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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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夢の館

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第九節 食卓を飾る薔薇


 昼と夜とが交差する。
 太陽が西から昇り東へ沈み、月もまた同じ道を辿る。
 土の中から朽ちた木が這い出し、枯れ果て乾いていた幹や枝に瑞々しさが戻り、葉を碧く茂らせ花を咲かす。さらに枝は短くなり、幹もまた細く短く退化していく。やがてまた木は土に還るだろう。
 生命が巡り廻る。
 木陰に腰掛ける妊婦に寄り添う少年。
 しばらくして逆光を浴びた大柄の男が手を振りながら現れた。
 それ仲睦まじい家族の追想。
 生まれてくる新たな生命に祝福あれ。
 だが、少年の眼前で男は溶けるように腐り、見るも無惨に顎が落ち、歯茎から歯がこぼれ落ち、やがて全身が崩れた。
 木霊する妊婦の悲鳴。
 やがてその場に現れた一匹の魔獣。
 血に飢えた魔獣は発狂している妊婦を攫った。
 そして、少年の瞳に焼き付いた紅い牙。

 拳を強く握り締めながらAはベッドで目覚めた。滲んだ汗で背中が冷たく、とても不快感を覚える。ここ数日、良い目覚めをした例しがなかった。
 すぐにシャツを着替えていると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。Aは袖のボタンを閉めながら扉に向かった。
 扉を開けるとそこに立っていたのは「お目覚めですか」二号だった。「食堂にお越しならないようなので、ブランチをお持ちいたしました」
「もうそんな時間なのか」
「はい、十時半を過ぎたところでございます」
 夜更かしをしたとはいえ、Aはそんなに長く寝るつもりはなかった。さらに十分な睡眠はとれている筈なのに、とても躰がだるい。時間は十分でも質の悪い眠りだったのだろうか。
 二号は食事を部屋の中まで運び入れ、早々に立ち去ってしまった。
 Aはソファに腰掛けながらサンドウィッチを頬張った。うまく食べ物が喉を通らず、コップに葡萄酒を注いで一気に飲み干した。
 言い知れぬ不安をAは感じていた。正体のわからぬ不安は突然にやって来たものではなく、今朝目覚めた時にはすでに存在していた。
 Aは過去を遡る。昨夜、あの地下室で見てしまった光景。今でも耳にへばりついて離れない叫び声。
 あれが不安の原因なのか。たしかにあの光景が後押しになったことは間違いない。だが、それ以外にも幾つもの要因が折り重なっている。
 考えれば考えるほど不安になってくる。
 Aは居ても立っていられなかった。
 地下室から出て来たところをAは見られてしまったのだ。あの大男はあれからどうしただろうか。すでにマダム・ヴィーの耳に入っているのだろうか。もしもそうなら、なんらかの行動があちら側から起こるかもしれない。
 なにが起こるのかわからない。対処のしようもないではないか。それでもAはなにかしら備えなければと思い立った。
 Aは食事も終わらぬうちに部屋を飛び出した。
 目的地は決まっていないが、目的は決まっていた。まずは二階を散策することにした。その矢先、Aはテラスに人影を見た。
「ちょうど良かった、あなたを探していたところです」Aはテラスのテーブルで紅茶を飲んでいたJに会釈した。
「ボクにわざわざ会いに来てくれたのかい、嬉しいね」Jは近くに立っていた奴隷に目を配り、席を立ち上がった。「天気の良い日は散歩に限る。さあ、早く」Aの返事も聞かずJは行ってしまった。
 すぐにAはJの後を追い、二人は玄関を出て庭の散策をはじめた。
 辺りは真っ赤な薔薇が咲く薔薇園だった。
 周りに人がいないことを確認してAが口を開く。「Gの腕時計のことですが、あなたはこれを事故現場から盗んだわけですよね?」
「盗んだというのは人聞きが悪いけど、取ったことには間違いないよ。そう、ボクは玄関に転がっていた屍体から腕時計を外した。なぜだかわかるかい?」
「時計は壊れて刻を止めていました。その時間がテラスから転落した時間を示す証拠だからでしょうか?」
「違うね。キミは根本的に間違っている。先入観に囚われてはいけないよ」
「どういうことです?」
 Jは含み笑いを浮かべ、庭を見渡すようなそぶりをした。「昼の庭は実に平和だ。血の臭いを嗅ぎつける獣もいない」
 その言葉を聞いてAは背筋を冷たくした。昨晩、凶暴な犬に襲われたことを思い出したのだ。あえてAはそのことを伏せた。
「昨晩、犬の鳴き声のようなものを聞いたのですが、そのような動物が庭にいるのですか?」
「夜になると番犬が庭に放たれるんだよ。奴らは血肉が好きでね、知らない人間なら誰でも襲い掛かる。例えこの屋敷に何度も訪れているボクですらね」
 明らかにJはなにかを教えようと示唆している。
 犬とGがAの頭の中で交差する。
 玄関先にあったGの屍体。血は流れていたが、踏み荒らした痕跡はなかった。テラスから落ちた衝撃だろう、少し手足が変な格好をしていたが、後から服が乱されたような痕跡もなかった。そう、おそらく落ちたまま、現状が保存されていたのだろう。
 そしてAは閃いた。
「もしかしてGがテラスから落ちたのは犬がいない時ですか?」
「そうなると朝方以降だね」
「では壊れた腕時計が示していた時刻は朝だなんてことは……」
「可能性としてはないくはないけどね。そもそも第一発見者がボクというのも可笑しい。あんな場所に屍体が転がっていたら、別の者が気づく筈さ。だから時計の止まっていた時間に落ちたのなら、ずっとその場に転がっていたわけではなくなるからね。しかし、その根本の考えがそもそも間違えなのだよ」
 また根本という言葉を使った。
 おそらくJの考えでは時計の示していた時刻は夜であると言うこと。しかし、屍体が落とされたのは明け方以降だと言うこと。Aの考え方ではそれでは矛盾が生まれてしまうが――。
「ボクはね、Gの屍体が発見される前夜、大きな物音を聞いているのだよ」
「まさか事件と関係が?」
「あれはキミとサロンで別れた後だよ。部屋に戻ったボクは、隣の部屋から大きな物音がするのを聞いたんだ。その隣の部屋というのがGの部屋さ。あとはキミの想像に任せるよ」
 おそらくその音がした時刻こそが、壊れた腕時計が示していた時刻なのだろう。そうするといくつかの疑問が解決する。
 はじめから、そうではないかとAは思っていたが、ついに確認に変わりつつあった。「やはり事故ではなく……殺人」
「殺人だなんて穏やかではないね。そんな怖ろしいこと、この屋敷の常連のボクからすれば、考えられないことだよ」
「それは本当ですか?」
「ああ、例えばSは気性が荒く、幾度となくボクは脅されているけれど、実際に暴力を振るわれたことはないからね」
「マダム・ヴィーはどうですか?」
「なぜその名前を出すんだい?」Jの口元が不気味に微笑んだ。
 Aは初めてJに恐怖を抱いた。まるでJはその言葉を待っていたようだ。そうだ、Jは確信を持ってAを誘導しているに違いない。これまでだってそうだった。
 ならばここであれを出すべきだろうとAは考えた。
「この鍵に見覚えはありませんか?」
 Aは懐から地下室の鍵を取り出して見せた。
「知らないなぁ」わざとらしい口ぶり。その口も浮かぶ嘲笑が、その言葉が嘘だと言うことを物語っている。
 急にAは苛立ちを覚えはじめた。
「あなたの目的はいったいなんなんだ!」
「目的……しいて言うなら、キミのことを好いているだけさ」
作品名:夢の館 作家名:秋月あきら(秋月瑛)