看護師の不思議な体験談 其の十
時間の経過とともに、Sさんの全身状態もゆっくりと低下していく。
ナースステーションにて、モニターを見ると、ゆるやかだった心拍数がゆっくりと上昇し始め130台にまで上がった。
(あぁ、そろそろだ…)
同僚に声をかける。後輩にも声をかけたが、そちらも産婦様がちょうど分娩室へ入ろうとしているところだった。
患者様の部屋へ早足で入ると、娘さんがぎゅっと手を握っている。
「Sさん」
声をかけると、患者様は黒目だけをこちらに向け、何か声を出している。口元へ耳を近づけると、
「ねこ、ねこ」
と、つぶやいているのが聞こえた。
(ねこ、猫?)
そう考えているうちに、頻脈だった心拍数が徐々に下がり始めた。
(そろそろ…)
院内専用のPHSから主治医と当直医師へ連絡。
「娘さん、できるだけ声をかけてあげて下さい。耳はきっと聞こえているはずですよ。」
一人娘の彼女は、ボロボロと涙をこぼしながら、
「お母さん、お母さん、ありがとうね、ありがとう」
そう言い、手を握っていた。
当直医師が駆けつけ、心拍数が0になったところで、触診で脈拍の有無、ペンライトで瞳孔散大の確認。一連の流れがなされる。
「5時9分、死亡の確認をしました。ご臨終です。」
医師とともに私も頭を下げる。
覚悟をしていた死とはいえ、やはり辛い。
患者様との思い出が思い起こされ、目頭が熱くなる。
娘さんの悲しみの涙。とても静かな死だった。
作品名:看護師の不思議な体験談 其の十 作家名:柊 恵二