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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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夢の館

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 人影が誰かははっきりしない。ただ、あの部屋は確か……Mの部屋だ。そのことに気づいたAはすぐさま部屋の中へ引き返し、Mの部屋へと急いだ。
 まだ会ったことのないMと呼ばれる女性。
 部屋の前に立ちAは扉を力強く叩いた。反応はない。これは前に来たときと同じだ。
 しかし、今は部屋の中に何者かがいるに違いなかった。
 Aは激しく扉を叩いた。
「部屋の中にいることはわかっています。顔を見せてはくれませんか!」
 もしかしたら入れ違いになったことも考えられなくもないが、Aはここまで極力急いで来たし、すれ違った人も誰ひとりとてしなかった。
 さらにAは強く扉を叩いた。このまま扉を壊してでも中に入るような気迫だった。
「M女史、貴女に人目お会いしたい。ご存じかもしれませんが、昨日まで僕は意識を失いこの屋敷の一室で寝ておりました。昨日やっと目を覚まし、ほかの客人にはお目通りしたが、貴女にはまだお会いできておりません!」
 扉越しに言葉を投げかけるが反応はなかった。
 仕方がなくAは諦めて引き返そうとしていた時に、扉の鍵が開く音がした。
 すぐさまAは振り返って扉の前に立った。
 すると、少し開かれた扉の隙間から、蒼いベールに包まれた目元が覗いた。
「何かわたくしにご用ですか?」
 落ち着いた、まるで小川のせせらぎのように澄んだ声音。
 先ほどまで何かに駆り立てられていたAだったが、急に落ち着きが戻ってきた。
「僕はこの屋敷ではAと呼ばれています。貴女がM女史でしょうか?」
 少し答えるまでに間があった、「ええ、このお屋敷ではそう呼ばれておりますわ」
 いざ会って見るとAは何を話していいのかわからなかった。会うことばかりに執着していた。
「少しお話があるのですが、Gが亡くなったのはご存じですか?」
 その問いを聞いて、ベールの奥の瞳が大きく見開かれた。「いえ、今初めて……部屋からあまり出ないもので、人との会話も日に二言三言、世話係の者とするくらいなものですから」
 部屋から出ないということは、先ほど訪れた時には居留守を使われたのか。
 そこのことよりも、人が死んだというのに誰も伝えに来ないとは……来たのかもしれない。その時も居留守を使った可能性がある。
 Mは警戒しているのか、未だに扉は少しだけ開き、そこから顔を出している状態だ。会話が途絶えたらすぐにでも扉が閉まりそうな雰囲気さえある。
「Gはテラスから転落して死んだようです。それについて何かご存じではありませんか?」
「先ほども申したとおり、今初めて聞いた話ですので」
「では今までGとどのような会話をしましたか、たとえば僕のことなど聞いていませんでしたか?」
「いいえ、Gさんとは挨拶を交わした程度ですので。なに分、部屋の中にいることが多いもので」
 この屋敷に何度も訪れたことのあるJですら、あまり会話をしたことがないと言っていたほどだ。
 Aは会話が途切れないようにすぐに新たな質問をする。
「つかぬ事をお伺いしますが、なぜ部屋に籠もりきりなのですか?」
「それは……あまり体が強くないもので。人を接することも苦手ですの」
 蒼いベールで隠された素顔。目元を見る限りでは不健康そうには見えないが、それ以上のことは伺い知れない。
 ほかの質問はないかとAがほんの少し考えている間に、Mのほうから口を開いた。
「もう宜しいですか?」
 扉が少し閉まりかけていた。
 慌ててAは、「この屋敷に長く滞在していると聞きました。なぜですか?」
 その問いかけにMは答えなかった。
 しかし、「お入りなさい」と扉を大きく開いたのだ。
 導かれた部屋の作りはAやGの部屋とあまり変わらない。違う場所と言えば、本棚とそこに納められた大量の本だろうか。
「お掛けになって」MはAに席を勧めた。
 Aが腰掛けた椅子の前には小さな丸テーブル。その上にはしおりの挟まれた読みかけの本と、飲みかけの紅茶。
 Mは持って来た新たなカップに紅茶を注ぎAに差し出すと、自分も席に着いた。
 蒼いベールで素顔を隠し、全身も同じような布で隠されている。まるでそれはイスラム教の女性のような隠しようである。紅茶を注いだときの手ですら手袋で隠されていた。
 Aは「なぜ部屋に入れてくれたのですか?」と不思議そうに尋ねた。
「この屋敷には至る所に?眼?がありますのよ」
「それは監視の眼ということでしょうか?」
 思い当たる節がある。サロンでJと会話をしていた時のことだ。気づいたら二号の視線、そして現れたマダム・ヴィー。
「監視……マダム・ヴィーが奴隷たちにわたくしたちを監視するように命令しているとでも?」
「違いますか?」
「違わないとは言えませんけれど、この屋敷には別の者の?眼?もありますのよ」
「誰の眼ですか?」
「たくさんの?眼?。マスクで覆われたたくさんの?眼?たち。部屋の外で話していれば、必ず誰かの?眼?に止まります」
 果たして誰の眼に止まるというか。マダム・ヴィーや奴隷たちの眼でないとしたら、客人たちか、それともまだAの知らぬ者たちがいるのか。
 誰の眼であれ、この屋敷にいる者たちは信用ならない。Mは今、Aに忠告めいたことを話しているが、その意図ですらどこにあるのかわからない。
 部屋に招き入れたと言うことは、その?眼?に聞かれたくない話がある筈。
 乾きはじめた喉をAは紅茶で潤した。
「もしかして僕に何か大事な話でもあるのですか?」
「…………」しばらく黙したのち、「この屋敷からお逃げになって。貴方はこの屋敷にいる誰とも違う。招かれざる客は早々に屋敷を立つべきですわ」
「逃げる? 穏やかな話ではありませんね。この屋敷にいると僕に何か大変なことが起こりますか?」
 Aの脳裏に過ぎったのはGの死。
「何が起こるのか、それは起きてみないとわかりませんわ。ただ……マダム・ヴィーは気まぐれなお人ですから」
「それはマダム・ヴィーが僕に何かするということですか?」
「ええ、すでに。わたくしは貴方に注意を促すことはできても、手助けをすることはできません。むしろ、その逆でしょう」
「逆?」
「この部屋には貴方とわたくし、そしてほかの者の?眼?が実はあるのです。その者は実に気まぐれですから、もしかしたら貴方の邪魔をすることになるかもしれませんわね」
「誰かにいるのかこの部屋に!」
「どちらの手に委ねるか……そう考えた時に何を優先するべきか。貴方が客人ということをお忘れなく、客人であるうちは安全ですわ。少なくともマダム・ヴィーの魔の手からは……」
「教えてくれ、マダム・ヴィーのほかに……危険な……」Aの眼が見開かれた。「飲み物に何か……どうして……貴女が……」
 Aの意識は深い闇に呑まれた。
作品名:夢の館 作家名:秋月あきら(秋月瑛)