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「ナイフ」

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「いや、気のせいじゃない。そんなに高くは上がれないから飛んでるってのはちょっと違うけど。浮いてるってのが正解かな」
「……夢?」
「それも違う」
 はあ、とエミーは一度大きく息をはいた。困惑というよりは、何かを諦めたようなため息。
「そっか。そうなんだ。アンタ、そうだったんだね」
 また、じっと澄んだ青色の瞳が見つめてくる。いや、だからそれやめてくれないかな。気が散ってしょうがないんだけど。
「てゆーか、そりゃそうよね。気付かないほうがどうかしてる。やっぱり私、バカだった」
 この反応からすると、やっぱり彼女は俺の想像した通りの身分なのだろう。俺としても、この力を見ても驚かないで居てくれるんならその方がありがたい。
「あのね、リオ。私――」
 エミーが何か言おうとしたちょうどその時。背後からけたたましいエンジン音が響いてきて、彼女の声をかき消した。
「追ってきやがった」
 見れば、乗っているのはさっき俺が出し抜いた黒ジャケットの男たちだ。あれだけ脅かしてやったのにまだ懲りていないらしい。
「エミー、話は後だ。まずはあいつらから逃げ切らないと」
「うん、分かってる。でもどうするの? このままじゃ追いつかれちゃう」
 彼女の言葉通り、背後から追ってくる車の姿はどんどん大きくなってきている。このままでは追いつかれるのも時間の問題だろう。
「くそ。いつもならもっとスピード出るのにな」
「ちょっと、どういう意味よ。私が――」
 言いかけて、エミーはハッとしたふうに口を閉じた。
「なんでもない。あなたに任せるわ」
 二人称は「アンタ」と「あなた」を行ったり来たり。おまけに憎まれ口を途中でやめたりもしている。やっぱり一度や二度助けたぐらいでそううまくはいかないか。
「よし。ちょっとアクロバットをやるから、俺が『いくぞ』って言ったらしっかり掴まってくれ」
 俺が言うと、エミーは何も言わずにぐっと体を寄せてきた。いや、まだ今はいいんだけど――と言おうとしたけど、押し当てられた柔らかな感触に阻まれる。鼻腔をくすぐるのはここ数日ですっかり嗅ぎなれたエミーのシャンプーやコロンの香り。ああ、ちょっと幸せ。俺だって一応体張ってるんだから、このぐらいの役得はあってもいいよね。
 なんだかほんわかとした気持ちでしばらく真っ直ぐ進む。タイミングを見計らって、車との距離が十分に近付いたところで気合を入れる意味も兼ねて一声。
「よし、いくぞ」
 力を逆方向に働かせて急激な減速。ぶつかりそうになった先頭の車が慌ててブレーキを踏む。まるで悲鳴のようなブレーキ音があたりに響き渡った。
「うっせえ。静かにしてろ」
 聞こえるわけがないけど、何となくそんなことを言ってみながら。ギリギリまで引き付けて、テール部分でフロントガラスを叩き割りつつ急上昇。後続の車が玉突きを起こして立ち往生したのを見届けてから、そのまま逆方向へと加速をかけて車を置いてきぼりにする。
「小回りが利くってのはいいな。車なんて目じゃねえよ」
 実を言うと、自動車を相手に立ち回ったのなんて初めてだったのだけど。思った以上の成果に我ながら満足だ。
「今の、誰も死んでないよね?」
「え。まあ、多分。てゆーか、今のタイミングでもそんなこと気にしなくちゃいけないモンなのか?」
 一応は問いかけだったのだけど、エミーは何も答えてくれなかった。ま、今はそんなことを気にしても仕方がない、か。
 ついさっき来たばかりの道を今度は街の中心へと向かって進んでいると、今度は正面から幾重にも重なったバイクの音が聞こえてきた。
「また敵だろうか」と考えていたら、少しバイクの車体が見え始めたところでエンジン音とは別にガガガガという早いリズムの重低音が聞こえてきた。
 この音。いやまさか、そんなバカな。とか考えていたら、俺の頬を銃弾がかすめていった。
「おいおい、ここ街中だぞ! 平気で銃とかぶっ放すやつがあるか!」
 しかもサブマシンガンときた。バイクに乗りながら撃っているせいかあまり精度は高くないが、危なっかしいことこの上ない。
「壁を作りつつ行くしかないか。これやるとスピード落ちるんだけどなあ」
 俺の「ナイフ」を使って真空の壁――俺の体を円形に包むバリアのようなものを作ればサブマシンガンの弾くらいなら弾くことは出来るけど、その代わりにボードの推進力が落ちてしまって速度と高度が出なくなる。ほぼホバークラフト状態になってしまうので、このままだとバイクを飛び越えることが出来ない。ヘタすりゃ正面衝突だ。
「なあ。街中で銃を乱射してくるようなやつでも、やっぱり殺しちゃダメか?」
「ダメ。これ以上誰も殺さないで。お願いだから」
 お嬢様からのお許しは出ず。うまくかわせばすれ違うことはできるだろうけど、それじゃあ結局は逃げ切れない。推進力の落ちたこのボードとバイクとでは馬力に差がありすぎるからまたすぐに追いつかれてしまう。
 乗っているやつを殺さずにバイクを止める方法。多分こかすのが一番だろう。でもそんなにうまくいくだろうか。壁を張るのに力の大部分を使ってしまっているから、風で煽ってこかす方法も使えない。
 仕方がない。原子的な方法だけど、度胸比べといこう。真っ直ぐに突っ込んでいって、ぶつかる寸前で横にかわしてそのまま突っ切る。それで相手がびびってこけてくれればそれでよし、すぐに反転して追ってきたらまた別の手を考える。これでいくしかない。小回りではこっちのほうが上だろうから、分の悪い賭けではない――と思いたいのだけど。
 バイクとの距離が近付くにつれて銃撃も激しくなってくる。どうやら相手は五台、全部二人乗りで後ろに乗っている奴が銃を撃っているらしい。全員黒のライダースーツを着用し、フルフェイスのヘルメットを被っている。壁が銃弾を弾くのを見ても動揺しないことからすると、俺に関する情報も多少は出回っているのかもしれない。
「てゆーか、それ以前にこいつら誰? エミー、お前一体誰に狙われてんの?」
 問いかけてみてもやっぱり返事はなし。向かってくる銃弾が怖いのか、きゅっと目を閉じたまま動かない。ま、確かに今は悠長にそんなことを言ってる場合じゃないか。
「よし、そのまま目を閉じてろ。本当に怖いのはこっからだぞ」
 見る見るうちに近付いてくるバイクの群れ。真正面からそれに向かっていく。あと三十メートル。二十メートル。まだだ。あと十メートル、あと少し――今!
 本当にぶつかる寸前で横にかわし、そのまま蛇行する形で後続のバイクの間をぎりぎりですり抜ける。同じ要領で四台目もかわした――と思った瞬間、バチンとすさまじい音がしてボードが激しく揺れた。デッキの後部、テールと呼ばれる部分が四台目の後輪と接触してしまったらしい。
「しまっ――」
 た、と思うヒマすらない。間髪居れずに五台目が真正面から突っ込んでくる。大きくバランスが崩れた今の体勢では、横にかわすこともままならない。
「くっそォォッ!」
 瞬間的に壁を解除。急上昇して五台目をかわした、のはよかったのだが。
「……ッ!」
作品名:「ナイフ」 作家名:terry26