夢の館
「少々手癖が悪いだけさ。その時計がなくなったという些細なことに気づいている者は誰もいないと思うよ」
「どこでこの時計を?」
「時計をよく観察してみるといい、それが質問の答えさ。それではボクは散歩の続きをするとしよう。ではごきげんよう」
軽快な足取りでJは姿を消した。
Aは受け取った腕時計を観察した。一目で文字盤を保護する硝子板が割れていることに気づき、針が時を止めていることにも気づいた。その時間は七時四十七分。
質問の答えはこの腕時計にある。観察しろと言った以上はそこから導き出されること、おそらくはおそらく時計が壊れた状況にあった場所が、手に入れた場所なのだろう。
そうなると時を止めた意味が重要性を帯びて来るではないか。
Aは衝撃を覚えつつも、昨晩のことを思い出した。
夕食がはじまったのは七時ちょうど。だとすると壊れた腕時計が示す時刻は、AとJがサロンで会話をしていた時か、もしくはそれ以降か。おおよそあの辺りの時刻であろう。
サロンをあとにしたAは、階段を上り自分の部屋に向かう途中、テラスの近くを通った筈だ。
「よく覚えてない」
昨晩は部屋に戻った途端、急激な睡魔に襲われた。その前から少し意識が途切れがちだった。
あの異常さを今から考えると、食事に何か薬が混ざっていたのではないかと勘ぐりたくなる。
Aは再び記憶を廻らせた。
Gが食卓を後にしてから、時計が壊れるまでの時刻の間。Aは一度Gの部屋を尋ねている。それもGが食卓を後にした直後のことだ。
あのとき、Gは本当に部屋にいたのだろうか?
ノックや呼びかけに応答はなく、部屋には鍵が掛かっていた。
もしも部屋に戻っていなかったら?
そうなると道理が通ってしまうことがある――酔い覚ましにテラスに出て転落したということだ。
わざわざ一度部屋に戻ってから、それも呼びかけに反応もできないほどの状態であったとしたら、そのあとにわざわざ部屋を出て、一階の自室から二階のテラスに行くような真似をするだろうか。逆にはじめから部屋に戻っていないとするなら、なんら不思議なことでなくなる。現に食堂でも転倒しそうになっていたほどだ。
しかし、Aはただの事故だとは思えなかった。
疑惑や不審な点はいくつもある。ただ決定的な証拠は見つかっておらず、考え過ぎと言ってしまえばそれで終わってしまう。だが、Jの存在が何かあると如実に語っている。
屍体の第一発見者とされるJ。おそらく腕時計を取ったのもその時だろう。そのあとのJの行動、急用と言いつつ屋敷に入り、のちにGの部屋に現れた。Gに関連する何かを探っていると考えるのが自然だ。
何もないのに腕時計をわざわざ屍体から外すか?
その場に立ち尽くしAが考えにふけっていると、Gの部屋から二号が出てきた。
「まだこんなところにいらっしゃったのですか?」
二号は麻袋を持っていた。あまり荷物が詰まっているようには見えない。事故に遭って屋敷で保護されたという話が本当なら、元々の荷物が少ないの当然だろうが。
「やはりその袋の中身を確認するわけにはいかないのか?」
「わたくしにはその権限がございませんから」
二号の声音は硬かった。
会釈をして立ち去ろうとする二号をAは呼び止めた。
「待ってくれ、Mに会いたいのだが部屋を教えてくれないか?」
「すぐ目の前の部屋がそうでございます」
二号が指で示したのはGの部屋の正面だった。
そして二号は足早に姿を消してしまった。
この屋敷に滞在すると言われている者でまだ見ぬのはMと呼ばれる女。Jは?良い淑女?と称していた。
さっそくAはMの部屋をノックするが、反応はなかった。
再びJの言葉を思い出す。彼が言うのにはMは部屋にこもっていることが多いという。留守かそれとも居留守か。
念のためもう一度、今度は強く扉を叩いてみたが、やはり反応はなかった。
諦めて場所を移動しようとしたAの前から、廊下を歩いてこちらにやって来る女の姿。
Sは苛々とした様子で歩き、Aと眼が合うと鋭い視線をした。
「何見てんだい、げす野郎!」
いきなり激しい物言いだ。昨晩もこのような感じであったが、普段からずっとこのままなのだろうか。
ここで出会ったのだから、AはSにも話を聞くことにした。
「私の友人のGが亡くなったのはご存じですか?」
「崖から落ちても死ななかったのに、酔っぱらってテラスから落ちて死んだんだろ。キャハハハハ馬鹿な野郎だ!」
高笑いを響かせながらSは部屋に入って行ってしまった。まったく話にならない。
Sが入ったのはMの隣の部屋だ。角部屋にあるGの部屋、その向かいにあるMの部屋、Sの部屋はMの部屋の隣だ。三人の部屋は同じ場所に集中しているが、Aの部屋は二階の角部屋だ。
「隔離されていると感じるのは考え過ぎか……」
呟きながらAは歩き出した。
作品名:夢の館 作家名:秋月あきら(秋月瑛)