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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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夢の館

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第六節 闇からの呻き声


 屋敷で意識を取り戻して、まだ二日。知らぬ場所の方が多い。屋内ではなく、屋外の庭となればなおさらのこと。
 Aは玄関を出て庭の散策をすることにした。
 玄関にはすでに人ひとりいなかった。そこに残っていたのは清掃で撒かれた水の跡。証拠などまったく残っていそうもない。
 早々にその場からAは移動することにした。
 広い屋敷だが、その庭はさらに広い。玄関から遠く先に塀が見て、そこをなぞるように視線を動かすと、巨大な門が見えた。どうやら門は固く閉ざされているようだ。
 玄関正面から門までの道は庭園と呼ぶに相応しく、噴水から迸る飛沫が水路へ流れ続いている。そして、目に飛び込んでくる一面の紅い花。
 風に運ばれてくる花の香りは甘美で、少し意識が遠くなるような気がする。
 Aは早足で歩きながら巨大な門までやってきた。
 近くで見る巨大な門は圧倒的であった。その大きさは五メートル以上。重厚感のあるその金属製の門には、禍々しい装飾が施されており、よく見るとそれは悪魔や悪鬼を模った物だった。
 門にはこちら側に左右に二つの鍵穴があった。
 Aは冷たい門に両手を押し当て押してみたがびくともしない。さらに肩を押しつけて、全体重をかけてみたが結果は同じ。鍵が掛かっているのか、掛かっていなかったとしても、この見るからに重い門はひとりの力では到底開かないだろう。
 諦めてAは塀に沿って歩き出した。
 塀の高さは門と同様、よじ登ることなどできない。さらに塀の上にはかぎ爪のような鉄柵が取り付けられている。しかも、そのかぎ爪は外ではなく、内に向かっているではないか。それの意味することは容易に察しがつく。
 Aは苛立ちを覚えながら塀に沿って歩いた。
 どこまでも続く塀。
 やがて屋敷の裏までやって来たところで、異臭が鼻を突いた。
 花が咲いていた。
 それは表の庭に咲いていたものとは違う、どこか妖しげな紅い花。
 花を咲かせているものはまばらで、その多くは不気味な実をつけていた。
 茎の先端に実る卵のようなそれはおそらく「この実は……ケシ畑か」。
 ケシの実から抽出される乳液はアヘンの材料となる。そのアヘンからモルヒネ、さらにはヘロインが生成される。
 Aは袖で鼻を覆いながらその場を足早に立ち去った。
 そして、庭の隅に見えてきた焼却炉。
 焼却炉はまだ何かを燃やしているらしく、煙突から舞い上がった灰がAの足下まで落ちてきた。
 さらに焼却炉の周りを調べて見ると、少し焦げた布の切れ端が見つかった。その布にはボタンがついており、服か何かではないかと思われた。
「まさか……」とAは呟き、嫌な予感を脳裏に過ぎらせたが、その考えはすぐに掻き消した。
 煙の臭いに変わった点はない。肉を焦がしたような異臭はしなかった。
 人の気配がする。Aはすぐさま苗木の陰に身を潜めた。
 巨漢の男が巨大な麻袋を担いでこちらにやって来る。
 近くまでやって来たその大男の顔は死人のように青白く、目の下の隈やいたることにある皺が疲弊感を醸しだし、額を横に走る手術跡が不気味だった。
 大男はAに気づかずに横を通り過ぎ、さらに先にある井戸らしき場所で足を止めた。そして、麻袋の中身を井戸の中へ放り投げた。
 思わずAは息を飲んだ。
 一瞬見えたあれは、たしかに人のようであった。麻袋に入っていたのは人だ。それが今目の前で、井戸の中へ投げ捨てられたのだ。
 しばらくして大男が姿を消したのち、Aは恐る恐る井戸に近づいた。
 一見してそれは井戸のように見えるが、その直径は通常の井戸よりも遙かに大きい。まるでそれは地獄に続く大穴。底は暗闇に呑み込まれてしまっている。
 焼却炉では脳裏を過ぎった考えをすぐに掻き消したが、ここではどうしてもそれが消えない。
 投げ込まれた人は誰だったのか?
 遠く離れていた為、それを確認することはできなかった。もしかしたら人ではなく、ただの人形だったかもしれない。
 Aは荒くなる呼吸を落ち着かせながら、井戸の縁に手を掛けて中を覗き込んだ。
 どこまで続いているのか、光すら届かない井戸の底。
 急にAは背筋を冷たくして体を強ばらせた。
 呻き声。
 微かに呻き声が聞こえたような気がした。
 もしも投げ込まれたのが……だったとして、死者の呻き声が聞こえたとでも言うのか。それとも別の者の声か?
「誰かいるのか!」
 井戸の底に向かって叫ぶが返事は返ってこなかった。
 呻き声に聞こえたものは風の悪戯だったのか。
 Aは逃げ出した。この場所に一秒たりとも居たいとは思わなかった。
 冷や汗をかきながら屋敷の中へ戻ってきたが、この中ですら居たいとは思わない。
 今はこの場所が魔の巣窟に思えてならない。
 いったいこの屋敷で何が起きているのか?
 記憶を失い目覚めた場所は異質な決まり事で縛られた屋敷。その屋敷でお館様と呼ばれる謎の女主人マダム・ヴィー。取り巻く異質な奴隷たち、そして癖のある客人たち。
 一刻も早くこの屋敷からAは出たいと願ったが、それをマダム・ヴィーに申し出たところで、容易に受け入れられるだろうか。おそらくそう簡単にはいかないだろう。
 屋敷の中へ戻ってきたAだったが、やはり中にいることも躊躇われ、またすぐに外へ飛び出してしまった。
 玄関を出てすぐの場所に残っていた水跡も、すでに跡形もなく消えてしまっていた。
 Gの持ち物も処分され、その遺体も今はどこにあるかわからない。この屋敷からGの痕跡が消え、まるでいなかったことにされてしまうような。Aはそのことを考えながら恐怖を覚えた――自分もいつかは消されてしまうのではないかと。
 この場所から逃げ出す方法を模索する。
 門からの脱出は難しいだろう。鍵を手に入れたとしても、やはりあの重さが問題になる。
 塀は高く、その上にはかぎ爪の柵が取り付けられているが、梯子があれば越えられないこともないだろう。梯子の一つくらい屋敷のどこかにありそうだ。
 物置のような場所が屋敷の部屋の一つにあるか、それとも庭に小屋があっただろうか。
 先ほどまで庭を散策していたAだったが、塀に沿って半周ほどしただけで、引き返してしまった。まだ広大な庭に何があるか把握していない。
 Aは屋敷にある部屋を思い出した。
 今のところ把握している場所は、いくつかの客間と、食堂とサロン。おそらく半分にも満たないほどしか行っていない。マダム・ヴィーの部屋すらどこにあるのか知らない。
 マダム・ヴィーの部屋はどこにあるのか。
 車椅子であることを考えると一階にあるような気もするが、それらしき部屋は今のところ見当たらなかった。二階もAの部屋は角部屋であり、テラスや階段を挟んだ向こう側にはまだ足を運んでいない。
 そして、前々から言われていた地下室の存在。
 地下室には不用意に近づかないようにとの旨を伝えられているが、地下に降りる階段がどこにあっただろうか。
 Aは考えを廻らせながら屋敷の全容を眺めた。
 玄関をすぐ出た場所からでは、首を大きく動かなければ眺めることはできない。
 屋敷を眺めながらAは足を運んだ。
 そして、ふと一階の窓へ目をやったとき、カーテンの隙間からこちらを見る人影に気づいた。
作品名:夢の館 作家名:秋月あきら(秋月瑛)