうかと不安を抱きつつ通話ボタンを押す。
『状況が変わった』
いきなり聞こえた男の声。どうやらいつもの仕事の連絡ではないようで、ほんの少し安堵する。
『護衛を継続する必要がなくなった。今回の仕事は現時刻をもって終了とする』
「は……? いや、俺たちついさっきまで狙われてたんだけど?」
増援が来て追っ手を片付けてくれたのだろうか? いや、それだけで護衛終了とまではいかないはず。エミーを狙っていた組織がどうにかなったのかもしれない。
『それは貴様が気にすることではない』
「さいですか。で、今後は? エミー……えっと、護衛対象のエミリエンヌ・マティスについてはどうしたら?」
これを訊いたのが間違いだった。護衛は終了。それで電話を切っておけばよかったのだ。そうしておけば、このあとに来る一言を聞かなくて済んだのに。
『殺せ』
あくまで事務的に語られるその言葉。たったそれだけで、俺という人間の存在意義は内部崩壊を起こす。
「え? え?」
『なんだ、理解できなかったのか? では言い方を変える。仕事だ。決行は今すぐ。標的は貴様の目の前に居るエミリエンヌ・マティス』
「ちょ、ちょっと待――」
『以上だ。連絡を終わる』
電話が切れた。俺の手からずり落ちた携帯が岩にぶつかって鈍い音を立てる。壊れてしまったかもしれない。
「リオ」
俺の様子は明らかに尋常でないはずなのに、エミーは何の疑問も抱いていないかのようにこちらを見ている。木々の間から柔らかに差し込む夜明けの光。照らされた彼女の白い肌。きれいだ、と思ってしまう。
「護衛の仕事は終わりだそうだ」